the other side of SmokyGitanesCafe
それとは無関係に・・・。
 





GITANESの煙のように広がって、そして迷惑。
それとは無関係に・・・。

このブログはgooブログを間借りしているものなので
いろんな機能がついている。カンタンながら、アクセス分析もできる。
いや、どこのどなたが読んでいるのかなんてことはわからないので
ご安心いただきたいのだが、
「現在何人が読んでいて、何時ごろにどれだけアクセスしたか」程度の
ことはわかるようになっている。
で、このSGCは毎日100人足らずの人がアクセスして、
その1.5倍ほどのページ数が閲覧されているとのことだ。
投稿直後から1,2時間後までは、明らかにアクセス数が増える。
ということは、何らかの方法でSGCが更新されたらその知らせを受け取って
アクセスしているということ!?
ここの読者にしては、なんと高度な、なんとハイテクなことをなさるのか!
その方法がわからないのは主宰者の私だけだったりするのだろうか。
面白い。頑張ってください。


いやそんなことよりも、
「毎年この時期には同じことを書いているが」というフレーズまで含めて
同じようなことを書いているのだが、
年末年始のあいさつまわりなんて、本当にやめませんか?
このコロナ禍の状況なのに。
この状況下でニコニコしながら「年始のごあいさつに参りました」
なんてやってくるなど狂気の沙汰ではないだろうか。
いくつかの取引先は、さすがに今年のあいさつまわりはやめたようだ。
金融機関はほとんどが、他の取引先もかなりの数が年末年始のあいさつの代わりにと、
あいさつのはがきを寄こしてくる。
それで十分ではないか。
こともあろうに、生命保険の会社の営業さんが
さも当たり前のように年末にも年始にもあいさつにやってきた!
シュールと言えばシュールなんだが、人一倍気をつけそうな業種なのに。
ほんとにもうやめませんか。
病気を知らぬ間にうつしてもうつされてもイヤでしょうに。
今までは年末年始のあいさつに来ても来なくても何の影響もなかったが
(それでも面倒だからイヤだったが)今回は確実に
「来れば来るほど見識が疑われる」というのがわからんのだなあ。

いやもちろん、商談は別だし用がある会談まで制限するのは
私も躊躇うのだが、
直接会って、あいさつして、数秒笑顔でお互いに固まって、やっぱりそれ以上何もない
というのが本当に本当に、おかしくないの?

といいつつ、追い返すこともできず
やっぱり笑顔で固まる私。



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15年  




GITANES離れ難し。
それとは無関係に・・・。

2年前の今日、「GITANESを休止して13年経った。」
と書いたということは、今日で
GITANESを休止してから15年経った
ということになる。どういう訳かめでたいような気分でもある。

それでも恋々とこのブログのタイトルや書きだしには
未だにそれを使っているほど、離れ難いのだろう。他人事のように書くが。
15年経った今でも、食事の直後や書斎で何もしていないときに
吸いたくなる。もちろんタバコなら何でもいいという訳ではない。
GITANESでなければならないのだ。


ブログの改名については何度も検討した。
・ジターヌ浪人江戸日記
にしようかと検討した瞬間もあったが、江戸がまったく私と無関係なので
文字通り一瞬でボツになった。
その他
・煙吹雪がお見通し
・愛と青春のジターヌ~翼を広げて
・すかっと爽やかSGC
など色々考えたのだが、まあ当面はやはりこのままでいこう。
だって、ブログの設定変えるの面倒だもの。



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GITANESパッケージはモノクロでも面白いと思う。
それとは無関係に・・・。

アイロンがけが嫌い という人はかなり多いようだ。
私はどちらかというとアイロンがけ・特にシャツのアイロンがけが
全く苦にならないのだが、「嫌い」という人の心理もよく理解できる。

そもそも面倒な作業ではある。
そして、なかなか難しい。嫌われても仕方ない要素を備えている。

人間の体になるべく沿うように作られているのだから
直線ばかりの集合体ではない。しかしアイロンというものは
直線がけがもっともラクなのだから親和性に乏しいのだろう。
グネグネ曲がっているし、なんかへんなダーツがあるし、
折り目は二重になるし、苦労して仕上げても着用1時間もすれば
もうぐちゃぐちゃになるのに・・・。

確かに。

シャツのアイロンがけにはコツがある。これさえ覚えればほぼ解決だ。
●どうせシワになるのだ。テッパンを延ばすのではないんだから気楽に。
●どうせ上着を着るのだ。袖をそんなにまっすぐに仕上げる必要はない。気楽に。
●元々の折り目なんてどうでもいいのだ。今日できた折り目が正しい(新しい)折り目だ。気楽に。
●襟・袖口・前立て周辺のみでOK。幸い、そのあたりは直線的なアイロンがけで足りる。気楽に。
●失敗しても捨てる訳ではない。次のアイロン時に勝利せよ。気楽に。

昨夜のアイロンがけは家の者達が寝静まってから。
いつものようにアイロン台の脚を伸ばして、立ったまま作業する。
選択済みのシャツが結構たまっていたので、1時間ぐらいかかった。
昼間の作業と違って、シャツを広げて灯かりの下で見ると
そのコットン生地が持つ艶がとても魅力的に見える。
こんなに光沢があったら、そりゃ気持ちいいだろうというほどの艶である。

ヘッドフォンで音楽を聴きながらの作業だったが、途中から
その音楽もほぼ聴いておらず、またアイロンがけという作業もまったく意識の
外になり、雑念が浮かんでは消え、また我にかえり
そしてまた現を抜かす状態で作業が終わった。
それぐらい、気が散っていた方がいいのではないか、アイロンがけなんて。

