発酵に拘泥するのは小生が薄幸だったからでその証拠は頭頂部が発光して照明、いいえ証明している間違えようもない事実なので取調室でも「間違いありません」と言わざるを得ない。それで「かつ丼」が提供されれば差し引きプラスである。人生というもの決して「不光」ではないのだ。
まあ、耄碌ここに至り、病膏肓に入ると言われかねない小生ではあるけれど二度童ともなれば後退一方で郷里で食した食べ物がご馳走になっている。このごろ「醤油の実」を新米に載せてアフアフと掻っ込めないかと妄想中なのだがそれよりも魅力的な食品を知った。それは津軽地方の伝統食品「ごど」なのである。
「ごど」はかの発酵学大先生小泉氏だったかの著作「臭いもの大全」?だったかに載っていたように思うのだが既に手元には無く確かめられない。たまたま女優小雪さんが尋ねる番組で改めて開眼。最初は「魅力的な女性になったなあ!」だったけれど顔の向きを両手で「ごど」に向けなおして平常進路にしたのだった。まあ、いい歳こいて目ん玉をピンクのハート型にしようとは祖父母や父母とも思っても見なかっただろう。
それはともかく解説中に「納豆菌・糀菌・乳酸菌」で出来上がる食品と言ったのを聞き、これは「えひめAI」と同じではないかと気が付いたのだ。もう「食べるえひめAI」である。過去ブログにも掲載したが「食べるえひめAI」は試作している。この時「ごど」は頭に無かったから、となると作って食べて見なければ収まらない。

まずは材料集めなのだが納豆と糀、塩は家にある。不足した大豆は水煮が安く店頭に有ったので二袋購入し納豆と混ぜてまずは納豆を用意する。
一晩、40℃10時間、ヨーグルトメーカーで発酵させて準備万端。今回もリサーチしていたレシピとは異なるのだが、比較してみればテンデバラバラなのはいつもと同じ。もともとこういう食品はアバウトで構わないのである。であって今回のレシピは残り物の使い切りに重点が行った。
納豆 400g(水煮二袋に納豆1パック分で発酵させた)
糀 100g
塩 20g(豆のほぼ5%)

当初は透明容器に入れ食卓の上で経過観察を行いながら養生させるつもりだったものの気温が20℃程度までの肌寒い状態が続くのでヨーグルトメーカーに入れ替えて28℃で1週間を目安に発酵させる。

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一週間経過した状態である。ここまで1日1回撹拌し使ったスプーンを舐めて味を見てきたのだが発酵が進むにつれて蓋を開け匂いを嗅ごうとするとむせかえってしまう事があった。アンモニア臭のような刺激臭である。
一週間経過した段階で「スプーン一杯の幸せ」を味わおうと口に入れたのだがこれが何とも摩訶不思議チチンプイプイアブラカタビラだった。思わず「Oh!」とも「Àa! 」とも言えぬ感想であった。発酵による重奏調の味わいはチューバやコントラバスを奏でられたごとく身体髪膚の隅々までしびれが行きわたった。その後に生じるバグパイプと竹製の打楽器‘’ジュゴグ‘’の合奏のような感覚、人生晩秋に於いての初体験というのも「あるのだ!」。
まあ、材料に間違いは無いけれど伝統的レシピ通りではない配合だから影響はあったのかどうなのか比較材料も無いから何とも言えない。更に1週間の発酵を継続する事にした。
余談で蛇足なのだがレシピを比較していた段階で「ごど」の事を「コンタミネーション(雑菌汚染)」と記述していた記事に出会ったのだが「contamination」は確かに「汚染」と辞書にあるけれど「雑菌汚染」と記した理解は全く間違いと言うしかあるまい。「ごど」は雑菌汚染された食品ではなく「意図された複合菌発酵食品」である。
この「汚染」とする用語を持ってきた最初の経緯を知る訳もないのでむやみな指摘は控えたいところであるけれど、小生が想うに「ごど」の事も「複合菌発酵」という事実も判断できないまま「汚染」とした表現解釈があまりにも稚拙で理解力が無い。
「ごど」の発酵食品としての科学的価値は研究者さえ度肝を抜かれる「複合菌発酵」にあり「雑菌汚染」こういう表現は伝統的発酵食品を生み出した下々在野の創意工夫や知恵を馬鹿にしている。
ここで怒り心頭、鼻腔までつながって回路が復旧した。1週間目の匂いは何を隠そう「シンナー」あるいは「ペイント洗い液」を想起させる香りだった。これは何を意味するか…分かるはずも無い。「アンモニア臭」が生じるとの記述もあったけれど、むせかえりはしたもののアンモニア臭とは思えなくやっぱり「シンナー臭」である。
更に12日目、撹拌すると糀や豆の分解が進み溶け合う感じになっている。スプーン1杯を口に入れればまずは納豆の味わい、大豆を噛みしめれば塩味が感じられ匂いはまろやかになった気がする。炊きたての新米に乗せて食してみたいのだが南魚沼の新米はまだ届かない。仕方がないから冷蔵庫で待機させる。