トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

イソヒヨドリ、二回目の育雛

2019-07-02 | 小父のお隣さん
 ポーチの化粧雨樋のカバー内に巣作りしているイソヒヨドリが二回目の育雛中である。玄関先でも二階のデスクにいても雛の鳴き声が聞こえてくる。
 ポーチに立ってカバーの網目から目を凝らすと僅かばかりだが雛の動く影も確認できる。巣幅は手のひらサイズしか取れない狭い場所なので雛は一匹か二匹なのだろうが確認する程の熱意も無し。

 今季一回目の巣作りに合わせ自動カメラを設置してみようと奮戦したのだけれど、どうやっても撮影モードに切り替わらなくてカメラは放置状態である。次のシーズンまでには何とかしたいし、巣箱を新たにに設置し巣内カメラでライブ映像も見たいと思っているけれど、今のところは夢想でしかない。

 写真は今期のものではないのだが年が変わっても親が変わっても行う行為は変わる訳でもなく、小生がなる「出箱の亀爺さん」は既に興味も失せている。巣内のライブならまだ関心がある。出箱から写すにしろ巣内カメラで見るにしろ定義からすれば「盗撮」になるのだろうか・・・。
 この撮影時、カメラとの距離は80㎝ほどで野鳥をこの距離で写せるのは最初で最後だろう。フイールドでもカメラを向けるものの概ねシルエットに近い画像ばかりなのだ。脚先を眺めるとスズメやツバメとはだいぶ異なる印象がある。まあ、言わば岩場に適応した脚なのであろう。それにしてもごっつく鋭い。

                           

隣接する池に御柱を建てる。

2019-07-02 | 水辺環境の保全
 ある日の事、眠りにつく直前のまどろみの中で浮かんだビジョンだがメモせずとも起床時には思い出した。こんな事は珍しい信じられない珍事である。
 それは完成前に再改修せざるを得なくなった「林接する池」の中央に産卵用の御柱を建てる事で、昨年に風倒木となって処理集積したヤナギの幹が横にあるのだ。

 この日、前日に水溜りの水面を基準に底面の水平を出しながら砕土攪拌し泥土を作っておいた結果か水がそのまま残っている。目論見では漏水で「水無し」だったのだが、水が抜けていないのは作業はやり難いものの喜ばしくもある。

 集積場所から意に沿う3本を選んで建てた。もともとは廃材で腐食させる材だから揃わないのは致し方無しでも破調は環境に溶け込むだろう。
 水位は40㎝程度と見込んでいるので低い材でも20㎝は露出するはずで、早く湛水して結果を確認したいけれど、堤を基礎から積み上げねば漏水を止める事は無理そうだから「頑張ろう胴突き」しかないのだ!

                 底面を平準化  ➡    「御柱」産卵柱を建てた
       

ようやく発見!アカボシゴマダラの幼虫

2019-07-01 | 小父のお隣さん
 取りたてて関心がある訳でもない幼虫の世界。それでも折々の生き物として確認はしたくなる。成蝶は6月の16日にS先生の声につられて見る事が出来たが一瞬だった。今季は刈り払いに着手出来ないままなので視認する機会も失われている。
 それでもエノキの幼樹にはストーカー紛いに接近するが接近禁止令はうけてはいない小生である。それでもお目当ての幼虫を発見できなくて「食痕」だけ見て帰る日々だった。

 ところがこの日、ようやく遭遇する事が出来た。幼虫とは言え既に立派な体格になっており終齢幼虫かもしれない。居た枝葉を丹念に観察しておれば緑色のみずみずしい蛹に出会える確率が高くなった。
 見出しにくい理由は保護色だからで視線を動かした程度では溶け込んでいて分からない。意識的に一葉一葉見ていく事でやっと見出した一匹なのである。それでもフッと視線を逸らしたりすると見失ってしまう事が多く、目が慣れないとでもいうのだろう探すのに苦労する。
 いつも思うのだがこの幼虫、アリジゴクの頭部に似ている。それはともかく幼虫を見るようになって数年、当地にもすっかり定着した。オオムラサキを見たくてエノキを植樹してきたけれど、オオムラサキでは無くヒオドヂチョウやアカボシゴマダラが繁殖に利用している。言ってみれば笑止恒例化。
 まあ、全てはあなた任せこなた委ねの希望的観測的日々・・・。

                               

上の池のオーバーフロー部

2019-07-01 | 水辺環境の保全
 この日の前日、オーバーフロー部の改修を済ませ「満水位で溢れ具合はどうか?」と朝一番に向かったけれど満水位に到達してなかった。
 水位をたかだか20㎝ていど高める設えだったのだが一晩かかっても満水になれなかった送水量という事である。

 オーバーフローから水が落ちていなくても気落ちする場合では無く「従前設えていた丸太橋をどうする?」という課題が残っている。半割丸太二本で形成した丸太橋の片方はオーバーフロー部の堰に転用している。
 作った当時は「子どもたちも通るだろうから…」と二本渡しにしたのだけれど、もともとは見回り用の作業道なので無くても構わない代物だ。ただ半割れが残っているので結局は一本橋で設えた。

 橋の脚と言うか支持台となる丸太は流路の護岸も兼ねているしこの流路の下は丸太ダムと土嚢で埋めた部分であって杭打ちで止め難い。そこで両端に渡した半割丸太を「橋」としてこれと組ませて固定するのがベストと判断し再びチェーンソー作業となった。
 半割丸太の両端下部にU字カットを行い、これに護岸木を組ませる。これで流路方向にずれる心配は無くなった。横滑りの可能性はあるけれど重量物だしがたつきも調整したのでとりあえずは大丈夫だろう。追加でカスガイを打って固定すれば完璧である。

 二本渡しから一本渡しになったけれど幅45㎝はあるしチェーンソーで綾目を刻み滑り止めとしたのでまあ上出来の口、いいえ橋。やっぱり爺我自賛してしまうけれど、誰も褒めてくれないのだからしょうがない。小生は褒められて調子の乗るタイプである。
 まあ、爺もおだてりゃ泥仕舞い、てなところだろうか。空耳だろうが「一本橋ごろうじろトロル爺さんひょっこりコ」なんて童謡が聞こえた。しかしもう歳だからして幻聴や耄碌の範疇であっても動揺はしない。この事態こそが耄碌の証し・・・。

   前日  ➡   満水にならず        一本橋として設えた