出来栄えは、新品に見えず・汚れものに見えず。
つまり私的にはパーフェクトだった。







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GITANESは年末年始のために2カートン買っていた。
それとは無関係に・・・。

今年の箱根駅伝はコロナ対策として
沿道での応援をしないように呼びかけられていたはずなのだが
やっぱり誰もいない という訳ではなくて、ちゃっかり道沿いに
応援というか見物する人はいたようだ。
そりゃあ近所の道を走るとなると、見たくなるのが人情で
毎年そうしているのなら今年も応援したくなるのが人情である。
それがいいとか悪いとかではなくて。
私など
「他人様が一瞬目の前を通過していくのを眺めるのって、そんなに楽しいか?」
とした思わない人間なので、どっちでもいいことだ。
大声援を送って、ついでにコロナウィルスも送ってしまわないように
祈るばかりである。

私の子供の頃からの年末と言えば
まずは父母との大掃除。
なぜか兄や姉は参加していなかった。私だけ父母に捕まって
手伝わされていたような気がする。
そう広くもない借家だったので、そんなに時間はかからなかったが
なにしろ古い長屋だから、掃除をしてもそれほどきれいになったという
実感が得られなかった。

年末はみかんと餅が大量に備蓄されていた。
私以外の家族はそれらが大好きだったのだろう。

大晦日は紅白歌合戦だった。
それだけではなくて、他のテレビチャンネルでも演歌とか懐メロとか
そういう類の番組がたくさんあって、両親はそれを好んで観ていた。
テレビが1台しかない家でそれらを観られる訳だ。
ものすごく苦痛だった。
寒がりの父のせいで、石油ストーブがずっと真っ赤に燃えていて
その匂いやら室温やらと相まって、演歌全てが大嫌いになった。
今もその後遺症に苦しんでいる。
そういう影響もあって、私はちゃんと紅白歌合戦を観たことがない。

今回の紅白歌合戦は無観客でやっていたらしい。
北島三郎がいつの間にか出場しなくなっていたようで、そして知らぬ間に
今回は応援出演をしたらしい。
なんだそりゃ。

折角出るのだ。歌わなくてどうする。
無観客だし、リモート出演だったそうだし
ここは自宅でも、どこかのBARでもいい。奏者を従えて
ギター一本で聴いてみたかった。
だって演歌は嫌いだが、ギター一本と演歌の組み合わせは嫌いではない。
ぜひ渡辺香津美か押尾コータロー、あるいはMIYAVIの伴奏で歌う北島三郎を
聴いてみたい。風雪流れ旅がいい。


元旦は、真新しい服を着るところから始まる。
前夜からこれが待ち遠しくてたまらなかった。
明日・元日におろす服、ズボンにシャツとセーター、もしくはトレーナー
そしてジャンパーを枕元に置いて寝た。
ピカピカの新しい服だ。
特に印象に残っているのは、いつかの正月用に買ってもらった
コーデュロイのベージュのズボンだった。
ものすごくオトナに近づいたようで、誇らしげに履いたような記憶がある。
今でもベージュのコーデュロイには特別な感情がある。
それだけになかなかいいものに出会えず、今は一本も持っていない。

元旦はそれらを着て、そして雑煮で始まる。味噌仕立だ。
食べ終わるころには年賀状が届けられるから、それを家族のメンバーごとに分ける。
父あての年賀状が圧倒的に多く、大人になったらこんなにもらったり
送ったりするんだ、大変だなあと思っていた。
母あてに送ってくる年賀状はほとんどなかった。
兄や姉への年賀状はそれなりに。
自分あての年賀状は少なかった。欲しい相手からの年賀状はあまり来なかった。
昨日も会ったし来週も会うような、つまりそれほど欲しい訳でもない友達からの
年賀状ばかりだった。

寒くてそして毎年いい天気で、町は本当に静かだった。
近所に友達は大勢いる。
誰を誘いに行こうかと迷わなくても誰かが家まで誘いにくる。
初詣なんて行かなかった。
近所にいくつもある空き地の、どこで何をしようか。
父母にもらったお年玉を持って家を文字通り飛び出す。
近所に3軒あった駄菓子屋はいずれも元日から開いていた。
そこで何かしらを買って空き地へまた走る。
三角ベースの野球か、結構ワイルドなかくれんぼか、
それとも裏山に登って秘密基地づくりの続きをしようか。
そういう夢のような時間が冬休み一杯まで続いた。
いや、学校が始まってからも同じような日々が続いた。


最近になってわかったことがある。
おとなになったら年賀状が大量に届くものだと思っていたが
どうやらそうでもないようだ。
おそらく「人望」というものが深く関係しているのであろう。

そんなものは要らないから、どこかに空き地が欲しい。
そして日替わりでやってくる何人もの友達の合作による
秘密基地にギュウギュウに集まって、息をひそめて
かつ大笑いしたい。







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正月  




GITANESの味はまったくめでたくない。
それとは無関係に・・・。

年始の休みなんて元日だけなのに、どういう訳か
「年始休みに読もう」
と、アマゾンで3冊も買ってしまった。
こうやって本はどんどん溜まっていく。
読書管理アプリを使っているのだが、それによると
昨年度2020年は67冊読んだようだ。
意外に少なかった。週に1冊強ぐらいか。

今年はどんな本を読むことができるだろうか。
また楽しみな一年が始まりました。

あけましておめでとうございます。
それぞれ幸せになってください。




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