澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台北・猫空(マオコン)でお茶を楽しむ

2011年10月02日 22時44分41秒 | 台湾

 9月22日、台湾旅行の初日、午前9時半には松山空港(台北)に着いてしまったので、ホテルに荷物を預け、台北駅2階の食堂街で食事。飲茶の店だったが、結構、美味しかった。
 夕方、台湾の友人であるTさんと食事をする約束だったので、それまでの時間をどこで過ごそうかと相談。結局、台北の郊外・猫空に行こうと決まった。猫空(マオコン)は、MRT木柵線の終点「動物園駅」で下車、ゴンドラに乗り換えて行く。


 (猫空ゴンドラの駅表示。4つ駅があり、総距離は4,033m)

 2年前、台北市動物園を訪れたが、そのときは猫空行きのゴンドラは運行していなかった。たぶん、台風の被害があって、運行休止になっていたのだと思う。動物園には、「トロイの木馬」と揶揄されたパンダがいて、結構、見物客が群がっていた。蛇足だが、大陸から送られてきたパンダは、「台湾併呑」を意図する中共の謀略がその中に詰まっているという意味で、「トロイの木馬」に喩えられている。

 路線の距離が約4km、始発駅と終点の標高差が250mあるので、箱根のロープウェイよりも本格的かも知れない。驚くのは、この料金が50元(約130円)と安いこと。ゴンドラには、床を透明なアクリル板にしたゴンドラもあり、そちらは60元。私は高いところに弱いので、普通のゴンドラにしたが、透明床ゴンドラの方が人気があるようだった。


 (ゴンドラから見た景色とすれ違った「パンダ」のゴンドラ)

 終点の「猫空駅」に着くと、旅行案内所やコンビニがあって、その向こうにはお土産屋と茶店が点在している。山腹を見渡すと、茶畑が拡がり、確かに茶の産地であることを確認する。

 
 (「猫空駅」=左 ゴンドラから見える「台北101」ビルディング)

 雨が降りそうだったので、近くの茶店に入った。300元(約800円)の凍頂烏龍茶を頼むと、あまりきれいとは言えない急須と湯飲みが出てきた。最初のお茶を棄て、湯飲みに残る香りを楽しむ。二番茶からは、お茶そのものを楽しむ。まあ、そのルールは知っていたが、実際に楽しむのは初めて。


 (古めかしい電熱器でお湯を沸かし、自分でお茶を入れる)

 お茶の味はよかったが、連れ合いは茶店の雰囲気がよくなかったと言う。そこで、近くの「清泉茶園」というお茶を販売するお店に行く。かなり歴史を感じさせる店だったので、高山茶を購入するとともに、片言の華語でお店の由来を聞く。すると、1667年に福建省からやって来た客家(ハッカ)だと教えてくれた。この時期は、ちょうど清朝(1644-1912)初期。福建省を含む大陸南部には、明朝の残党がいた頃なので、おそらく戦乱を逃れて台湾にやってきたのかも知れない。客家は、大陸全土に点在する漢民族系の人達だが、台湾の区分では「本省人」に位置づけられている。

 (清泉茶園)

 
猫空のゴンドラや茶店に日本人らしき人は見あたらなかった。多分、週日(木曜日)であったからだろう。
 台湾旅行というと台北、しかも故宮博物院見学というお定まりコースに飽きた人には、案外、この猫空はお薦めかも知れない。ゴンドラの料金が極めて安く、夜9時まで運行している。台北市街との交通アクセスも万全なので、短時間で十分楽しめる観光地だと思われた。
 

 
 
 
 
 


台北から高雄、屏東県へ日帰り旅行

2011年10月02日 15時20分47秒 | 台湾

 9月24日、午前10時半の高鐵新幹線(台湾新幹線)で高雄に向かう。

(台北→左営の新幹線切符)

 左営駅までは、およそ1時間半。運賃は、1,490元(約3,900円)。台北~高雄間の距離を考えると、この運賃はかなり割安に思えるが、乗客はそれほど多くはない。新幹線に平行して台湾鉄道(台鐵)も走っているからだ。言わずもがなのことだが、台湾の鉄道は、新幹線、在来線ともに、安全性、正確性という点で極めて優れている。

(ゆったりとした新幹線の車内)

 左営駅には、台湾の友人であるTさんご夫妻が迎えに来てくださった。ちょうど昼時だったので、挨拶もそこそこに、地元料理のレストラン「志傳」へ。ここでTさんお薦めの料理をご馳走になった。


 (高雄・「志傳」の料理の一部)

 台北の料理との違いはよく分からないが、野菜の種類が豊富で、しかも新鮮。味付けがさっぱりしていて、日本人には親しめる。お腹が減っていたので、遠慮せずにどんどんいただいた。とても美味しかった。

