トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

腹たち日記

2021-07-09 | 小人閑居して憮然
 ついに雌雄が決せられた。欲しくもない苗が健全に育ち、欲しかった苗は全滅と言って良いだろう。事の発端は種子の保存に正確なラベルをつけなかった事とキジョランの発芽は忘れた頃にやってくるので、結果的にこれらが誤りの発端だったから自ら起こした結果なのだが消えた苗が再び戻る事は適わない。ああ、これは「マーフィの法則」と言うか「まあ、ふい」になってしもた法則かも。

 さてさて写真左側、健全に本葉まで出しているのはシタキリソウ、右下、双葉1本だけしかない方はキジョランの苗である。こっちのロングポットと別ポットには双葉の出た苗を3本づつ移植したのだが結果的にこの移植時期が悪く甚大な結果をもたらした。シタキリソウの種子はイチゴ容器に敷いたキッチンペーパー上で水耕発根させてロングポットに移植したが、キジョランは平鉢に種蒔き用土を敷き詰め、其の用土中で発芽させたという違いがあって、覆土で発根が判らず、更に発根状態より進んだ双葉を開いた頃合いで移植したのだった。平鉢なので直根の成長を阻害しかねないとの懇切丁寧な思いやりの一助だったにもかかわらず徐々に萎れていった。当初は病気と思い殺菌剤の散布まで行ったけれど回復せず、ようやく1本だけが何とか生き永らえそうなのだ。

 一般的に幼苗の移植は小さな育苗ポットで発芽させても双葉の状態で移植する事はしないのだが、大事にするあまり御母日傘、角を矯めて牛を殺す結果になったのだ。それなのに抵抗力の一番弱くなる発芽直後で移植したから弱り芽祟り芽なみだ芽、さもあり難、鍋の底ガーラガラ。
 この「鍋の底ガーラガラ」は広瀬村にいた従姉が昔話の終わりに言った慣用句と言うか定型句なのだったが今だに憶えている。小生の郷は「イチゴサッテモウシタモウシタ」で子育てを終わった頃に「越後ではそう申しましたとさ」と知ったのだった。各地の違いはあるだろうと推測はするけれど、今となっては知る人も語る人もいないだろう。
 語りは読み聞かせとはまた異なる良さがあると思う小生だが、最近の社会的弱者に対する騙りの手口には腹立つばかりだ。こういう犯罪・輩には「懲罰3倍法」とでも言える制度が欲しいというのが小生の痔論。「悪い芽は早めに摘む。いぼ痔切れ痔痔瘻は早めに対処!」ニューヨーク市での落書き防止法?だったか、効果を上げたのは知られている対処法だ。

 さて阿保な話は別として育苗にロングポットを使い、それも数本植えて育てフイールドにキジョランの「こんもり」を創る目論見はここに頓挫した。自分にもこんもりは消えたから相見互いには違いなく、健全に育ったシタキリソウの苗は全て不要なので、こっちとも同列なのがなんとも癪である。
 もとはと言えばシタキリソウとキジョランの大冠毛を付けた種子の見分けがつかず拾い集めて播種した事にあるけれど「シタキリソウにはアサギマダラは産卵しない」ことが理解できた現在、不要の産物でしかない。
 一方のキジョランの種子はフイールドで初めて着果したキジョランで、親ヅルは昨季8月末には枯れてしまったのだが莢は落ちずにいて11月には莢を開き大冠毛のある種子を見せてくれたから採集し播種した結果で、言わば落とし子で育てば二代目になる何物にも代えがたい貴重な種子だったのだ。

 ああそれなのにそれなのに…こころで育てと 叫んでも 口では言えず だだこの鉢を ちいさなお目目で 眺むだけ…嘆くのは当たり前でしょう。我に落涙無くとも天からの落涙は延々と続き、上を向いているだけのここ数日である。ヨモギパンでも作ろうか・・・。