みなさんは、もうお正月気分も抜けたことと思います。
しかし、神事としてのお正月は、まだ終わっていません。
事八日 12月8日と2月8日を「事八日(ことようか)」といい、様々な行事が行われてきました。「事八日」というのは、この日が事を始めたり納めたりする大事な日だからです。 この「事」を始めるのが「事始め」。「事」を納めるのが「事納め」です。 ところが、ややこしいことに12月8日を「事始め」、2月8日を「事納め」という場合と、その逆に、2月8日を「事始め」、12月8日を「事納め」という場合があるのです。 「事」とは、もともとコトノカミという神を祀るお祭りを表します。そのお祭りが12月8日と2月8日の2回あり、「事八日」「事の日」などといわれました。 コトノカミが「年神様」か「田の神様」かで、事始めと事納めの時期が逆転します。 コトノカミが「年神様」の場合、「年神様」を迎えるために正月準備を始めるのが12月8日の「事始め」で、年越しの神事をすべて納める2月8日が「事納め」となります。 この「事納め」が過ぎると人々の日常がまた始まります。2月8日は旧暦でいえば3月頃の陽気で農作業を開始する時期。「田の神様」を迎え、この日が「事始め」になるのです。一方の始まりの日はまた一方の終わりの日になるわけです。 |
かつての正月は12月8日の「事始め」から2月8日の「事納め」までの長い期間、さまざまな(正月の)段取りを重ねるものでした。
事 事(こと)は、言(こと)と同語源の象形文字で、事(じ)とも読む。「神への祈りの言葉を書きつけ、木の枝などに結びつけた札を手にした形」にかたどる。「祭事にたずさわる人のさま」から「仕事・仕える」の意味を表す。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
試しに列記してみると、「松迎え」「煤払い」「大祓」「ネズミの年取り」「大正月」「若水汲み」「六日年」「カニの年取り」「牛の正月」「七日正月(七草)」「鏡開き」「道具の年取り」「ホトホト」「小正月」「庭田植え」「とんど」「鳥追い」「成木(なりき)責め」「二十日正月」「骨正月」「送り正月」……まだまだあります。
その上、節分(と立春)も、旧暦ならば正月の前後にやってきます。
これらの行事を振り返ってみると、かつて、日本人がどれだけお正月を大事にしていたかが分かります。
事始めから、事納めまでの行事一覧
12月8日 |
事始め |
年を司る神様を年神様といいます。年神様を迎えるために正月行事の準備を始めるのが12月8日の「事始め」で、年越しの「神事」が始まる日です。 |
12月13日 |
松迎え |
昔は門松にする松やおせちを調理するための薪など、お正月に必要な木をこの日に山へ取りに行く習慣です。 |
煤払い |
江戸時代、12月13日に江戸城では「煤払い」を行っていました。 1年間の汚れを払い隅から隅まできれいにすると、年神様がたくさんのご利益を持って降りてくるといわれ、江戸城では城内や神棚を煤払いし、江戸庶民も煤払いに精を出しました。これが今日まで伝えられ、煤汚れとは無縁の生活になった現在でも、社寺などでは煤払い行事が残っています。 |
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12月31日 |
大祓 |
この『大祓式』の神事は、古来より心身の清浄無垢を期した我が国独特の行事で、祓戸神に祈って罪や穢(けがれ)を人形に移して祓い清める神事です。 |
鼠(ネズミ)の年取り |
「大黒天(だいこくてん)」は豊饒(ほうじょう)をつかさどる神で、「恵比寿(えびす)」と共に福神として台所などに祀(まつ)られています。その大黒天の使いとされる鼠に年取りをさせるのが「鼠の年取り」の行事で、多く大晦日に行います。 今は、鼠に食べさせるため、白紙に米や餅などを包んで天井裏に置いたりする簡単なしきたりだけが残っていますが、昔は、にぎり飯に白箸(しろばし)の先を折り曲げたものを刺し、これを枡(ます)に入れて、土蔵の米櫃(こめびつ)の上に供えました。また、正月の歯固めに用いる品々を「嫁さん(鼠のこと)年を取らっせ」と言いながら、天井裏へ投げ上げることもありました。 |
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年越しそば |
大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦。日本で歳末の風物詩ともなっている風習・食文化です。地域による特色があり、呼び方も晦日蕎麦、大年そば、つごもり蕎麦、運蕎麦、また、大晦日蕎麦、年取り蕎麦、年切り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦と多くあります。 |
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除夜の鐘 |
