澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」(ジュリウス・カッチェン マントヴァーニ・オーケストラ)

2024年03月03日 11時41分58秒 | 音楽・映画

 ジュリウス・カッチェン(ピアノ)とマントヴァーニ・オーケストラが共演するこのアルバムは、ガーシュイン「ピアノ協奏曲ヘ長調」とのカップリングで1955年リリースされた。ステレオレコードが市販されたのは1958年だから、もちろんこれはモノラル録音。しかも、クラシックの名ピアニストとポピュラー音楽で名を馳せたマントヴァーニ楽団との異色の組み合わせ。そのためか、CD化されたのは、数回しかないと思われる。

 マントヴァーニ楽団が伴奏するからと言って、曲そのものが「ムード音楽」風に改ざんされたりしていない。ジュリウス・カッチェンは伸び伸びとガーシュインを弾いているという感じ。ただ、マントヴァーニのカラーが加えられている個所もある。序奏の弦楽部分や11:10前後の弦の響きは、彼のトレードマークである「カスケーディング・ストリングス」の手法が用いられている。

 「ラプソディ・イン・ブルー」はクラシックとジャズの境界をつなげたような、いかにも米国製の作品。「ムード音楽」で一世を風靡したマントヴァーニがこの曲を伴奏したとしても何ら違和感はない。このアルバム発売当時は、おそらく文句をつける評論家も多かったに違いない。だが、いまになってみると、ダイナミックでウィットもあるピアノ、マントヴァーニの懸命な伴奏は一聴に値すると思う。

 

 

ガーシュイン「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ; ジュリウス・カッチェン   オケ;マントヴァーニ・オーケストラ)


「荒城の月」(マントヴァーニ・オーケストラ)

2024年03月03日 02時44分42秒 | 音楽・映画

 1964年にリリースされたマントヴァーニ楽団のアルバム(LP)「世界の民謡集」"Folk songs aroud the world"から「荒城の月」。英国、米国、欧州諸国そしてイスラエルの民謡(愛唱歌)に並んで、日本の歌曲(荒城の月)が選ばれている。
 この年は、敗戦後19年経った時点で、高度成長経済の助走にあたり「もはや戦後ではない」と呼ばれた。東京オリンピックが開かれ、ようやく戦禍による荒廃から立ち上がり、再び世界に目を向けようという時期でもあった。

 洋楽の分野では、外国人が日本の曲を演奏するという趣向が大いに受けた。アルバム(LPレコード)は非常に高価だったが、海外旅行はさらに夢の夢という時代だったので、人々はそうした音楽に夢を求めたと言える。リカルド・サントス(ウェルナー・ミューラー)の「ホリデー・イン・ジャパン」シリーズが大ヒット。「さくらさくら」「お江戸日本橋」などの日本民謡・歌曲が、オリエンタル風のアレンジ(編曲)で演奏された。今の日本人から見れば、日本とチャイナの区別もつかない酷い編曲に呆れるだろうが、当時は結構真剣に聴かれていたように思う。当時の中国と言えば、「中共」と呼ばれる鎖国状態の謎の国だったから、普通の日本人はチャイナ風の演奏を聞かされても、実感がなかったのだろう。(NHKは大陸の中国を「中共」、台湾を「中華民国」と呼んでいた。)

 マントヴァーニは、1958年ステレオレコードの発売を契機にビッグ・ネームとなっていたので、超多忙だったのだろう。日本の曲は、この「荒城の月」と「ウナ・セラ・ディ東京」の二曲しか録音を遺していない。

 さて、この「荒城の月」もチャイナ風のアレンジ。1958年のアルバム「フィルム・アンコール」所収の「慕情」(Love is a many splendourd thing)に曲想がそっくり。日本も香港も区別がつかないということだろうか。なにはともあれ、レア音源であることは間違いなし。ぜひ、聴いてみてください。

 

「荒城の月」(マントヴァーニ・オーケストラ)