今朝の「ハンギョレ新聞」(韓国)が「安倍政府は広場に広がった「世界市民の連帯」を直視すべき」(下記参照)と題する社説を掲載。
日本語版を何となく読んでみたが、これはもう「朝日新聞」の韓国版と言って差し支えない内容だった。「世界市民」(あるいは地球市民)という幻想、高め目線からのお説教、ご高説、プロ市民を持ち上げる意図的情報操作等々、両者はまるで兄弟(異母兄弟?)だ。
「徴用工」「慰安婦」等の問題で今、日本人が韓国に譲歩・妥協してしまえば、それは相手の思うつぼ。「ハンギョレ新聞」のこの社説を読んでわかるのは、韓国人は実によく日本社会を観察、監視しているということだ。望遠鏡で隅々を覗いている感じ、一方日本人は望遠鏡を逆にして韓国を見ている。旧宗主国に対して、被統治側が異様なほど関心を持つのは、実は普遍的な現象なのかもしれない。この圧倒的な情報量の差は、韓国に有利に働く。最近、日本のマスメディアは、①もめごとは話し合いで妥協すべきだ、②政府間は最悪でも、日韓市民の交流は絶好調というような、意図的とも思える情報が流されている。
もし、日本政府がここで日韓請求権協定の実質的破棄を認めてしまえば、国際法に準拠したはずの日韓併合は「戦犯国家=日本」による国家犯罪だという、韓国の言い分が通ることになる。そうなれば、日本人はこの先、永遠に「戦犯国家」と罵られ、カネをたかられ続けることになる。
「ハンギョレ新聞」社説は、実に多くのことを「教えて」くれているように思う。ケンカをするのなら、相手の手口を知ることが第一ということか。
[社説]安倍政府は広場に広がった「世界市民の連帯」を直視すべき
いつのまにか74周年を迎えた光復節だが、今年の8月15日の様子はこれまでと全く違っていた。悪天候のなか、ソウル光化門(クァンファムン)広場に集まった“10万人”(主催側推算)という規模も特記すべきだが、何よりも一日中続いた様々な行事と集会に韓日市民たちが共に参加する姿が目立った。日本労働界は韓国労働界との連帯を宣言し、日本最大の国際芸術祭であるあいちトリエンナーレでは、外国の作家たちが「表現の不自由展・その後」の中止に対する抗議に乗り出した。国境を越えた“世界市民”の連帯の声に、安倍政府は耳を傾けなければならない。
同日午前、ソウル広場で開かれた「日帝強制動員問題解決のための市民大会」には、強制徴用被害当事者たちとともに日本の市民団体が参加した。強制徴用被告企業に賠償を求める署名には、これまで世界で1万6千人が参加したという。特に、民主労総の招請で訪韓した日本の全国労働組合総連合(全労連)の小田川義和議長が、安倍政権に対抗した両国労働者の連帯を強調したことは意義深い。今のようなグローバル時代に、自由貿易に対する規制は結局両国経済に打撃を与え、やがて労働者の生活を直撃する可能性が高いためだ。先月初め、韓国労総と日本の労働組合総連合会(連合)が会談し、共同努力を強調したのに続いて、今月6日にはまた別の労働者団体である全国労働組合連絡協議会(全労協)が貿易規制を批判する声明を発表した。
あいちトリエンナーレでは「平和の少女像」の展示中止に抗議する国際署名に続き、外国作家たちの反発も広がっている。今回の展示に参加した外国の作家チーム66のうち、20%に近い12チーム(2チームは韓国作家)が公開書簡を通じて「表現の不自由展・その後」の再開まで自分たちの作品の展示を中止するよう求めたという。それだけ今回の事案が単純に韓国と日本の対立を越え、全世界に「表現の自由」と「政治による芸術への介入禁止」といった普遍的価値の反するものとして受け止められたという意味だろう。
和田春樹教授らが始めた「韓国は『敵』なのか」に対する署名は、先日まで参加者が8300人に達した。日本ではこれらが“少数”にすぎないという見方も一部あるが、安倍政府の独走と日本社会の右傾化の中で、こうした声をあげること自体が大きな勇気の要ることだ。「NO JAPAN」ではなく、「NO安倍」であることを明らかにした韓国市民の成熟した認識で、平和の連帯をさらに強化していくべき時だ。