トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

今日のトンボ「わぁ!驚いた・・・」

2023-09-16 | 小父のお隣さん

 「わぁ、おどろいた!」には記憶がある。少年時代、自宅で購読していた農家向け月刊誌「家の光」の読者投稿写真欄がそれでテーマだったのだ。記憶している写真はただ1カットだけで、それはオムツを外した瞬間に噴水の様におしっこが吹き上がる瞬間を写したものだったのだが小生が子育て中にも同じ体験をした事があるので記憶の再生定着の結果いまだに忘れないのだったと言えよう。

 さて閑話休題、「お約束」はしていないから「定番」と言った方が適切なのだろう水見回り、泥水池内の抜去除草でヨレヨレドロドになり「スルーして帰ろう…」と思ったものの上の池から水見回りを開始したのだがオオカナダモの株が長靴では入れそうな距離に見えたから抜き取って沈泥部の流速を落す扇状部を渡ろうとしたその時、足元にオニヤンマの産卵する姿が見えて立ち止った。足元から50cm程度の距離だったから「逃げる!」と思ったのだけれどオニヤンマは何事もなかったように産卵を続けてくれたのだ。

 「撮影のチャンス!」とばかり握っていたオオカナダモをそーっと地上に置きカメラを取り出しながら構えたがまだ安定した姿勢で産卵中だった。だからこそ今までにないはっきりとした写真になったのだが多分、偶然の要素が大きいだろう。現場で出来栄えを確かめる事はせず自宅でPCのモニターで見てビックラ仰天だった。それと言うのもボケない写真が多かった事もあったのだが「打水産卵」と承知していた産卵時、腹部の半分以上が泥に入っていた。図鑑で腹部の黄色模様を数えたら腰部まで7つ数えられる。一番深く入っていた写真では3環しか数える事が出来なかった。肝心の写真はボケが目立ちその次に深く入っている写真を下にアップしたのだがボケ気味なものの泥中に入っているのは判明できる。

 腹部末節の感覚系はその機能から敏感のはずで必要以上の挿入はしないはずだと理解しているけれど写真を見る限りではそうでも無いのでこれは新鮮な驚き桃の木山椒の樹・・・。泥から生えたトンボの樹。


イースターエッグの試作 10

2023-09-16 | 何よりの楽しみ

 天気予報が不安定で午後からは降雨予報が出ている。朝方の雲とお日さまは鬼ごっこ状態で結局は出かけるのを断念した。熱中症警戒アラートも「危険」の32の数値まで出ていたから妥当と言えば妥当なのだったが時間つぶしに工夫がいる。そこで先日、杭の切れ端を持ち帰り室内乾燥させていた端材で卵を削ってみる事にしたのである。杭の外径はほぼ60φなので作ってきたサイズに等しいし何より丸材なので角材や割り材から円柱を削り出す手間も不要なのだ。桐材の二枚合わせで3個製作すると材料費だけで800円ほどかかるのでこの金額で90cmの杭を2本購入できる。これは絶対に安価なのであった。

 杭の端材なので3個分しか取れなかったものの試作の範疇で木質と仕上がり程度を確認出来れば良いのだから1個だけでも構わない。長くフイールドに放置してあった端材なので黒ずみひび割れも見えていたけれど削り出す卵には影響が出ないひび割れだった。ただ杉材だったのと放置状態が相まって薄い茶色になっているが下地塗りして使う予定なのでいささかも障害にはならなかった。今回、丸材である事と1個づつ削り出す方法にした結果、押しコップを使わずに済み、そのため卵型のお尻の部分の曲面を綺麗に削り出せて磨きも容易だった。尖った先端部も千切れないギリギリまで攻めサンドペーパーで磨きをかける事が出来たので仕上がりも最良となった。しかし切り離し部はヤスリで成形し再度、前回作った研磨用スリーブを活用できたから夕方までに3個落着、誠に祝着至極であったわい。

    


今日のエーッ!品「キムチ糀漬け」何作目になるか…

2023-09-15 | 何よりの楽しみ

 前回作は酸っぱい味わいを噛みしめながら食べ尽くした。今回の試みは「ヌルヌル食材は健康に良い」とも聞くからシイタケの代わりに大粒のナメコを加えてみた。ナメコはレンジで加熱したものの容易に冷めないので戻した切り干し大根と塩昆布を混ぜ合わせ糀と混ぜた時に熱くない温度まで下げておいた。今回の材料は次の通り。

