コロナ禍を口実(?)に何年も墓参りに行かなかったが、昨日、思い立って出かけてきた。桜の開花が報じられたばかりなのに、実際に寺の境内に入ってみると、桜がかなり咲き始めていて、梅もまた見ごろだった。
普段、亡くなった親のことを考えることもないが、さすがに墓前ではいろいろなことを思い出した。今さら、変えられることではないが。
春が巡る度に感じるのは、陳腐ながら「人もまた自然の一部」という思い。怒涛の時の流れを押しとどめることはできない。
コロナ禍を口実(?)に何年も墓参りに行かなかったが、昨日、思い立って出かけてきた。桜の開花が報じられたばかりなのに、実際に寺の境内に入ってみると、桜がかなり咲き始めていて、梅もまた見ごろだった。
普段、亡くなった親のことを考えることもないが、さすがに墓前ではいろいろなことを思い出した。今さら、変えられることではないが。
春が巡る度に感じるのは、陳腐ながら「人もまた自然の一部」という思い。怒涛の時の流れを押しとどめることはできない。