澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

台湾総統府(台湾総督府)参観

2012年12月08日 22時31分56秒 | 台湾
 12月5日(水)午前9時、小雨が降るなか、友人と三人で台湾総統府※(旧・台湾総督府)の参観にでかけた。私は二度目の参観、友人は初めてだった。

※   http://www.go-taiwan.net/index.php/news/80-2012-02-11-2.html

 台湾旅行のガイドブックを見ると真っ先に出てくるのが、国立故宮博物院。故宮に加えて、パック旅行で行くと必ず連れて行かれるのが、烈士記念碑や中正紀念堂。だが、これらの施設・建物は、中国国民党の蒋介石が台湾に「中華民国」流亡政権を打ち立てて以降、政権の正統性を誇示するために建てられたもので、台湾本来の歴史・文化に根ざすものではない。言ってみれば、大陸から移植された「中華牌」(中華ブランド)だ。これらを見ただけでは、ホントの台湾は分からない。

 先日、東京駅がリニューアルされて話題になっているが、赤煉瓦と白い壁を基調とした駅舎は、台湾総督府にそっくり。それもそのはず、台湾総督府の設計者森山松之介は、東京駅を設計した辰野金吾の直弟子なのだ。


 (上掲の三枚の写真は、総統府内の売店で購入した絵はがき)

 総統府の入り口でパスポートを提示し、手荷物のチェックを受けて順番を待つ。3年前に来たときは、手荷物をすべて預けなければならなかったが、今回は簡単なチェックだけ。それにしても、総統府の四階には馬英九総統(=大統領)の執務室があるのだから、そんな重要な建物の一階に外国人観光客を入れてくれる台湾という国が、いかに開かれた民主主義国家であるかを如実に示している。対照的に、中共(=中国共産党)幹部が居住する紫禁城・中南海地区(北京)に人民を立ち入らせることなど、彼の国は絶対にしないはずだ。

 私たちの案内は、日本語が堪能な仲さんという若い男性が担当。展示されていた7kgもあるという台湾総督の公印をどうやって押印したか、ユーモアを交えて説明してくれた。


(台湾総督の公印)

 展示の中に面白い地図があった。昭和19年の「朝日新聞」に掲載された「大東亜共栄圏」の地図で、台湾島を中心に同心円上に各国・各都市が配置されている。仲さんは「戦争に勝っていたら、台湾がこの共栄圏の中心になっていたかも知れませんね」とリップサービス。
 
 台湾総督府は1919年に建立されたが、すでに耐震設計がされていて、分煙(執務室内はすべて禁煙)まで定められていたという。
 総統府の建物を囲むように台湾銀行や法院(最高裁判所)、各省庁が点在する。通りの向こうには二二八紀念公園があり台湾博物館、さらには台湾大学病院(旧台北帝国大学医学部病院)があり、その多くが今なお大切に使われている。

 
 私たち日本人がホッとした気持ちになるのは、日本人がこの地に残した足跡を台湾人が非難などしていないことだ。日本では「植民地は悪だ」「いや、日本はいいこともした」という両論に分かれてしまう議論だが、実際の答えは台北の街を見れば分かるような気がする。
 要するに、ある社会が近代化を成し遂げるためには、行政機構、法律、資本、教育制度、保健医療などのインフラを整えなければならず、勇ましく民族解放闘争、階級闘争を叫ぶだけではダメなのだ。その意味で、日本人は台湾の近代化に大いに寄与したことは間違いない

 台湾総統府(台湾総督府)を訪れることは、もしかすると、我々に無意識に植え付けられた歴史意識(ある人は自虐史観と呼ぶが)を払拭させる契機となるのかも知れない。故宮博物院で「中国四千年」を見るのか、それとも総統府を訪れて近代日本と台湾の足跡・絆を想うのか、それが台湾旅行の分かれ目となりそうだ。


(総統府パンフレット)