澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

天安門事件25周年雑感

2014年06月04日 19時04分04秒 | 中国
 天安門事件25周年を迎えた今日、「産経抄」は「歴史を直視すべき国」と題して、次のように結んでいる。

 歴史を直視せよ」。中国が日本批判に使う常套(じょうとう)句の一つである。「血の弾圧」を歴史の闇に葬ろうとする国こそ、その言葉にふさわしい。

 実は、1989年の天安門事件は、第二次天安門事件と呼ばれる。最初の天安門事件は、1976年4月5日、同年2月に亡くなった周恩来を追悼する集会が「反革命暴動」とされたもので、多くの犠牲者が出た。この第一次天安門事件の一週間前、天安門広場を訪れた私は、献花に訪れた「人民」の姿を今でも思い出す。そのとき、同じ場所で一週間後に未曾有の惨事が起きることなど予感させるものなど何もなかった。

 この中国・中国人の”わかりにくさ”、得体の知れないさは何か?かつて竹内実(中国文学)は中国を「得体の知れない軟体動物」のようだと記した。いま、井尻秀憲(国際関係論)は「中共一党独裁体制は、この10年以内に崩壊する」と断言する。何があっても不思議ではないが、何が起きるか分からない中国。

 歴史を直視すべき国 6月4日
2014.6.4 「産経抄]
 25年前の6月4日早朝、訪中作家団の団長として、北京に滞在していた水上勉さんは、戦車がたてる地響きで目を覚ました。天安門から300メートルほど離れたホテルの部屋から外をのぞくと、激しい銃撃が始まっている。
 ▼「くもの子のように散っては集まる若い男女。見物する町衆。発砲と命中者の死と負傷。血みどろの男を抱く血みどろの女。この世のものでない地獄風景だった」(『骨壺の話』)。
 ▼そのときに受けた衝撃も原因の一つだろう。3日後に帰国できたものの、自宅に戻ってすぐ心筋梗塞を起こし、9カ月の入院生活を送っている。前日、学生たちが現場に持ち込んだ白いシーツで作った旗は、帰ってきたときには、血に染まった赤旗となっていた。これは北京に滞在していた別の日本人の証言である。
 ▼もっとも中国のテレビと新聞は、反革命分子が鎮圧された、としか報じなかった。大多数の国民は、人民解放軍が人民に向かって無差別発砲するなどとは夢にも思わない。事件についての、報道管制は今なお続いている。死者の数が数百人規模にとどまるのか、数万人に及ぶのかさえいまだ不明という。前にも書いたが、学校で教わらないから、事件そのものを知らない若者も多い。

 ▼それでも当局は、25年目の記念日が近づくにつれて、神経をとがらせていった。天安門事件の研究会に参加した知識人たちを拘束しただけでは安心できなかったようだ。公安当局が、事件について取材している海外メディアに圧力をかけていたことが、外国人記者クラブが出した抗議声明で明らかになった。
 ▼「歴史を直視せよ」。中国が日本批判に使う常套(じょうとう)句の一つである。「血の弾圧」を歴史の闇に葬ろうとする国こそ、その言葉にふさわしい。