トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

ミソハギ開花した

2021-07-10 | 感じるままの回り道
 泥水池一帯のミソハギが開花してきた。背丈は小生の胸の高さまでもあり、朝一番に水見回りすると梅雨のこの時期は腰から下が濡れそぼってくる。巡回路だけでも軽く刈り払いして歩きやすくしたいのだが水域内の除草が優先で歩き易さは後回しだ。

 周囲の野草も腰の高さまで伸びてきて「分け入っても分け入っても青い草」てなもんや三度笠なのだが、それに加えツンツンとキイトトンボが乱れ出てくる。これは実際に分け入って体験しないと判らない極楽なのであって、まあ、独り占めと言って良いだろうが、これくらいのお駄賃を頂いても良かろうて。

 S先生曰く「ミソハギに集まる生物は多種多様で大事な植物のひとつです。」という事になるのだが、小生の次の楽しみはセイボウ(青蜂)に出会えることで、キイトトンボよりセイボウの姿を探す羽目になってくる。
 郷里にいた当時は「盆花」と言っていて、お盆近くになると仏壇に供えるために水田地帯の水路に取りに行かされた花でもある。

          

今日のトンボ「ヤブヤンマ初見、産卵」

2021-07-10 | 小父のお隣さん
 最高気温36℃超えの猛暑日になってしまった。シェルター水路の除草を行って上がろうかと思った頃にヤブヤンマが飛来して擁壁の苔に腹部末端を突き立てたのだ。これだけで「ヤブヤンマ!」の確信。撮影せずになんとする。水路をゆっくり移動し3mほどのところまで接近しカメラを向けたのだが焦点がなかなか合わない。合った時には少しばかり移動して画角から外れたりで須田紋太君とやり合っている所へ入域者のおやっさんが「何を撮っているのですか?」と擁壁の肩で立ち止ってしまった。
 ああ、これで万事窮す、今期初の機会が「青いお空へ飛んでった・・・」。

 この擁壁部はヤブヤンマの産卵のために水域を直下まで堀り広げ、土砂を取り除いた部分はむき出しのコンクリート面だったのが、ようやく汚れて苔の広がりが見えてきたのだ。設えたものの産卵を撮影する機会には恵まれず、今回は貴重な機会だったのにため息が出るばかり。それでもくだんのおやっさんとは寂しい孤老同士、気持ちは分かるから少しばかり話し相手になったものの、人生望んだようには転がらない。

今日のエッ!品「晒しエゴ菊花寄せの粕漬けと味噌漬け」の仕込み

2021-07-10 | 何よりの楽しみ
 エゴノリや菊花は我が郷土、越後の食べ慣れた食材で、小生にとっての「ご馳走」は育ち盛りの折々に箱膳に載ってきた食材や食品であって星付きや人気店、流行り物ではない。食べたければ自分で作るしかないご馳走が便利な時代のスローフードなのだ。
 今回、季節外れともいえる食用菊が食べきれないほど収穫出来たので小分け冷凍保存しておいた。いつも通り丑三つ時の小用の折りにビビビッと閃いたのがタイトルのエッ!品なのである。梅雨時で在宅時間を持て余しても工作も出来ないし読書も眠くなる。結局は立ち仕事を選択しキッチンに立つのだった。

 エゴノリ、晒しエゴは郷里の次姉が採集し送ってくれた食材で、一回分づつ密閉パックしてある。その一玉を水で戻してから加熱溶解した。溶解は急ぐと焦げるしノリ坊主が爆ぜれば「アチチッ!」となってしまう。弱火で時間をかけ溶解するのが滑らかな触感を得る秘訣なのだ。
 冷凍菊花はレンジで戻しておいた。上品な食べ方は花弁だけで総苞は外すけれど、この苦味こそが美味しさの源泉なのだから小生はそのままで、いささか趣きや上品さに欠けるものの、エッ!品でもフランス料理フルコースでも「富士の高嶺の白雪も云々…」で歌われた通りなのであるからして、ましてやSDGsの時代なのだから「いただきます」がよろしい。
 因みに「いただきます」の念は狭い範囲の社会だけなそうな。白人社会にはこの感覚が理解できないとする専門家もいる。閑話休題、蛇足が多い小生で困った困った。

 溶解したエゴノリの鍋を冷水に浮かべ撹拌しながら熱を取る。熱いままの中に菊花を混ぜると変色すると思った事と、そのまま型に入れても菊花は沈殿する。エゴノリの温度を下げ粘度を上げてから混入撹拌すれば均一な分布になるだろう。「ドロッ」としてきたら菊花を入れ撹拌し容器に注ぎ冷蔵庫に一晩おいた。
 翌日、二等分してひとつは麦味噌で覆いラップをし冷蔵庫、もう半分は酒粕漬けとした。これで一週間の辛抱である。