先ほど、台湾映画「湾生回家」(黄銘正監督 2015年)を見てきた。
週日、午後1時過ぎの岩波ホールは、ほとんどが高齢者、六~七分の入りだった。地味なドキュメンタリーにしては、予想以上の人出だと思った。
映画の紹介については、公式予告編を下記に貼付したので、それを見ていただくとして、少しだけ感想を記したい。
私が「湾生」(=日本統治時代の台湾で生まれた日本人)という言葉を知ったのは、「知られざる東台湾~湾生が語るもう一つの台湾史」(山口政治著 2007年)を読んでから。
著者の山口政治氏は、出版当時でも85歳前後のご高齢であったから、今どうされているのだろうか。
「東台湾」は、台湾島の太平洋岸を指す。台湾島には中央山脈が屹立していて、太平洋側と台湾海峡側との交通を遮断している。太平洋側の東台湾には、清朝の支配が及ぶこともなく(すなわち漢族の居住も少なく)「化外の地」と呼ばれ、主に台湾原住民が生活する領域だった。その東台湾の開発、近代化が進められたのは、日本統治時代(1905-1945年)だった。花蓮は日本人によって開発された町であり、多くの日本人が開拓者として移住した。その時代、台湾で生まれた日本人が「湾生」と呼ばれ、この映画のタイトルにもなっている。
この映画の黄銘正監督は、ことし46歳。インタビューで「私たちの世代は、学校で日本がいかに悪いことをしたかということしか教えられていなかったのですが、祖父母からは日本の負の側面については、ほとんど聞いたことがありません。もっとも日本がどうだったかという話はそんなにしませんでしたけど、それでも印象に残っているのはいい部分の話しばかりですね」と語っている。ここには、中国国民党独裁下の学校における反日教育と、彼の祖父母である日本語世代の日本認識との断絶がはっきりと示されている。台湾人(本省人)の日本語世代が語り継いできた、肯定的な「日本」のイメージがあるからこそ、現在の「親日国家台湾」があるのだと言えよう。
酒井充子監督の「台湾人生」(2008年)「台湾アイデンティティ」(2013年)では、その日本語世代の台湾人が激動の人生を語っている。
この「湾生回家」(2015年)は、その酒井充子二作品へのオマージュともなっている。いみじくも、映画のパンフレットに酒井充子監督が「湾生と日本語世代」という一文を寄せている。
全文を引用させていただいたが、何度か遠くからお会いしたことのある酒井充子監督なので、お許しいただけると思う。日本と台湾の双方から記録された映画の原点がここに記されているので、他に多くを語る必要もないほどだ。
陳腐な表現ではあるが「日台の絆を改めて知らされる」秀作である。