          キムチ     1kg

          乾燥糀     200g

          塩昆布     180g

          大粒ナメコ   200g

          切り干し大根    30g

 なかなか冷えないナメコに切り干し大根を投入し混ぜ合わせ更に塩昆布を投入し混ぜ合わせてから活性化させた糀を加えた。これにキムチを加え良く混ぜ合わせて容器に納めればひとまず合わせは完了で1日ほど冷蔵庫で養生させてから試食である。肝は「ナメコのぬめりがどう感じるか…」なのだが、もう一つのヌルヌルネバネバ食品の代表「納豆」も加えるつもりなのである。既に納豆のタレの代わりに本品を大匙一杯ほど加えて食べているのだがこれもなかなかいけるのであった。ここでまた頭頂部がピカピカした。「そうだ!シオカラも入れた物も作ろう」かくして二瓶の片方を更に二分割し一方は納豆、一方はシオカラ入りとして「両手に華」とするのだ。火鉢があれば大岡越前様ご母堂の様に火箸で灰をなぞりたい気分である。

 そこで思うまでもない津軽地方の発酵食品「ごど」の存在だ。前回作は大豆の代わりに黒豆を加えて食べたけれど納豆菌は入っていない。今回は二瓶に分けたのだが片方は更に二分割し前述の如くにしてみるつもりである。「ごど」の特徴である「確信的複合菌発酵食品」のもつパワーを更に高めて腹に納めたい。まあ、尾籠な話なのだがこの食品を日常的に食べ初めてからは排便に力みが不要だ。黙って座ればスポンで終わる。もっとも日本全国・青い地球上ではほとんどがその範囲はスッポンポンのはずだ。

 さてまあ閑話休題、こう言う試行を繰り返しているとあられもない妄想が湧いてくるもので「ビール酵母や酪酸菌、ミドリムシや乳酸菌」を混合させたらどうなるかとみだらな思いがふつふつと湧いて「危ない爺さん」になっている。その背景には二枚貝を避暑と養生で野池に戻した結果給餌用の混合粉末が残っているのである。来春まで保存するよりも使い切った方が菌が休眠状態と言えども劣化させるより役に立つだろう。まあ、腸内にはインバウンドとも言える細菌叢をお届けする事は友人知人既知の仲間が立ち寄ることでもあり腸内細菌様も大喜びするはずである。小生にとって日々の食事は少年時代、家畜へ飼葉を与える行為と似ており、その家畜で生活が成り立っていた重要な基盤であった。それと同じく小生も腸内細菌様のおこぼれとお情けで活きているのである。そこで確信的妄想を一言「神仏は我が体内におわします…」てなもんや三度笠。

 


水域植生調節の余禄・・・

2023-09-15 | 小父のお隣さん

 意図せずに遭遇してしまう事はあるものだ。泥水池1のチゴザサ抜去中に抜き取って散乱していた泥付き株を造林鎌で引き寄せていたところ表面で光る物があった。動きがあるから「魚」と承知したのだが引き寄せて確認したら当歳のクチボソだった。この池内で誕生したかどうかまでは不明なものの繁殖している確認はとれたと言える。この確認は一月も前に上の池のオーバーフロー部の水溜りで捕獲した個体でも確認しているから「今更…」でもあるけれど水域に広がっている事を示してもいるので祝着至極であろう。

 もう一体はズガニだった。これも抜去体を引き寄せた中に入っていたのだがまだ甲羅が軟らかいし新鮮な個体だった。きっと脱皮が終わり外殻の固まるのを待つまでの時間がないまま抜去の嵐にもまれて生き延びれなかったのだろう。この個体を見て想った事は「こんな泥地を生活の場にしているのか…」と言う事で、もう少し水の濁らない環境を選ぶとばかり思っていた小生である。上海カニだったか脱皮直後のカニは大層高級品だとからしいのだが小生的には食べる範疇にはない。やはりカニは硬い外殻を切り分けて食べたいな。とは言えお正月のタラバガニでさえ口には入らない生活では最近流行りの「カニもどき」すら口にする事も無い。


