GITANESは年末年始のために2カートン買っていた。
それとは無関係に・・・。
今年の箱根駅伝はコロナ対策として
沿道での応援をしないように呼びかけられていたはずなのだが
やっぱり誰もいない という訳ではなくて、ちゃっかり道沿いに
応援というか見物する人はいたようだ。
そりゃあ近所の道を走るとなると、見たくなるのが人情で
毎年そうしているのなら今年も応援したくなるのが人情である。
それがいいとか悪いとかではなくて。
私など
「他人様が一瞬目の前を通過していくのを眺めるのって、そんなに楽しいか?」
とした思わない人間なので、どっちでもいいことだ。
大声援を送って、ついでにコロナウィルスも送ってしまわないように
祈るばかりである。
私の子供の頃からの年末と言えば
まずは父母との大掃除。
なぜか兄や姉は参加していなかった。私だけ父母に捕まって
手伝わされていたような気がする。
そう広くもない借家だったので、そんなに時間はかからなかったが
なにしろ古い長屋だから、掃除をしてもそれほどきれいになったという
実感が得られなかった。
年末はみかんと餅が大量に備蓄されていた。
私以外の家族はそれらが大好きだったのだろう。
大晦日は紅白歌合戦だった。
それだけではなくて、他のテレビチャンネルでも演歌とか懐メロとか
そういう類の番組がたくさんあって、両親はそれを好んで観ていた。
テレビが1台しかない家でそれらを観られる訳だ。
ものすごく苦痛だった。
寒がりの父のせいで、石油ストーブがずっと真っ赤に燃えていて
その匂いやら室温やらと相まって、演歌全てが大嫌いになった。
今もその後遺症に苦しんでいる。
そういう影響もあって、私はちゃんと紅白歌合戦を観たことがない。
今回の紅白歌合戦は無観客でやっていたらしい。
北島三郎がいつの間にか出場しなくなっていたようで、そして知らぬ間に
今回は応援出演をしたらしい。
なんだそりゃ。
折角出るのだ。歌わなくてどうする。
無観客だし、リモート出演だったそうだし
ここは自宅でも、どこかのBARでもいい。奏者を従えて
ギター一本で聴いてみたかった。
だって演歌は嫌いだが、ギター一本と演歌の組み合わせは嫌いではない。
ぜひ渡辺香津美か押尾コータロー、あるいはMIYAVIの伴奏で歌う北島三郎を
聴いてみたい。風雪流れ旅がいい。
元旦は、真新しい服を着るところから始まる。
前夜からこれが待ち遠しくてたまらなかった。
明日・元日におろす服、ズボンにシャツとセーター、もしくはトレーナー
そしてジャンパーを枕元に置いて寝た。
ピカピカの新しい服だ。
特に印象に残っているのは、いつかの正月用に買ってもらった
コーデュロイのベージュのズボンだった。
ものすごくオトナに近づいたようで、誇らしげに履いたような記憶がある。
今でもベージュのコーデュロイには特別な感情がある。
それだけになかなかいいものに出会えず、今は一本も持っていない。
元旦はそれらを着て、そして雑煮で始まる。味噌仕立だ。
食べ終わるころには年賀状が届けられるから、それを家族のメンバーごとに分ける。
父あての年賀状が圧倒的に多く、大人になったらこんなにもらったり
送ったりするんだ、大変だなあと思っていた。
母あてに送ってくる年賀状はほとんどなかった。
兄や姉への年賀状はそれなりに。
自分あての年賀状は少なかった。欲しい相手からの年賀状はあまり来なかった。
昨日も会ったし来週も会うような、つまりそれほど欲しい訳でもない友達からの
年賀状ばかりだった。
寒くてそして毎年いい天気で、町は本当に静かだった。
近所に友達は大勢いる。
誰を誘いに行こうかと迷わなくても誰かが家まで誘いにくる。
初詣なんて行かなかった。
近所にいくつもある空き地の、どこで何をしようか。
父母にもらったお年玉を持って家を文字通り飛び出す。
近所に3軒あった駄菓子屋はいずれも元日から開いていた。
そこで何かしらを買って空き地へまた走る。
三角ベースの野球か、結構ワイルドなかくれんぼか、
それとも裏山に登って秘密基地づくりの続きをしようか。
そういう夢のような時間が冬休み一杯まで続いた。
いや、学校が始まってからも同じような日々が続いた。
最近になってわかったことがある。
おとなになったら年賀状が大量に届くものだと思っていたが
どうやらそうでもないようだ。
おそらく「人望」というものが深く関係しているのであろう。
そんなものは要らないから、どこかに空き地が欲しい。
そして日替わりでやってくる何人もの友達の合作による
秘密基地にギュウギュウに集まって、息をひそめて
かつ大笑いしたい。
| Trackback ( 0 )
|