澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

「中国の反外国主義とナショナリズム~アヘン戦争から朝鮮戦争まで~」(佐藤公彦著)

2015年06月29日 08時44分38秒 | 

 佐藤公彦教授の新刊著「中国の反外国主義とナショナリズム~アヘン戦争から朝鮮戦争まで~」(集広舎 2015年)の書評が、昨日の「産経」に掲載された。(下記参照)
 
 佐藤公彦氏は、今年の3月まで東京外国語大学教授。現在、同大学名誉教授で中国近代史・東アジア国際関係史が専門。

 私は、最近、二年間にわたってこの佐藤公彦教授による「近代東アジア国際関係史」「近代中国とキリスト教」「現代世界論」の講義を聴講する機会を得た。教授は、毎回手作りのレジュメ、資料を配布し、学生が歴史に関心を持つように工夫されていた。「現代世界論」では、「南京大虐殺」を採りあげた際、学生に対して「君たち(=外語大生)は国際的な仕事に就いて、外国人と交流することも多いだろう。相手から議論を吹きかけられたとき、きちんと歴史的事実に基づいて反論しなければならない」と繰り返したのが印象的だった。その言葉どおり、懇切丁寧で情熱あふれる講義は、外大生の間でも人気が髙かったはずだ。聴講生の私でも、すっかり佐藤先生のファンになってしまった。 

 この5月には、読売新聞社の主催で講演会も開かれたという。参加できなかったのが、かえすがえす残念でならない。この講演会でも、佐藤教授は「中華帝国」として復活した現代中国の根源が「反外国主義」すなわち「反日」であることに警鐘を鳴らし、同時に日本が中国主導の「アジアインフラ投資銀行(AIIB)に加入しなかったことについては「外務省の怠慢」と指摘したと伝えられる。



 実は、佐藤教授の最新刊「中国の反外国主義とナショナリズム~アヘン戦争から朝鮮戦争まで~」(集広舎 2015年)は、まだ私の手元に届いていない。

 そこでここに、楊海英・静岡大教授による「書評」(「産経」2015.6.28)を引用させていただく。

            「敵であり続ける必然性」  

 「中国もの」が毎月、溢れるほど出版されていても、日本人など世界の人々は中国と中国人が理解できない。強烈な違和感を覚える隣国は近代から現在に至るまで、ずっと日本の躓き(つまずき)の石だった、と著者は看破する。
 異文化と出合った時に中国は「外国人嫌い(ゼノフォビア)」と「神秘的な法術(邪教)」で対応してきた。具体的には、「反韃子(ダーツ)」と「反外国主義」の形式で現れる。韃子とはモンゴルなどユーラシアの遊牧民を指すが、「東夷、南蛮、西戎、北狄」など中華周辺の諸民族の総称でもある。一方、「外国」の範疇には主としてキリスト教文化圏の西洋諸国が入るが、倭・日本は「韃子」と「外国」の二重性を持つ、と中国に認識されている。
 「反韃子」と「反外国」の近代史はアヘン戦争と太平天国の乱、義和団(拳匪)事件など大清帝国の衰退期を経て、中華民国期の「反キリスト教運動」、そして中華人民共和国時代のキリスト教弾圧運動と今日の反日主義へと繋がる。その結果、「反韃子」で成立した中国人(漢民族)による中国人のための国家は必然的に対内的にはチベット人やモンゴル人などを弾圧の対象とするし、日本などは絶対に「敵」であり続けなければならない。
 躓かされた日本は自省の念も含めて中国をマルクス主義の階級論に即して善意的に解釈しよう、と戦後に努力してきた。しかし、反帝国主義史観では、「扶清滅洋」、すなわち「清朝を助けて西洋を滅ぼす」目標を唱えた義和団事件の解明には至らない。「人民」が「搾取階級」を打倒して「民主政権」を建立したという革命史観では中華人民共和国の専制的特徴について説明しきれない。社会主義の進歩史観は20世紀の流行だったが、それでも中国を分析する武器にはならなかった。
 リベラル派歴史家は、「中国と中国人を区別しよう」との空論を死守しようと踏ん張る。「中国」という国家は中国人が運営しているからこそ、国際社会の異質な存在だ、と本書は中国ナショナリズムの本質を解剖している


 なお、国分良成・防衛大学校長による書評も、6月14日付の「日経」に掲載された。