*新涼の頃

2023-09-14 | 感じるままの回り道

              新涼も新郎あたりはご身労

              補水液請う音も闇し隠居部屋

              新涼の通りよかよか鼻毛切る

              雲満つる厄日は鎌を研ぎ済ます

              仲秋や丑三つの窓首延ばす


シェルター水路の植生調整

2023-09-14 | 水辺環境の保全

 シェルター水路はチョロ水だけれど絞り水の流入水を貯めている結果、送水設備の不具合で水域が断水の憂き目に遭ったとしてもとりあえずは湛水を継続できる。であるから水域面積としては小さいものの水生生物のシェルターとしての役割を位置付けているのである。しかし水域に草勢が優勢となり水面が少なくなるとトンボの飛翔は目に見えて低下する。草勢の合間に見える水面に産卵しに来るメスはいるかも知れないけれどオスの縄張り行動そのものは空域には無くなってしまった。

 この水路の南側は日陰の部分になるし、この日は「曇り模様」の予報だったから「少しは涼しいかも・・・」と作業に出かけたものの絶賛ピーカンとなってしまい作業開始ほどなく「帰宅するか…」のサボリ虫が蠢き始めた。そんな折に時折は立ち話となる山域散歩の親父さんと挨拶がてらの年寄りの冷や水愚痴三昧で気分が代わり水路内の除草を済ませたのであった。しかしながらシャツもズボンも顔面も眼鏡も泥跳ねで「草取りは爆発だ!」と超前衛的佇まいとなったのである。

 草を抜去しながら上棚の法面を見ればあらかたが破壊されている。言わずと知れた威之志士様の跋扈蹂躙の結果であるが、ここに泥付きの植物体を上げれば晩秋には更に威之志士様を呼び込む事になるし涼しくなってからの補修と言うより復旧に近い土木作業の妨げになるから全て畔に上げたのだ。しかしながらこれもそのままには出来ず乾燥していくらか軽くなった時点で場外搬出をしないと畔も威之志士様の跋扈蹂躙に遭ってしまうのはお約束になってしまう。どちらにせよ水域の手入は自転車操業の水商売に他ならない。

 日陰の部分から除草し始めたのだがほどなくヤブヤンマが産卵に飛来して着地しそうになるとシオカラトンボのアタックを受け追い立てられる。ヤブヤンマ自体も思うところがあるのだろう数回の着地を試みつつ「叶わない」と思ったのか飛び去ってしまった。小生としては産卵シーンの撮影を逃したのである。


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「死んでも命があるように・・・」

2023-09-13 | 小父のお隣さん

 蜘蛛は昆虫ではない。小生とてその程度の知能はまだ現存させているけれど昆虫図鑑にはクモの頁はあるので「昆虫スコイぜ!」として掲載した咎めは出版社にある。エノキの葉上にアカボシゴマダラの幼虫でも居ないだろうかと帰路、立ち止って眺めていたら蜘蛛の姿が目に留まった。一見して蜘蛛の全身があるのではないのが明白だったから遠視と乱視の眼の焦点を当てたつもりで眼をを近づけたら蚊帳みたいなネット状の中に子蜘蛛が群れているではないか。それで解ったのだった「母蜘蛛は産卵して孵化するまで見守っていたのだろう」と。

 薄れた記憶だけれど孵化した我が子に自分自身を食べさせる習性と言うかそういうシステムを有する生物は珍しくも無いのだった。親の立場になれば「我が子の社会化」までが責任があるともいえるからこの蜘蛛の母御もきっと我が身を提供したに違いない。思えば本能に従ったとは申せ慈母としての慈しみであるとも思える。一方、幼子を床に叩きつけたり熱湯に沈めたり足蹴にしたりと鬼畜以上の行為を行う輩も報道から消える事も無い日々だ。そんな中でこのようなシーンに出会うと汗と泥でドロドロヘロヘロの孤爺とは言え少しだけだが足腰がシャンと伸びるような心持になる。欲を言えば足腰だけでなく頭頂部の何やらも伸びて欲しいのが偽りのない胸の内だけれど、こればかりは若き日のみぎりより継続した結果でもあって無理な願いだと言う事は合点承知の助でもあるのだ。

