トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「コシアキトンボ」

2021-07-23 | 小父のお隣さん
 上の池に立ち入って葦抜去中、至近をコシアキトンボ二匹が追従飛翔していく。ともにオスでメスは見つけれなかった。飛翔がゆっくりなので撮影できるチャンスと思ったものの両手はゴム引き手袋で泥だらけ、デジカメは尻もちついて水没するのを恐れ陸のバックの中、ケータイはバカ長靴の胸ポケットにあるが電源OFFのままで間に合わない。「あーあ、マーフィの法則通り…」とあきらめた。

 それでも作業終了後に全景を撮影している時に飛翔を確認、何処かに止まるのを動かずに辛抱していたら運が巡ってきたのだ。故事にある「待てば快時の機会あり」そのままになったのである。喜び勇んで撮影する事何カットか、そこで気が付いた。「最初の撮影もこの枝だった!」、初記録写真は池に張り出したコナラの枝先に止まったのを写したのだ。おりしも同じ枝先であるから習性的に好みの場所と言うのは早計過ぎるか・・・。日当たり良好の場所より木漏れ日のある影と日向の境界当たりでの飛翔が多かった。

 喜び勇んで帰宅。PCに画像を取り込むために接続したらファイル二つある。どういう訳か勝手にファイルが作られる事があって、どういう訳か勝手に振り分けられる時も有るのだ。二つ目のファイルは使わない画像になってしまったので、うっとおしいから削除して本来のファイルを開いたら本日撮影したはずの十カットほどが全くない。削除したファイルに入っていたのだった。「元に戻す」をクリックしても無駄、「ゴミ箱」を漁っても無駄、かくして本日の首尾「撮ろう、撮った」は儚く徒労となったのだった。

 作業終了時の様子は翌日でも構わないのだが「フーテンの虎さん」状態のコシアキトンボでは翌日も居るかどうかの保証はないし、この日観察したところではメスは見なかったから、おっつけ風来坊で去るのだろう。返す返すも大ポカしてしまった。

 それから執念の「日に三顧の礼」を採って三日目、ようやく姿を確認できたが一匹だけだった。それもシオカラトンボの猛アタックばかりで止まる事すらままならない。ようやく止まった僅かな機会で撮影できたのが上掲の1枚。待ち受けのためカメラの電源を入れっ放しで充電不足になりカメラはダウンした。ああー「待てば回路の日和見なり」。
 逆光なのでコシアキトンボに見えづらいが待ちに待ったコシアキトンボの1枚なのだ。写真を子細に観察すると翅の傷みが見える。この池で待っていてもメスのご到着は恐らく望めないだろうから、いささか哀れでもある夏の日。


今日のエッ!品「タコはアシを喰う」

2021-07-23 | 感じるままの回り道
 上の池で葦抜去中、泥土から抜かれた地下茎の真っ白な肌には魅かれる。概ね親指程度の太さの地下茎が目の前にある。男の端くれに居る小生としては「白い柔肌」を目の前にしては迷わずにはいられないのだった。ホント、白い太ネギのような「絶対美味しい…はず!」の妄想が消えない。有毒では無いと思っても確証はなし、でも食べてみたい。ましてや「据え膳喰わぬは男の恥」とも言うではないか。

 そこで根拠を考えた。「ハスも地下茎、葦も地下茎」である。義経でさえ「馬も四つ足、鹿も四つ足」と鵯越の急斜面を下ったのだ。ましてや近代化された今日、食材だって古色蒼然としたレンコンだけで良いはずがない。とまあ、陳述すればこんな弁論になるのか・・・。
 思い起こせばレンコン以外に中空の食材はたんとあって、タンポポの茎、ネギの葉、竹輪とうとう数えることが出来る。ましてやSGDsだったかSDGsだったか推奨される昨今、バスには乗らなければならないのだが、姥捨て山にはバスは無い。仕方が無いから「お気持ちだけの協力!」で決定。

 遠い昔、「食材を大切にしよう」の心持に従い「スッポンタケ」を調理した事があった。湯通しを数回繰り返し味付けは少し豪華にと「チキンコンソメ」ではなく「牛肉コンソメ」にしての一口、スポンジ質で中空スッポンタケは「美味しい」はずだった。口に入れ咀嚼も進まないうちに吐き出してしまった。「臭い臭い臭いーっ!」これで手間暇お金をつぎ込んだ「スッポンタケのビーフコンソメ煮」は封印され闇の彼方に行った。
 葦の地下茎はスッポンタケと同じ三主徴ともいえる共通点がある「白い、中空、誰も食べない」、さーて如何する「疑をみてせざるは雄なきなり」と背中を押す物の怪がいるのだが「疑を見てしなければ憂もない」のも真理で、わが心は千路に乱れマドンナに出会った衝撃以来の煩悶である。
 で結局は誘惑に負けた小生が存在し、この言い訳はしたくないので、ここは日本男児として断じて毅然と振る舞うべきだと心得る。武士は喰わねど高楊枝・・・。まあ、喰ってしまって高飛車だったが。

 それはともかく白肌の地下茎を選びハサミで切り取る。切り取る感じで硬さの違いも感じるから軟らかい感じの部分だけ持ち帰った。水道水で洗い、二つ割にして茹でてみた。茹で上がった一本を齧ってみたら硬い。固さも繊維っぽいと言うか筋金入りの筋っぽさなのだ。これでは食えないし風味すら感じなかったので思惑は大外れ。つまりは「葦危食べ物」に他ならなかったのだった。

 これで爺も学んだのだ。生涯学習とはこういう事を言うのだろう。社会人として実家を出る時に母は「都会には悪い女子がいるから気をつけなさい」と言って送り出してくれたのだが、あれから何十年、今になって白い肌見た目の魅力に動かされてしまった自分が情けない。黄泉の母には申し訳ない。まあ、人間とはなんと業の深い生き物なのだ。そこが見えない。
 然るにではあるが少し自己弁護すると乱視に遠視が入ってしまったハイブリッド眼なので真贋を見極め難くなっている可能性もある。勘ピューターの処理間違い、回路の損傷とうとう小生の責とは言えない事情は汲むべきだと思う。このような対処は国家中枢の方法論を障害学習し実践しているから間違いはない。今日も大暑だ!。
             
               ➡    茹で上がったが筋金入りで食用不可。味も無く心底「悪し」であった