日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ。12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞( つ)くことです。除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれます。 |
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1月1日 (1~7日) |
大正月 |
一般的に大正月とは、元日のことを指したり、元日から七日の「七草粥・七種粥(ななくさがゆ)」までの期間を指したりします。 |
1月1日 |
若水汲み |
この「若水汲み(わかみずくみ)」とは、元は宮中における習慣でした。元旦の朝、井戸から汲んだ一年で最初のお水をお供えしていました。これをワカミズ、またはハツミズ、アサミズといいます。 この特別なお水で茶を沸かしたり、食事に使ったりしていました。 若水汲みは庶民の家では? 宮中と変わらず、1月1日のこと、元旦・元日に水を汲みますが、この作業は家長か長男が行うもので、その汲んできた水のことを(わかみず)と呼びます。そして朝、この若水を沸かして入れたお茶を、朝飲んでいました。 |
1月6日 |
六日年越し |
7日を7日正月ということから、その前夜を年越しとして祝う日です。 蕎麦を食べ、「蘇民将来(そみんしょうらい)」と書いた札を戸口に張ったり、柊の枝を戸口に指したりするところもあり、この日は12月31日の年越しと似たものが多く、地域によっては神年越し、女の年越し、馬の年越しとも言います。 また、関東ではこの日が元旦から続く正月行事の最終日、つまり「松の内」の最後の日として祝われています。そのことからこの日に正月の松の飾りを外すところもあります。 |
カニの年取り |
長野県などでは、六日の年越しを「カニ年」または「カニ年取り」といって、小川からサワガニを取ってきて食べるほか、串(くし)に刺して戸口にはさみ、流行病よけのまじないにしました。今ではカニが捕れなくなったので、カニの絵を書いたり、カニと書いた紙片をはさんだりするそうです。 |
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牛の正月 |
大分県下毛(しもげ)郡では正月6日を「牛の正月」といって、粉餅(こもち)をこしらえて雑煮にし、これをウシに食べさせるそうです。 |
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1月7日 |
七日正月 |
正月7日の祝い。七種(ななくさ)の節句。 |
1月11日 (東北、関東、九州など多くの地方) 1月15日 (関西を中心とした地方) 1月4日 (京都と、近隣の一部) |
鏡開き |
鏡開きとは、お正月に年神様(としがみさま)が滞在していた「依り代(よりしろ=居場所)」であるお餅を食べることで、霊力を分けてもらい、1年の良運を願う行事です。 年神様は、穀物の神様です。 毎年お正月にやってきて、人々に新年の良運と、1歳分の年齢を与えると考えられてきました。 門松や鏡餅は、神様をお迎えするためのものです。年神様が家々に滞在する期間が「松の内」です。 松の内が過ぎて年神様を見送りしたら、鏡餅を食べ、その霊力を分けていただいて、1年の無病息災を願うのです。 また、戦国~江戸時代の武家社会には、武士の魂である甲冑(かっちゅう)の前にお餅を供え、お正月明けに食べる「具足祝い(ぐそくいわい)」、「具足開き」という行事がありました。 刃物で切ることは切腹を連想させて縁起が悪いとされ、木槌(きづち)で細かく割りました。 江戸時代以降、この武家スタイルが一般にも広まり、現代のような鏡開きの方法へと続いています。 「割る」という言葉を使わないのは、縁起が悪いから。 「開く」は、末広がりで縁起も良く、お正月にぴったりの言葉といえます。 |
1月14日 |
道具の年取り |
道具も年を取るとして、農具など日常使っている道具類に供え物をして年取りを祝う習俗。 |
ホトホト (鳥取県日野町) |
正月14日、厄年(42才、61才)を迎えた人の家に、みのかさをかぶり神様に扮した人たちが「ホトホト~!」という掛け声を上げながら厄除けの品を届けに来て、その御礼として祝儀を受け取る際に、全身ずぶ濡れになるほど水を掛けられるという奇習があります。掛け声から「ホトホト」と呼ばれています。 |
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1月15日 |
小正月 |
朝は「小豆粥(あずきがゆ)」を食べて無病息災を願い、「餅花」を飾って豊作を祈ります。正月に飾っていたしめ縄などの正月飾りは、小正月に行われる「左義長(さぎちょう)」(どんど焼き)で燃やしてもらって。左義長の炎で焼いたお餅を食べると健康になり、書き初めを燃やすと字が上達すると言われています。 |
庭田植え |