 母蜘蛛の想う事までは分からないけれど「自分は死しても我が子の命になるように・・・」と見守って我が身を与えた心魂は幼子を傷つける輩、というより鬼畜には持ち合わせない慈性である。ここのところ報道を騒がせている常習鬼畜を温存していた組織はどういう結びをするのだろうか…。それらは以心伝心・忖度・知らぬ顔の半兵衛みたいに「みんなで凌げば怖くない」てなもんや三度笠で行くのだろうねきっと。まあ、隠れ連帯かつ村長の腹積もり…てなもんや三度笠。

     


イースターエッグの試作 8

2023-09-13 | 何よりの楽しみ

 卵型削り出しは「もうやめた」と思ったものの先日の水見回り中に打ち込んで長い部分を切り捨てた杭の端材が目に留まったのだ。「これは使える!」と持ち帰り日陰で乾燥中だ。てなことでもう数個は作る事にする。よくよく考えてみれば購入する杭は丸く加工済みで節は多いけれど直径も手ごろで何よりも価格が安い。桐材やヤナギ材と比較すれば重みは上回るけれど強度はあるから加工中の安心感もあるのだ。

 それはともかく1個づつヘソを取り滑らかにしたけれど手に持っての修正は曲面が野暮ったい。ここはどうしても回転させながらサンドペーパーを掛けないと望んだ仕上がりにはならない。そこで幾つかの案を考えて「旋盤を使う」と「回転砥石台を使う」の二案が現実的になった。しかし「保持力」は摩擦力だけなので旋盤の回転数だとぶっ飛ぶ恐れがある。それに比較すると回転砥石台は回転数は落ちるし縦型の回転だから安心感は望めるのだが取り付け方法に一考を要するのだ。

 さて、削り出したヤナギ材の卵型は古材である事と元々組織が荒い性質もありささくれや組織が脱落しあばたも見える。ここに充填剤を入れたのでその部分も回転磨きは必要だった。そんな事で取り付け容器を加工中に「このまま磨き作業を行ってみよう」なんて妄想が生じて行ってみたら何とか出来るのだった。もちろんギュッとねじ込んだだけの保持力なので無理は効かないし回転中心を出すのは「ラッキー!」に委ねなければならない。それでも夕刻まで掛かって磨きを終えたのだ。しかしながら肌の粗いのはいかんともしがたい。ここに塗料を重ねても木目が浮き出てしまいかねない。胡粉がホームセンターには無く中心部の画材店まで行かねばならないのは億劫なので砥の粉を使ってみた。なんとか「目止め」は出来て素肌美人に見えて来たけれどアバタを全て消し去るのは無理だった。女性の化粧への努力が判る気がした。

 それはともかく砥の粉を塗り粗く落としただけの状態と未塗装を並べてみたのが下の写真である。やはり霊験あらたかで、これをもう一日乾燥させて再度布地で磨けば下処理はOKとなるはずだったが…。

     


*残暑寸描

2023-09-12 | 今日は真面目に

               見回りの裾濡らしけり朝の露

               夏の露羽化するトンボにゃちから水

               ヤナギ原一樹一樹と虫を追う

               露涼しテネラル煌めく先立ちて

               日盛りは木下闇へと生き延びる

               油照りため息も出ぬ草いきれ

               林道の片陰歩む店じまい

               山滴る汗もし垂らす地拵え

          


今日のトンボ「ネキトンボのネキ」

2023-09-12 | 小父のお隣さん

 姿を見るたびに「⁉」と思わずにはいられないのがネキトンボなのである。「ネキ」は「根黄」なのだとS先生から教わったけれど感覚的にも「根黄」には見えないのである。似た様な事例は「モンキアゲハ」の白紋なのだがこちらは「変色していた標本で命名した結果」だとこれもS先生から教えて頂いた事である。ゆえにまあ、似た様な事例は幾つかあるのだろう。

 さて泥水池1の抜去除草を開始して水面が広がった頃になってネキトンボが飛翔してきたのだが、池の中に挿してある竹の枝先に降りたのだ。横には泥まみれの小生が所在なく突っ立っていた結果、至近距離で撮影できたのは執着至極であったわい。PCで拡大してみるとやはり「根黄」の痕跡など無くて「朱か赤」としか思えなかった。まあ、どうでも良い事なのだが命名する際の事情を妄想するのは一時の暑さ忘れにはなった・・・。

     


