澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

大村智氏、ノーベル賞受賞

2015年10月06日 06時37分04秒 | 社会

 「今年も日本人がノーベル賞受賞」でマスメディアは大騒ぎ。確かに喜ばしいことなのだが、数ある賞賛、美談の中には「(山梨大学)卒業後は都立墨田工業高校定時制の教員をしながら東京理科大学大学院に進学したという苦労人だ。」と伝える記事(下記参照)もある。

 この記事を書いた記者はご存じないようだが、昼は大学院生、夜は定時制教員というような「苦労人」の生活も今や昔話だ。
 大村氏が定時制高校に勤めていたのは、1960年代初頭の4年間。その頃の定時制は、経済的理由で全日制に進学できない優秀な生徒が数多くいた。同時に、高校教員の処遇も恵まれていて、特に勤務時間においては融通が利いた。規則上の勤務時間は、概ね午後1時前後から午後10時前後までなのだが、実質上、午後5時から10時ほどの5時間勤務が労使関係上の「慣例」で容認されていた。だから、大村氏は大学院生と教員という二足のわらじを履くことができたわけだ。
 
 だからどうした、ノーベル賞受賞にケチをつけるのか?と言われそうだが、そうではない。私が感じるのは、社会の変化そのもの。ミュージカル「見上げてごらん夜の星を」で描かれたような、勉学に勤しむ定時制高校生の姿は今や見られない。一方、社会の管理強化は学校にまで及んでいて、研究と教育が両立するような職場環境は考えられなくなった。

 つまり、大村氏は古き良き時代の体現者で、このノーベル賞受賞は高度成長経済期の輝かしいサクセスストーリーと言えるだろう。これからは二度と起こりえないような……。

 

ノーベル賞の大村智さんは元定時制高校の先生

 今年のノーベル医学生理学賞に、北里大特別栄誉教授の大村智さん(80)らが選ばれた。日本人の受賞は昨年に続く快挙だが、その異色の経歴にも注目だ。

「メディカル朝日」2014年10月号の「サムライたちのクスリ PART2 『ニッポン発の創薬』を目指して 第4回 イベルメクチン」(取材・塚崎朝子)によると、大村さんは1935年、山梨県韮崎市の農家の長男として生まれ、高卒後は家業を継ぐものと考えていたが、父に大学進学を認められて山梨大学学芸学部自然科学科に入学。卒業後は都立墨田工業高校定時制の教員をしながら東京理科大学大学院に進学したという苦労人だ。修士課程を終えて助手に採用されたのが母校の発酵生産学科(当時)。山梨大はワインの研究が盛ん。ブドウ糖からアルコールをつくる酵母の働きをみて、「とても人にはまねできない」と、微生物のはかりしれない可能性に開眼したという。

 北里研究所時代には抗生物質研究室室長として、自らも含むメンバーに通勤時や出張時にビニール袋を持たせ、スプーン1杯の土を持ち帰ることを課した。1グラムの土には1億個以上の微生物がいるという。1974年、静岡県伊東市のゴルフ場近くで採取された土の中にいた新種の放線菌から作り出された物質が、今回の受賞業績「寄生虫による感染症の治療法に関する発見」へとつながる。大村さんが開発した新薬「イベルメクチン」は、熱帯地方で猛威をふるっていた感染症「オンコセルカ症」の特効薬として、多くの患者を失明から救ったのだ。