米国空軍による広島と長崎への原爆投下から75年。先日、広島の式典で選ばれた小学生が「ともに笑いあっていた人々の日常は突然奪われました」と”宣言”したのを聴いて、「戦後は遠くなりにけり」どころか、追悼式典自体が平和ボケのファンタジーと化してしまった、と感じた。
この「こども宣言」は、教員など大人の手が加わってできたものだろう。「…寄り添う」などの今風な言葉が多用されていて、何とも薄気味悪い。75年前の夏、日本は「本土決戦」に備えて、「一億玉砕」が叫ばれていた。制空権は米軍に奪われていたから、地上の住民は米軍機の射撃の標的に過ぎなかった。奪われるに値する「平和な」日常など存在せず、「寄り添う」べきものなど何もなかった。
戦後、日本は”経済大国”になったと自惚れ、言うに及んで「平和憲法は世界に誇るべきもの」「地球市民として平和を語ろう」というような自画自賛的妄想がマスメディアや学校教育を通してふりまかれた。その結果が、薄気味の悪い「平和宣言」だ。
西部邁はしばしば日本人を「列島人」という言葉に置き換えた。その意味は、米国の「属国」であることに目をつむり、目先の金儲けに狂騒する日本人を「劣等人」であると冷やかしたのだった。福島原発事故の総括もせず、その目くらましに「東京五輪」を画策したものの、武漢肺炎(新型コロナウイルス)でその東京五輪は間違いなく中止になろうとしている。西部が存命であったら、このドタバタを何と評しただろうか。
「新たな日常」(New Normal)、「with corona」などという、新造語。これも西部なら、冷笑を浴びせたことだろう。
連日、「きょうの感染者は〇〇名」「PCR検査、PCR検査!」と煽るマスメディア。これに呼応するかのように、「女帝」都知事は、都外への外出と帰省の自粛を呼びかけた。
そして「女帝」都知事は、この夏を「特別な夏」と名付けた。気の利いた言葉を見つけたつもりだろう。だが私には、後になって日本の命運を分ける分岐点となった夏になるような気がする。思いいたるのは、暗澹たる未来だけなので、ここには書けないが。