手抜きのつもりが手抜きになった

2023-09-11 | 水辺環境の保全

 水域に侵出している草本の処理をせねばならない規模になった。山域の植生調整はひとまず置いといて泥水池の水域保全に入る。水が滲みる長靴は新品にするつもりだったけれどホームセンターには無いメーカー品なので都合がつかなかった。意を決してそのまま作業したもののやはり気持ちが悪い。長靴の中は浸入した泥水で不快この上ないのだった。この日の気温は33℃ほどだったので猛暑日とは言えないけれど抜根作業は体力勝負で直ぐに敗退したのだった。気力が萎えて来ると身体能力も退廃していくのだろう。

 作業予定は泥水池4,5と沈泥地の予定だったけれど泥水池4と5だけで嫌気がさして撤退した。体勢として少しは楽になるので4本鍬を打ち込み摺動させ抜根する作業だったのだがほどなくしてクワ本体が柄から脱落してしまった。畑跡地で朽ちた物を拾い刃先を揃え廃品になっていた古いクワの柄を取り付け再生した4本鍬なので柄の太さが固定金具と合わず結局は使い過ぎるとバラけてしまうのだ。ここは思い切って新品の柄を取り付けなければならない。代わりに3本鍬で打ち込み摺動させ抜根を始めたのだが刃先が平先なので打ち込み難いし刃の長さも短く、これはこれで使い勝手が悪くて結局は道具を捨て手抜き作業になってしまった。

 まあ、道具を使えばてこの原理を応用できるので抜根も楽なのだがどうしても抜き漏れが出てしまう。こうなると手抜きに頼るほかなく「手抜きするつもりで道具を用意したものの道具側が手抜き」だった結果は四つ這いになって抜根作業となった。これでもううんざり・・・。明日回しである。


二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「メドハギに産卵」

2023-09-11 | 小父のお隣さん

 キタキチョウの食草・植樹はネムノキやメドハギと書いてあるもののネムノキへの産卵は上を見上げる事になる結果、ほとんど見たことが無い。メドハギについては小生そのものが知らなかったという事も相まってキタキチョウの産卵も見たことが無かったのである。だからと言って「見た!」からどうと言う事でも無いのだがまあ、そこは里山の賑わいなのである。そんな事で昨秋、探して採種しておいた種子を直播きしたのだがほとんど発芽せず発芽した数本も生育が著しく悪く「結局は丹兵衛どん」となってしまい仕方なく残った3本をポットに上げ家で養成してから定植したのだが9月での背丈は20cm程度である。

 それに引き換えS先生が同時期に自宅で播種した株は50cmを越え立派な成株になっていた。それを譲り受け小生の養生株と共に昨季の「イヌガラシの夢の跡」に定植したのが活着している。水見回りの途中にコースなので様子見に立ち寄ったらキタキチョウが3頭群れている。見るともなく見ていると止まっては腹部先端を曲げて葉に擦り付けているではないか。間違いなく産卵しているのだった。この時期の産卵は蛹での越冬体なのか成虫での越冬体になるのかの承知はないものの、とにもかくにも産卵は見たので遅ればせながら「繁殖種」であることを確認できたのだった。


奥の院の植生調整

2023-09-10 | 今日は真面目に

 奥の院の林床はヤブジラミが繁茂している。もう一方の雄はヤブミョウガであちこちん大きい群落を形成している。背丈も腰のあたりまで達しているからこの中に入ればイノシシは姿を隠せる。フイールドに出てきて被害を広げるのまで防げないけれど安住の環境は少なく出来るのだ。ヤブジラミの大繁殖はヌスビトハギに同じく獣に依る散布が大きいのだろうと推察するがヒッツキムシとしての不快さは立ち入らない者には理解できないだろう。今回の作業はヤブジラミの地際からの刈り取り及びヤブミョウガの間引きである。春たけなわの頃にはスミレ・タンポポやセントウソウ、ウラシマソウなどが目を楽しませてくれた林床であるけれど晩夏ともなると入るのを躊躇われる草勢になった。

 こうなるとイノシシにとっては躊躇う場所ではなく安住の場所となる。そうさせないためにも辺縁部の植生調整は欠かせない。何度も行き来したい場所ではないので燃料の予備を携行して作業に入った。坊主刈りはしないので作業の跡は雑然として見えるのだが生態系の保全を考慮すれば丸坊主より断然保全度は向上する。坊主刈りなんて畑地や住宅地・施設周辺の管理の仕方であって「刈り払い」の一言でかたずけてしまう認識は環境保善には危ういものでしかない。

