S先生からは野外の植生で「夏季のミソハギは大切な植物のひとつ」と折に触れ教えていただいていたのだが小生には「盆花」と言う記憶や経験値に基づく情感の方が大きかった。
ところがミソハギが開花すると同じころに開花するカラスザンショウの樹冠から届く唸る羽音には遠く及ばないものの、蜂類や小さな甲虫類がやってくる。その中で何時も探すし楽しみにしているのはセイボウで、いわゆる「青蜂」類なのだがフイールドではミソハギの花でしか見たことが無い。
ところがこの頃は「タイワンタケクマバチ」という外来種が現れるようになって、このミソハギの花で観察できるようになってきた。だからどうした、と言われても返答に窮するだけの小生ではあるけれど、単なる郷愁の植物ではなく生態系に重要な位置を占めているだろう夏季の植物であるという事は理解できるようになった。
郷里のミソハギは水田地帯の水路に点在しているだけで群落をつくっての植生ではないものの、ここフイールドでは群落と言って良いまとまりに育ってきたから、これはこれで花枯れの夏季には美しい風景になった。しかしながら遠景はそうであっても、その重要性は群落の中に入ってみないと理解できないだろう。
ミソハギの花は小さく、言わば集団美なのだが小さいだけに吸蜜や花粉採集は瞬時に終わる。故に花に留まる時間は瞬間的でカメラを向けピントを合わせる時間も無く次に移ってしまうのだ。移動もランダムで予想は付かず小兵に泣かされてしまう「禿げ頭、総身に知恵が回りかね」てなもんや三度笠・・・。
それでも胸の高さまで達した花穂に囲まれていると一瞬だが棺桶からお花畑へトリップした感覚が来る。クワバラクワバラ生望生望、聖母様。因みにだが姥捨て山には歳暮は来ない。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/31/dfea0316485418468cd1ac4c18a4eac8.jpg)
ところがミソハギが開花すると同じころに開花するカラスザンショウの樹冠から届く唸る羽音には遠く及ばないものの、蜂類や小さな甲虫類がやってくる。その中で何時も探すし楽しみにしているのはセイボウで、いわゆる「青蜂」類なのだがフイールドではミソハギの花でしか見たことが無い。
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郷里のミソハギは水田地帯の水路に点在しているだけで群落をつくっての植生ではないものの、ここフイールドでは群落と言って良いまとまりに育ってきたから、これはこれで花枯れの夏季には美しい風景になった。しかしながら遠景はそうであっても、その重要性は群落の中に入ってみないと理解できないだろう。
ミソハギの花は小さく、言わば集団美なのだが小さいだけに吸蜜や花粉採集は瞬時に終わる。故に花に留まる時間は瞬間的でカメラを向けピントを合わせる時間も無く次に移ってしまうのだ。移動もランダムで予想は付かず小兵に泣かされてしまう「禿げ頭、総身に知恵が回りかね」てなもんや三度笠・・・。
それでも胸の高さまで達した花穂に囲まれていると一瞬だが棺桶からお花畑へトリップした感覚が来る。クワバラクワバラ生望生望、聖母様。因みにだが姥捨て山には歳暮は来ない。
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