 
   (高雄・日本統治時代の「台湾煉瓦株式会社打狗工場」跡)

 レストランを出て、Tさんご夫妻が連れていってくれたのは、日本統治時代の煉瓦工場跡。私が台湾に残っている日本時代の建物に興味があることを知っていて、わざわざ見せてくださった。台湾総督府(総統府)、台北帝大医学部(台湾大学医院)、迎賓館など、偉容を誇る建物も素晴らしいが、産業遺産とも呼べる、このような工場跡も、歴史を辿ると実に興味深い。この工場は「台湾煉瓦株式会社打狗工場」と呼ばれ、1899年に「鮫島煉瓦工場」として創設された。年間生産700万個という大規模工場で、台湾の近代化に大きな役割を果たした。
 韓国や中国東北部(満州)では、日本時代の歴史的建造物が邪険に取り扱われているが、それと対極なのが台湾。日本統治時代の建物が今なお使われていたり、史跡としてきちんと保存されている。歴史的説明も客観的で、日本を非難するような内容は見あたらない。

 
(夕暮れの高雄港で。 Tさん=左と筆者の配偶者 黒塗りでご免!)
 
 煉瓦工場跡を見学した後、Tさんのご自宅へ。高雄市内の中心街に位置するマンション。そこでお茶とバナナをいただく。居間の本棚には日本語の教科書が並んでいて、Tさんの熱心な学習ぶりを改めて認識。Tさんは、台北で働くキャリア・ウーマンだが、この4年間、電子辞書の「逆引き広辞苑」(岩波書店版)で日本語を独学で学んでいる。私はと言えば、大昔の大学や、中国語講習会などでも中国語(華語)を勉強したが、未だに四声の区別がつかないという有様。Tさんの日本語は、私とは雲泥の差。明るく、大胆に話しかける姿勢が、素晴らしい。外国語の習得には、こういう積極性こそが必要なのだと、自分に言い聞かせる。われわれの会話は、ほとんどTさんの通訳によるものだった。

 (屏東県のお宅を訪問)

 Tさんのご主人の実家がある屏東県へ。高雄市内から高速道路で小1時間ほど。私には、屏東というと特別な響きがある。2年半ほど前、澎湖島・馬公市でパイワン族出身の青年老師(教師)から中国語を教わった。屏東は、まさに台湾の原住民であるパイワン族の故郷でもある。
 車内から景色を眺めていると、次第にトロピカルな風景となる。道の両側に椰子の林や檳榔(びんろう)の林が続き、台北とは全く異なる印象を受ける。そう言えば、映画「海角七号」の舞台となった墾丁は、この屏東県のさらに南側に隣接する地方だ。
 目的のお宅に到着して、ビックリ。これまで見たこともない大邸宅で、隣には椰子の林、庭には松の盆栽が植えられている。芝生には雑草ひとつない。これだけ管理するのは、大変なことだと思う。

(自分で書いたドラエモンの絵を見せてくれたNちゃん)

 
(五歳のNちゃんが読んでいる絵本。何と李白だった!)

 お宅では、会社を引退して悠々自適のご夫妻、その娘さんと5歳のNちゃんが迎えてくださった。涼しい風が吹き抜ける庭でお茶と果物をごちそうになる。広い庭を歩いて見つけたのが、ノニの木。


(庭に植えられたノニの木が、白い花をつけていた)

 日本では、ノニは大変高価で、ジュースの薬効が散々宣伝されている。だが、ここでは、普通にジュースとして飲んでいるそうだ。「不味い」と言って笑っていたけれど…。


(椰子の林をバックに記念撮影。顔がこんなになっちゃって、ご免!)

 再び、屏東県から高雄市内へ。夕暮れ近い高雄港を散歩した後、地元の名物料理を食べに行く。鶏肉がたっぷり入ったのスープとペースト状の粽のようなご飯。これは初めて食べる味だった。美味い。団体旅行では決して味わえない地元の味だった。

(旅行者では出会えない味…)

 午後8時40分には、新幹線に乗り台北に戻らなければならない。なにしろ日帰りなので。
 だが、Tさんご夫妻は、この後、蓮池という景勝地の廟に連れて行ってくださった。

(高雄・蓮池潭 夜の廟の光景)

 それほど暑くはなかったが、夕涼みをする人達で賑わい、カラオケで日本の歌を歌う若い女性も見られた。南国の穏やかな夕べ。そこに住む人には何でもないことが、旅行者にはエキゾチックに感じられる。

 Tさん夫妻は、この後、新幹線・左営駅まで送ってくれて、ホームで見送りをして下さった。突然の高雄訪問であるのに、何もかもセッティングしてくれたご夫妻に感謝。多謝!
 これで、私たちはますます台湾が大好きになった。