都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今回は、「徳王観音(とくおうかんのん)」を描きました。
静かに岩に坐り緑の柳の枝を持っているお姿が特徴。
私たちはなぜ苦しむのか、仏教では「常」「楽」「我」「浄」の四つを間違え、勘違いをしているからだと説いています。
その四徳を備え優れているので「徳王観音」と名付けられたといわれています。
徳王観音は出世栄達にご利益があるとされています。
徳王観音は 常・楽・我・淨の四徳を備え優れているので、徳王と名づけられました。 四徳の 常は恒常的であること 楽は静かな楽しみ 我は自在無碍 浄は浄きよらか です(大辞林より) この反対は 無常 苦 無我 不浄 この世のわたしたちのことですね どちらも四 四という文字のひとつの意味は循環し♾末広がりの八を枠の中に収める形です 八と口で四ができています ルール、常識、規制なども四の仲間です 春夏秋冬、東西南北も四の仲間です 四は枠を自分のツールとして使うのか枠に閉じ込められ使われるのかを問いかけてきます |
したっけ。
師匠は私が入院中に「桔梗」を描いてきました。
私の手術を前にして母が亡くなって辛さの極みですねと言ってきました。
師匠! こうなると辛さというより気持ちの焦りです。
葬儀の段取りと、入院の準備で忙しく悲しむ余裕はありませんでした。
一番の心配は、私が入院中に母が亡くなることでした。
それが回避できただけでも、ありがたいという不思議な気持ちでした。
話は変わりますが、入院生活は初めての経験でした。
退屈の極みです。何もすることがありません。
本を読むかテレビを見るかしかありません。
それも面倒臭くなると、何も考えることがなくなります。
朝6時に起きて顔を洗ったら、8時に朝食が届きます。
12時に昼食が届き、18時に夕食が届きます。
21時には消灯です。
診察が午前中か午後に一回あります。傷の様子を見るだけです。
何もすることがないので、考える必要もありません。思考は停止しました。
こうなると、あとは寝ているだけです。
今は入院ボケで停止した思考が回復しつつあります。
相続のこと保険の請求のこととすることはありますが、相続は難しそうです。
桔梗の名は根が結(桔)実して硬(梗)いことに由来する。 「ききょう」の読みは「きちこう」が転じたものだという。 桔梗の 花で吉凶を占ったので、キチキョウと桔梗が関連するという説も ある。 また、木偏を取ると「吉更」、つまり「さらに吉」となる ことから好まれた。 |
↑師匠が私にくれた絵手紙
したっけ。
10日に退院しました。
生検で癌は見つからず、3か月ごとに検査することになりました。
退院はしたものの、お寺とのお付き合いや、母の相続の手続きなどで忙しい毎日を送っています。
相続に関しては、分からないことことだらけなので苦労しています。
なので、今しばらくブログ更新はできないと思います。
宜しくお願いします。
したっけ。
この記事は予約投稿です。 1日から入院生活をしています。 手術は2日です。 汗腺癌という非常に稀な癌が左胸にできました。大豆粒くらいの大きさの腫瘍は既に切除済みです。 生検で癌だとわかりました。 希少癌なので症例がなく抗がん剤も放射線も使えません。症例がないからです。 とりあえず、腫瘍があった周囲1㎝を切除します。生検に出して問題がなければ終了です。 問題があれば、更に1㎝切除します。 なので、退院の予定が立ちません。 退院後は、母の死亡の後処理で役所めぐりになります。 なかなか、ブログ更新は難しいですが、絵手紙だけは退院後に再開しようと思っています。 |
今回は、「魚籃観音(ぎょらんかんのん)」を描きました。
この観音様は、少し変わっています。
自分の美貌を武器に、若い男性に『観音経』と『金剛経』・『法華経』を暗唱させたという観音様です。
結婚の条件に、三つのお経を覚えたものという条件を付けたのです。
若い男は美女には弱いものです。競って覚えたことでしょう。
漁業の安全と漁獲の豊かさ、そして家族の健康と幸福を願う観音様として、長年にわたり信仰されてきました。
大漁祈願や漁業安全、厄除開運、家内安全 所願成就、のご利益があります。
魚籃観音(ぎょらんかんのん) 観音の三十三身の一つ。 中国唐代、若者たちが競って求婚した美しい魚売りの女がいました。結婚の条件として『観音経』と『金剛経』・『法華経』の暗唱できる男と結婚するとしました。そして馬という青年に嫁ぐことになりましたが、結婚式に臨んで女は急死してしまいました。葬送した数日後、紫衣の老僧の指示で墓を掘ったところ、そこには女の屍はなく黄金の鎖骨のみが残されていました。実はその女は観音の化身で、この3つの経典を弘めるために出現し、以後、魚籃観音として信仰されるようになったという説話です。
また、宋の洪邁(こうまい)の『夷堅志』には、海州昫山(くざん)に賀という絵師がいました。観音を信仰し、ネギやニラ・ニンニクなどのにおいの強い野菜や生臭いものを一切食べず、日々観音の像を画いていました。ある日、一人の物乞いが籃に鯉を入れて賀に絵を描いて欲しいと依頼しました。すると賀はその物乞いに答えました。 私の家は代々、臭いの強い野菜や生臭い食べ物をを絶ってきた。どうして鯉をもらって絵を描くことができようか。私の家を汚すつもりか。 するとその物乞いが言うには、あなたは好んで観音の絵を描いてきましたが、未だその真の姿を描いていません。私はあなたのためにその真の姿を見せるためにやってきたのです。 それを聞いて賀は喜んで、早速家を清めて物乞いを招き入れました。するとたちまち物乞いは観音の真の姿となりました。賀は弟子を呼んで焼香礼拝し、観音は姿をたちまち消してしまいました。家中には異香が満ち溢れ、どれほどの歳月を経てもその香りは消えず、その後、賀の画名はますます世に知れ渡りました。その時の姿を描いたのが魚籃観音であるとあります。 |
したっけ。
今回は、「施薬観音(せやくかんのん)」を描きました。
病人に薬を施し苦を除くことからこの名がつきました。蓮は苦悩と悟りの縁を象徴しています。抜苦与楽は観音の本誓であり、それを具現した観音様です。
施楽観音~東(あずま)三十三観音霊場十四番札所 境内の祠には、観音菩薩像が安置されています。施楽観音 (せらくかんのん)は施薬観音 (せやくかんのん)」ともよばれる三十三観音の一つで、その像容は左手を膝に置き、右手を頬に当て、蓮花を見る姿で現されています。読んで字の如く、苦を除き楽を施す観音です。 衆生の抜苦与楽は観音の本誓ですので、お参りする方々に喜びを与えてくださいます。当山の観音様は、東三十三所観音霊場巡排の第十四番札所に数えられています。 |
したっけ。