台北と言えば、故宮博物院。展示方法も改善されて、さらに興味をそそる内容となった。
じっくり見れば、すぐ1日経ってしまうことだろう。
その故宮博物院の門をくぐった広場に10数人の人々が、垂れ幕をかざして座り込んでいた。そばに近づくと、中共※による「法輪功」弾圧に抗議する人々だった。
周知のとおり「法輪功」は、違法な新興宗教であるとして、中国本土で取り締まりの対象となっている。
この法輪功の信者が故宮博物院の敷地内にいることは、台湾当局が公然とその活動を支援していることを意味する。これは注目すべきことである。
(故宮博物院の中庭で抗議の座り込みをする人たち)
大陸での弾圧に抗議する法輪功の人たち(背後の建物は故宮博物院)
中共当局は、宗教の復活に神経をとがらせている。確かに、中国の経済発展には目を見はるものがあるが、地域間、階級間の経済格差はさらに凄まじい状態にある。その民衆の心の隙間に染みいるのが宗教だ。だが、2週間前に訪れた大連、瀋陽の目抜き通りでは、寺などの宗教施設を一切見つけることは出来なかった。
台湾には、人々の活動の中心に数多くの寺、廟があり、多くの庶民が参拝している。
一方、中国大陸では中共による大躍進、人民公社、文化大革命などの暴政で、農村などの先祖伝来の墓が破壊されてしまった。宗教的な祭祀まで奪った中共(中国共産党)の政策は、伝統的な習俗、人間関係までも破壊してしまい、現在のような弱肉強食で、殺伐、荒涼とした中国社会をもたらしたと言われている。
現在、国際関係においては、窮地に立たされている台湾だが、「信仰の自由」「自由選挙」など、大陸では考えられない「自由」があふれている。長期的に見れば、法輪功のような宗教が、中共(中国共産党)の一党独裁に風穴を開ける可能性は否定できない。そのとき、台湾と大陸の力関係は、再び逆転するかも知れない。
宗教は決して「阿片」などではなく、人々の心のよりどころなのだ。
※ちなみに「中共」という単語は、パソコンの辞書では見当たらない。
大陸と台湾の力関係が逆転して以来、「中共」は中華人民共和国に対する蔑称だとして、削除されたのだ。だが、「中共」=中国共産党という意味であれば、何ら差し支えのないはずなのに、辞書からも「追放」された。日本ではこういう小賢しい作為が行われているのだ。これは、台湾に対する侮辱でもある。
抗議の垂れ幕(大陸の簡体字が使われていることに注目!)
じっくり見れば、すぐ1日経ってしまうことだろう。
その故宮博物院の門をくぐった広場に10数人の人々が、垂れ幕をかざして座り込んでいた。そばに近づくと、中共※による「法輪功」弾圧に抗議する人々だった。
周知のとおり「法輪功」は、違法な新興宗教であるとして、中国本土で取り締まりの対象となっている。
この法輪功の信者が故宮博物院の敷地内にいることは、台湾当局が公然とその活動を支援していることを意味する。これは注目すべきことである。
(故宮博物院の中庭で抗議の座り込みをする人たち)
大陸での弾圧に抗議する法輪功の人たち(背後の建物は故宮博物院)
中共当局は、宗教の復活に神経をとがらせている。確かに、中国の経済発展には目を見はるものがあるが、地域間、階級間の経済格差はさらに凄まじい状態にある。その民衆の心の隙間に染みいるのが宗教だ。だが、2週間前に訪れた大連、瀋陽の目抜き通りでは、寺などの宗教施設を一切見つけることは出来なかった。
台湾には、人々の活動の中心に数多くの寺、廟があり、多くの庶民が参拝している。
一方、中国大陸では中共による大躍進、人民公社、文化大革命などの暴政で、農村などの先祖伝来の墓が破壊されてしまった。宗教的な祭祀まで奪った中共(中国共産党)の政策は、伝統的な習俗、人間関係までも破壊してしまい、現在のような弱肉強食で、殺伐、荒涼とした中国社会をもたらしたと言われている。
現在、国際関係においては、窮地に立たされている台湾だが、「信仰の自由」「自由選挙」など、大陸では考えられない「自由」があふれている。長期的に見れば、法輪功のような宗教が、中共(中国共産党)の一党独裁に風穴を開ける可能性は否定できない。そのとき、台湾と大陸の力関係は、再び逆転するかも知れない。
宗教は決して「阿片」などではなく、人々の心のよりどころなのだ。
※ちなみに「中共」という単語は、パソコンの辞書では見当たらない。
大陸と台湾の力関係が逆転して以来、「中共」は中華人民共和国に対する蔑称だとして、削除されたのだ。だが、「中共」=中国共産党という意味であれば、何ら差し支えのないはずなのに、辞書からも「追放」された。日本ではこういう小賢しい作為が行われているのだ。これは、台湾に対する侮辱でもある。
抗議の垂れ幕(大陸の簡体字が使われていることに注目!)