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「北海道は、何故県ではなく道なのか?」について考える

2016-08-26 07:01:29 | 都道府県

もともと、「道(どう)」というのは、律令国家の地方行政の基本区分です。起源きげんは古代中国で、それにならって日本でも天武朝(7世紀後半)に成立しました。

日本でも東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道などと地域を道で表していたのです。

「道」が単なる街道ではなく地方行政の区域だったのです。

しかしその頃は、北海道は含まれていません。

幕末の探検家、松浦武四郎が「北加伊道」にちなみ「北海道人」と号していたことから、北海道になったとされています。

 

北海道の名前について

 

北海道の「道(どう)」って何ですか?

 「道(どう)」というのは、律令国家の地方行政の基本区分です。起源きげんは古代中国で、それにならって日本でも天武朝(7世紀後半)に成立しました。

 みやこに近い5つの国(山城やましろ、大和やまと、河内かわち、和泉、摂津)を畿内五カ国とし、それ以外を7道(東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道)に分けました。それぞれの「道(どう)」には、いくつもの「国」がありました。たとえば東海道には、三河国(みかわのくに)、遠江国(とおとうみのくに)、駿河国(するがのくに)などが含ふくまれていました。また、それぞれの「道(どう)」ごとに、国府(こくふ)を連ねる官道(かんどう)が、みやこから放射状に設けられていました。

 つまり、五畿七道(ごきしちどう)の「道(どう)」は、「国」をいくつも含むような広い地域であり、また「道(みち)」でもあったのです。

 ところで、五畿七道のなかに「北海道」がないことにお気づきでしょうか。

 

いつから「北海道」という名称(めいしょう)になったのですか?

 明治2年(1869)です。8月15日の太政官布告で、「蝦夷地(えぞち)自今(いまより)北海道ト被稱(しょうされ)十一ヶ国ニ分割國名郡名等別紙之通被 仰出(おおせいだされ)候(そうろう)事」と周知されました。

 この布告の出される以前は、「蝦夷島(えぞがしま)」「蝦夷地」などと呼よばれていました。「蝦夷」とは、華夷思想(かいしそう)※1に基づく異民族の呼称こしょうです。したがって、「蝦夷地」とは「異民族の住む地」ということになります。

 日本には、北の境の概念が希薄だったのですが、江戸時代後期以降、ロシアの進出に伴って意識せざるをえなくなりました。いつまでも「蝦夷地」ではいけないので、新名称をつけるべきであるという意見は、江戸時代末期から多かったようです。しかし、それが実現したのは明治になってからのことでした。これにより、北海道が日本の版図(はんと)であることが、内外に宣言されたのです。

1 中華(ちゅうか)思想とも。古代中国で、自国・民族を「華」として尊たっとび、異民族を東夷とうい・西戎(せいじゅう)・北狄(ほくてき)・南蛮(なんばん)などと称して卑いやしみしりぞけた思想。日本など中国の周辺国に、広くその影響がおよんでおり、古代日本でも、みやこを中心とする地域を「華」とし、王権のおよばない地域を夷狄(いてき)として、征服を正当化する思想となっていました。

 

北海道という名前の由来は?

 幕末の探検家として名高い松浦武四郎(まつうらたけしろう)が名付け親とされています。

 松浦は、明治2年に道名に関する意見書を提出し、6つの道名候補をあげました(日高見(ひたかみ)・北加伊(ほっかい)・海北・海島・東北・千島)。このうち、「北加伊道」の「加伊」を「海」と変更へんこうして「北海道」となったとされています。松浦の意見書では、「加伊(カイ)」とは「夷人(いじん)」の自称であると説明されています。

 すでに古代から、東海道、西海道、南海道などがあったので、北海道という名称は、ごく自然な感じがするのではないでしょうか。

 ところで、松浦はみずから「北海道人」と号していたこともあるので、結果的には、松浦の雅号が道名になったとも言えるでしょう。

 

なぜ北海道だけ「道」なのでしょう?

 北海道だけが、「道(どう)」でひとつの行政単位になっているからだと考えられます。

 上に書きましたとおり、「道」は「国」よりも広い地域です。江戸時代の「藩」は、ほとんどが「国」よりずっと小さいものでした。明治4年に廃藩置県が行われた直後は、3府302県もありました。現在の県は「国」をいくつか含むような広さですが、それでも「道」よりは小さいものです。

 北海道の場合も、北海道と命名された時に、11カ国が設定されましたが、「国」が独立した行政区域とされることはありませんでした。明治初年、「開拓使」という官庁が設置されましたが、その管轄かんかつ対象は、北海「道」という地域全体でした。

 ところで、北海道にも県が存在した時期があることをご存じでしょうか?

 開拓使は、十年計画のもと開拓を推進しました。十年計画が満了すると、函館県、札幌県、根室県の3つの県が、北海道に誕生たんじょうしました。

 しかし、官吏の数ばかり増えて非効率的だとか、開拓の実(じつ)があがっていないという批判が多く、内閣制度発足にともなう機構改革を機に、3県は廃止され、再び北海道全体を管轄対象とした「北海道庁」が設置されました。以来、北海道は全体で一つの行政区域となっています。

 第二次世界大戦後は、北海道も他の都府県とならぶ普通地方公共団体となりました。名称変更、配置分合、境界変更をすることも可能ですが、そのためには、法律で定める必要があります。

 

今は「北海道庁」が北海道全体を管轄しています。

北海道は範囲が広いので、下記の振興局が設置されています

「北海道の振興局」について考える

「北海道。不思議発見!振興局編」について考える

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友人の店です。頼まれてもいないのに勝手に宣伝しています。

    

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