東北地方で広く行われている行事で、雪の降り積もった庭を「田んぼ」に見立てて、松葉や稲わらを植えることで予祝(よしゅく=秋の豊作を祈願する)行事です。県南地方で広く行われています。一年の農作業の始まりのための儀式である「農はだて」の行事の一つで、小正月の時期に行う地方もあります。 予祝行事は家の主人や家族が行うのが一般的ですが、かつて盛岡地区では、町から大勢の早乙女(しょうとめ)が出て農家を回り、庭田植えの予祝行事を行うという風習がありました。 |
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鳥追い |
田畑を害する鳥を追払う行事。または江戸時代の門付芸 (かどづけげい) の一種。小正月に子供たちが鳥追唄を歌いながら鳥追棒で鳥を追払うさまを演じ、害鳥に田畑を荒されないように予祝します。この行事の祝言性が江戸時代に職業化し,編笠姿に三味線を持った女性が鳥追唄を歌って祝言を述べる門付芸となったため,これを鳥追いと呼びました。 |
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成木責め |
小正月に柿などの果樹の豊熟を祈念する行事。家の主人が手斧を持って、柿の木に向って切りつけるしぐさをし、「なるかならぬか」と問いかけます。家人が木の陰にいて、「なります、なります」と答えます。こうして木をおどして豊熟を誓わせるまじないです。 |
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1月20日 |
二十日正月 |
お正月にお迎えした年神様がお帰りになる日と考えられていました。この日を正月の終りとなる節目の日とする土地も多くあります。 かつては正月の祝い納めとして仕事を休む物忌みの日でした。 この日をもって正月の行事は終了します。 |
骨正月 |
関東の一部、西日本から九州にかけて行われている行事で、正月の祝いに用意した塩鰤(ぶり)などの骨を、大根などと粕汁にして食べたので骨正月といいます。 |
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1月31日 |
送り正月 (広島県) |
長い正月の最終日で、正月の名残りを惜しむ日です。神棚に供えた昆布・吊し柿・餅花などの飾りをこの日に下げる家が多かった。このほかに昭和の初期までの郷土行事として「日待ち」がありました。小集落ごとに一戸一人ずつ夕刻から当番家に集まり酒食を共にして雑談を交えて夜を明かしました。(日待ちの馳走はコンニャク入りのケンチン汁が添えられました。)神官を招いて翌朝の御来迎を拝し早昼後に解散しましたが、そのような正月行事も今では全く廃たれてしまいました。 |
2月8日 |
針供養 (12月8日に行う地域もあります) |
お世話になった折れた針や古くなった針を、感謝の気持ちを込めて柔らかい豆腐やこんにゃくに刺し、川に流したり、神社に納めたりして、裁縫の上達を願います。 また、魔よけのために「お事汁」というみそ味の汁物を食べる習慣もあります。 |
事納め |
そして、後片付けもすべて納めるのが2月8日の「事納め」です。こうして神様に関する一連の「事」が終わると、春を迎え田畑を耕す時期となり、人々の日常が始まります。 |
どうですか。農耕民族である日本人がどれだけイネの豊作を願っていたかがうかがい知れます。2ヶ月にわたって神事を行っていたのです。
したっけ。
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海鳩
―潮騒が希望だったー
ぐしゃぐしゃに砕かれた大顎の破片が散乱し
ているのは知っていたがここのものではない
さんざん悪質を通過しなお何ものとも繋がら
ない兵器的非感覚の海を死生の循環の内へと
流し込むなど可能かぶふぅィ暫し棘状の海塚
にうずくまりわたしたち固有の肉体がはぜる
記憶のふあんに堪える堪えて噛む海鳩が翔ぶ
〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
こちらへ訪問するたびに沢山学ばせてもらってます~
ネズミの年とりとか,カニの年とりとか・・初めて知った事の多かった事~面白いですね~
調べればまだまだあると思うんですが、来年のために取っておきます。
昔は情報が地方にいき渡っていなかったので、地方ごとにお祝いの仕方も違ったんだと思います^^
したっけ。
そしてひとつひとつの行事に真摯に向き合ってたんですね。
今は仕事が始まったらお正月は遠くに感じます^^
色んな行事や習慣があるのですねぇ。
日頃あまり気にしていない事がいっぱいで勉強になりますわぁ~
昔は冬は農閑期ですから、その時間を大切に使ったのでしょうね^^
したっけ。
調べ出したらキリがないんですよ。
まだまだあると思います。
今ではすたれてしまったこともたくさんあるんだと思います^^
したっけ。
あったとは・・・( ・_・;)
勉強になりましたです。
昔の人は歳神様、つまり稲の神様をお迎えして丁寧に歓迎し豊作を祈願したのだと思います^^
したっけ。