トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

敢えてせんでもよかろうに…

2018-11-02 | 小父のお隣さん
 夕刊を取りだして何気にポストの中に視線を入れた。「もうーっ」とばかり丑年でもあるまいに一声上げてしまったのである。考えてもよう分からない。朝刊を取りだした時には入っていなかったはずで、蛹化のため糸を出してポスト内に固定された個体は幼虫の姿を留めている。

 もう10月も末日、年内に羽化する個体では無く越冬体として半年ほど過ごす蛹化体なのである。人工物を好む習性は承知だが、今までは外壁やシャッターケース、基礎の通気口側面などで蛹化し邪魔にはならない場所だったのに…と愚痴も出てくる。

 朝刊と夕刊、日々の定形不定形の郵便物が投げ込まれるポストである。半年間、無事に済むとは考えられない。蛹のために新しいポストに交換するにしても大枚1万円を用意しなければならないほど割高な商品だ。
 羽化期までガードを取り付けても羽化の日時は分からない。早朝に羽化するから飛翔できないうちに新聞の投函で痛めつけられるだろう。どちらにしても「困ったさん」なのだ。

 今季のジャコウアゲハの幼虫発生は食草のウマノスズクサの生育が思わしくなく、例年なら外壁に10体以上数え、玄関ポーチ回りには「お菊虫」だらけで、布教のおばさん達は「ピンポーン」するまでもなく「キャーッ!」とか言って退散していたのに、蛹化体は現在これだけしか確認できない少なさである。
 ウマノスズクサの本数は二桁になるけれど場所が悪くフェンスの際にまとめようかと思っていた今季ではあるものの、草取りもままならなかった今季ではウマノスズクサのお世話までは及ばなかった。その付けがこのような形になって反映したのかもしれん。
 
 まあ、幼虫は変態まじかかもしれないが失態・場違い甚だしく、小生は大変迷惑が実感だ。

  ポスト内に身を固定した   これから変態する  ➡   蛹化

               幼虫にポスト取られてもらいグチ   ちょっちょ姉

45年ぶり…爺爺の一分

2018-11-01 | 感じるままの回り道
 たまたまの出来事から昨年来連絡が取れ誘われていた基礎クラスの同級会に参加してきた。45年ぶりとかで当時の記憶は既に薄く少なく、それは頭部を見れば一目瞭然・一毛全然、面影も辿る事は出来ないような有様で、知らずに行き会ったらお互いに行きかう他人同士として一瞥もする事は無いだろう。再会するまでにはそれぞれに多様な人生と生き様があった。

 小生は稼ぐのに必死だったから学生生活をエンジョイする余裕はなく、数人と親しく出来た程度だったものの、一人は既に他界し、一人は老老介護の身で動けず再会は果たせなかった。
 小生に関しては名前も思い出せない級友でも様々な事を記憶しており「そういうものなのか…」と自己に対して想いを新たにした次第である。
 そんなことで温泉宿に泊まったものの入浴する機会を逸し、日付けが変わった午前三時近くまで話し込んでしまった。

 「付き合い」の悪い小生だったので級友を知る事も薄いままであったけれど、今回集まった級友は勿論、参加できなかった級友の近況を知る事が出来た。それを一言で言えば「初志貫徹」と言う事になろう。知り得た近況は、それぞれ道を究めつつ社会の要で現役を続けていて敬服するだけである。
 小生と言えば定年逃亡し姥捨て山に逃げ込んで社会的なかかわりは皆無なのだ。この歳になって「社会的関わりが少なくなると更に劣化する」という様な文章を多々目にしていたからワンパターンの日常にエポックメーキングするべく恥ずかしながら出かけたのであった。

 知り得た近況では、母校に入った動機を維持していただけでなく更に止揚し現在も教育・福祉、民生領域で活躍発展中のクラスメートが多数いたのには新鮮な驚きだったのだが、連絡もつかなくなった多くのクラスメートの中には小生の様に宗旨替えをした級友もいるだろう。
 たった一夜のクラス会であったものの「お爺さんは山へ芝刈りに行きました」というだけの小生自身を改めて眺めてみる機会となった。ひとくくりで表せば啄木の短歌が近いか…。
 自分としては今の対象が決して誤っているとは思ってはいないけれど、対象は替えたが初心は継続していると思いこめる理屈だけはあるから、これがよすがである。

 まあ、屁理屈の内だろうが「爺爺の一分」はあると粋がるものの、「爺爺の一糞」になってない事を秘かに願うのもまた胸の内なのだ。

           わがこころ けふもひそかに泣かむとす 友みな己が道を歩めり   石川啄木

           友がみな われよりえらく見ゆる日は 花を買い来て妻としたしむ   石川啄木