 この日の作業は急斜面への下までで時間切れ。燃料はタンク二回分満タン消費だった。残りの斜面の作業する前に水域の除草をしなければならなくなったのだが長靴に水が入り込むようになってそろそろ交換時期だし長靴を新調しないと水域には入れない。帰宅時に購入するつもりでいるのだが帰宅する時点では忘却の彼方だ。「シャワーを浴びたい!」気持ちは全てに優先してしまう。

 


イースターエッグの試作 7

2023-09-09 | 何よりの楽しみ

 杭棒の端材からの試作は後回しにし塗装の比較をしてみた。材料はヤナギ、キリ、スギ材の三種である。これにアクリル絵の具と胡粉ジェッソとか言う下塗り剤の二種で比較してみるのである。塗装した後で塗料の区別がつかなくなる恐れもあるので塗装前に長めの形状とズングリした形状をそれぞれ選んでから半分塗って乾く間に急いで夕食を掻っ込み反対側を塗る。乾くのも待ち遠しく手に付かなくなったのを確認して比較する。

 アクリル絵の具の方が木地が隠れるし艶も良い。色合いも実物の卵に近いけれど艶があり過ぎる感じがする。胡粉ジェッソは生地が透けて見えて下地材としては優秀なのだろうが木地が見えなくなるまで数回は塗らなければいけないと判断、これではコストが馬鹿にならないのだが「耐水性のある皮膜を形成する」と説明にあったのでこれらはこれらで用途別に使えば良いのだ。結果として「イースターエッグ」としてペイントする素材であるから「どちらでも良い」のではあるけれど「卵に見せたい」思惑でアクリル絵の具に軍配を上げた。しかしそうなると胡粉ジェッソが残ったままになる。

 「えい!ままよ!」とばかり本塗り痔には不思議膏金鵄丸、いいえボヤキ塗ーる、では無くて本塗り時には両者を混ぜ合わせてみるつもりだ。混じり合う素材同士であるのが大前提であるものの、うまく混じり合ってくれればアクリル絵の具の艶やかさが抑えられ落ち着いた色合いになると妄想は激しい。ガラスの小瓶を捜さねば・・・。

     


拠点斜面の植生調整

2023-09-08 | 今日は真面目に

 拠点斜面にもヤブジラミが目立ってきた。早春のネザサ抑制後早や半年、ネザサも勢力を示し始めているし暑い最中ではあるけれど刈り取り調整に入った。ヤブジラミやヌスビトハギなどのヒッツキムシもこの時期に排除しておかないと触れるたびにえらい事になってしまう。いまの時期なら種実は柔らかく引っ付き力も弱いし未熟さがある。株も再萌芽するけれど大急ぎで背丈が低いまま種子を付けたとしても数は減少するし衣服につく機会も無くなるのだ。

 古い刈り払い機のパワーが弱く前回は泣かされたので新しい機種に変えた。アクセルレバーの人間工学的な位置が悪く使いずらく避けたのだが再び「駄目元!」でレバーグリップの角度調整に挑んだところ動いてくれたのだ。一応は作業前に肩掛けして位置を調整したものの実際の作業となると少々勝手が異なり作業しながら微調整すれば良かったと思いつつ六角スパナを携行しなかったので果たせなかった。シュミレーションだけでは万全とは言えない事もあるのだ。

 選択的刈り取りだし下ばかり見ていて気が付かなかったのだが防護面を通して横切った影が見えたので顔を上げたらクヌギの幹があった。そこにはオオスズメバチがいて熱心に穴を穿っている。アブも数匹が遠巻きにして様子見していたが近寄らせてくれない。もう一匹のオオスズメバチは同房ではないらしく寄り付くたびに追い払われていた。このハチが視野を横切ったのだと推察する。孔は親指がきついくらいだが深さは20mmほどに達している。樹液の出た痕跡はあるけれど濡れているほどでもない。となると何を好んで深く喰い入っているのか分からなかった。刈り跡を眺めてみれば雑然として見え単に踏み荒らしたとしか見えない。日当たりの無い林内なので生物の種も数も少ないはずなのだが坊主刈りでは生物的荒廃をもたらすだけだろう。