トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

二点位置流れ・昆虫スコイぜ!「死んでも命があるように・・・」

2023-09-13 | 小父のお隣さん

 蜘蛛は昆虫ではない。小生とてその程度の知能はまだ現存させているけれど昆虫図鑑にはクモの頁はあるので「昆虫スコイぜ!」として掲載した咎めは出版社にある。エノキの葉上にアカボシゴマダラの幼虫でも居ないだろうかと帰路、立ち止って眺めていたら蜘蛛の姿が目に留まった。一見して蜘蛛の全身があるのではないのが明白だったから遠視と乱視の眼の焦点を当てたつもりで眼をを近づけたら蚊帳みたいなネット状の中に子蜘蛛が群れているではないか。それで解ったのだった「母蜘蛛は産卵して孵化するまで見守っていたのだろう」と。

 薄れた記憶だけれど孵化した我が子に自分自身を食べさせる習性と言うかそういうシステムを有する生物は珍しくも無いのだった。親の立場になれば「我が子の社会化」までが責任があるともいえるからこの蜘蛛の母御もきっと我が身を提供したに違いない。思えば本能に従ったとは申せ慈母としての慈しみであるとも思える。一方、幼子を床に叩きつけたり熱湯に沈めたり足蹴にしたりと鬼畜以上の行為を行う輩も報道から消える事も無い日々だ。そんな中でこのようなシーンに出会うと汗と泥でドロドロヘロヘロの孤爺とは言え少しだけだが足腰がシャンと伸びるような心持になる。欲を言えば足腰だけでなく頭頂部の何やらも伸びて欲しいのが偽りのない胸の内だけれど、こればかりは若き日のみぎりより継続した結果でもあって無理な願いだと言う事は合点承知の助でもあるのだ。

 母蜘蛛の想う事までは分からないけれど「自分は死しても我が子の命になるように・・・」と見守って我が身を与えた心魂は幼子を傷つける輩、というより鬼畜には持ち合わせない慈性である。ここのところ報道を騒がせている常習鬼畜を温存していた組織はどういう結びをするのだろうか…。それらは以心伝心・忖度・知らぬ顔の半兵衛みたいに「みんなで凌げば怖くない」てなもんや三度笠で行くのだろうねきっと。まあ、隠れ連帯かつ村長の腹積もり…てなもんや三度笠。

     


イースターエッグの試作 8

2023-09-13 | 何よりの楽しみ

 卵型削り出しは「もうやめた」と思ったものの先日の水見回り中に打ち込んで長い部分を切り捨てた杭の端材が目に留まったのだ。「これは使える!」と持ち帰り日陰で乾燥中だ。てなことでもう数個は作る事にする。よくよく考えてみれば購入する杭は丸く加工済みで節は多いけれど直径も手ごろで何よりも価格が安い。桐材やヤナギ材と比較すれば重みは上回るけれど強度はあるから加工中の安心感もあるのだ。

 それはともかく1個づつヘソを取り滑らかにしたけれど手に持っての修正は曲面が野暮ったい。ここはどうしても回転させながらサンドペーパーを掛けないと望んだ仕上がりにはならない。そこで幾つかの案を考えて「旋盤を使う」と「回転砥石台を使う」の二案が現実的になった。しかし「保持力」は摩擦力だけなので旋盤の回転数だとぶっ飛ぶ恐れがある。それに比較すると回転砥石台は回転数は落ちるし縦型の回転だから安心感は望めるのだが取り付け方法に一考を要するのだ。

 さて、削り出したヤナギ材の卵型は古材である事と元々組織が荒い性質もありささくれや組織が脱落しあばたも見える。ここに充填剤を入れたのでその部分も回転磨きは必要だった。そんな事で取り付け容器を加工中に「このまま磨き作業を行ってみよう」なんて妄想が生じて行ってみたら何とか出来るのだった。もちろんギュッとねじ込んだだけの保持力なので無理は効かないし回転中心を出すのは「ラッキー!」に委ねなければならない。それでも夕刻まで掛かって磨きを終えたのだ。しかしながら肌の粗いのはいかんともしがたい。ここに塗料を重ねても木目が浮き出てしまいかねない。胡粉がホームセンターには無く中心部の画材店まで行かねばならないのは億劫なので砥の粉を使ってみた。なんとか「目止め」は出来て素肌美人に見えて来たけれどアバタを全て消し去るのは無理だった。女性の化粧への努力が判る気がした。

 それはともかく砥の粉を塗り粗く落としただけの状態と未塗装を並べてみたのが下の写真である。やはり霊験あらたかで、これをもう一日乾燥させて再度布地で磨けば下処理はOKとなるはずだったが…。