12月3日(月)、台北駅から台鐵(台湾鉄道)の普通列車で瑞芳へ約一時間。台湾の鉄道は、乗客マナーがとてもよくて、これまで騒がしいとおもったことはなかった。だが、今回は別。一緒に乗り込んだ中高年の男女9名が騒がしいこと。ハイキングのような出で立ちだったので、私たちと同じく九份に行くのだろうか。
騒がしい連中の反対側には、むつまじいカップルもいた。ホントは写真を撮ってはいけないのだろうが、思わず車内を撮影するという名目で撮ってしまった。
瑞芳は、九份への入り口。多くはバスで九份に向かうが、われわれは時間が限られているので、タクシーを使った。
九份をざっと歩いて、さらにタクシーで基隆の街へ。
(基隆港)
基隆は、日本時代に拓かれた港町。日本への往来のほとんどは、この港が使われた。したがって、港の周りには日本時代の由緒ある建物が残っていて、ノスタルジーを掻き立てる。
(海港大楼=日本時代の税関・郵便局。内部は今もそのまま使われていて、史跡としても保存されている。)
昼食を「1915海洋珈琲館」※で摂った。ランチタイムのメニューである「海鮮うどん」は、日本円で400円くらい。デザートとドリンク付き。友人達によると、この海鮮の味は絶品だったとか。私は別メニューを頼んで失敗したのが悔やまれる。
この珈琲館が入っているビルは、「陽明海洋文化芸術館」と呼ばれ、文字通り1915年に「日本郵船ビル」として建てられた。図らずも由緒ある歴史的建造物の中で食事が出来たわけで、それだけでも基隆を訪れた価値があった。
(「海鮮うどん」と旧・日本郵船ビル)
基隆の街角には、次のような橋の一部も残されていた。わずか50年の日本時代だったが、日本人が残した近代化遺産は、そこかしこに眠っている。
※ http://blogs.yahoo.co.jp/nipponia_nippon3/63332360.html
騒がしい連中の反対側には、むつまじいカップルもいた。ホントは写真を撮ってはいけないのだろうが、思わず車内を撮影するという名目で撮ってしまった。
瑞芳は、九份への入り口。多くはバスで九份に向かうが、われわれは時間が限られているので、タクシーを使った。
九份をざっと歩いて、さらにタクシーで基隆の街へ。
(基隆港)
基隆は、日本時代に拓かれた港町。日本への往来のほとんどは、この港が使われた。したがって、港の周りには日本時代の由緒ある建物が残っていて、ノスタルジーを掻き立てる。
(海港大楼=日本時代の税関・郵便局。内部は今もそのまま使われていて、史跡としても保存されている。)
昼食を「1915海洋珈琲館」※で摂った。ランチタイムのメニューである「海鮮うどん」は、日本円で400円くらい。デザートとドリンク付き。友人達によると、この海鮮の味は絶品だったとか。私は別メニューを頼んで失敗したのが悔やまれる。
この珈琲館が入っているビルは、「陽明海洋文化芸術館」と呼ばれ、文字通り1915年に「日本郵船ビル」として建てられた。図らずも由緒ある歴史的建造物の中で食事が出来たわけで、それだけでも基隆を訪れた価値があった。
(「海鮮うどん」と旧・日本郵船ビル)
基隆の街角には、次のような橋の一部も残されていた。わずか50年の日本時代だったが、日本人が残した近代化遺産は、そこかしこに眠っている。
※ http://blogs.yahoo.co.jp/nipponia_nippon3/63332360.html