私の爺さんは羆撃ちだった。私の爺さんは山の仕事をしていた。山の伐採現場の監督のような仕事だったそうだ。当事の北海道の山には羆がたくさんいたそうだ。羆が出ると爺さんはやおら鉄砲を担いで、羆撃ちに変身する。私の子供の頃よく話をしてくれた。
私は一度、爺さんの銃に触ってひどく叱られたことを覚えている。羆撃ちにとって銃がどれだけ大切なのかを話してくれた。
その銃は「村田銃」という。「村田銃」というのは弾が一発しか撃てない。射程距離は短い。しかし、威力はある。そういう銃らしい。この銃は熊撃ちに「またぎ」がよく使う銃らしい。
爺さんは適当な場所で待っている。羆からも爺さんからも見通しのいい場所で・・・。
「村田銃」という. シングルショット(単発式) - 弾が一発のみこめられる銃を持って・・・。
突然鉢合わせすると羆も予測できない行動を取るからと、爺さんは言った。爺さんは勢子が追い上げてくるのを、じっと待っている。一人で・・・。
二人は危険なのだという。相棒がアイヌだといいのだと爺さんは言う。彼らは羆のことをよく知っていて度胸もある。そう言っていた。通常は、一発目が外れたときのために二人で待つらしい。
爺さんは相棒を嫌った。相棒がいるとどうしても頼る気持ちが出て、かえて危険なのだそうだ。
だから、一人がいいと爺さんは言う。
羆が爺さんに近づいてくる。羆は爺さんを威嚇する。唸り声を上げ、前足で地面を引っかく。度胸のないヤツは、この時点で発砲してしまう。それが危険だというのだ。
「手負いにしたらワヤだべ(北海道弁:大変だ)。」と爺さんは言った。
手負いの羆ほど危険なものはない。手負いにしたら、何処までも追いかけて仕留めなければならない。それはそうだろう、羆は頭のいい猛獣だ。
爺さんは、いくら羆が威嚇しても決して発砲しないのだという。羆だって人間が恐ろしいから威嚇しているのだという。
いくら威嚇されても、爺さんの銃には一発の弾丸しか入ってはいない。一発で仕留めなければ、自分の命が危ない。
どうするのか。羆が最大の威嚇行為として、全身の毛を逆立て、立ち上がる。そのとき、羆は目の前に来ているという。私の記憶では銃の長さは1メートル強ではなかったかと思う。
「なあに、羆だっておっかないんだ(北海道弁:恐い)。滅多に掴みかかってはこないさ。銃身の先が羆に届くくらいの距離になって、心臓めがけて打てばいいんだ。外れっこないべ。」そういって、爺さんは笑った。
羆撃ちは我慢比べだと、爺さんは平気な顔で言った。だから、銃に万が一でも間違いがあれば、羆に食われる。だからこそ、銃は誰にも触らせない。自分がしっかりと手入れをする。銃を信用できるからこそできる業だと言った。
羆はおっかなくないのかと聞いたら「そりゃあ、おっかないさ。だから一発で仕留めるんだべサ。」
そして「2発目を撃つまで羆は待ってくれんから・・・」と言って笑った。
爺さんは、熊の手で作った煙草入れから、煙管(きせる)に刻み煙草を詰め美味そうに煙を吸い込んだ。 昭和20年代の終わり頃の話である。
村田銃
村田銃(むらたじゅう)とは、薩摩藩・日本陸軍の火器専門家だった村田経芳が、フランスのグラース銃(金属薬莢用に改造されたシャスポー銃)の国産化を図る過程で開発され、明治13年(1880年)に日本軍が採用した最初の国産小銃である。
建軍当時の大日本帝国陸海軍は、陸軍がイギリス製のスナイドル銃、海軍が同マルティニ・ヘンリー銃を使用していたが、村田経芳が十三年式村田銃の製造に成功した事で、初めて「軍銃一定」が成し遂げられた。
村田銃の出現は火縄銃以来の300年の欧米とのギャップを埋め、国産銃を欧州の水準へ引き上げた。また、戦前戦後を通じて日本の猟銃の代名詞的な存在ともなった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これは、蛇足かもしれませんが、私も一昨年、知ったことです。羆は草食だそうです。冬眠の前にはアキアジ(鮭)などのたんぱく質を貯えるのだそうです。
サホロベア・マウンテンにいった時に知りました。
羆に興味のある方は下記へどうぞ・・・。
したっけ。
ヒグマは肉食の強い雑食で、
普段の主食はエゾシカなど大型の哺乳類です。
草食などではありません。
そう思われるのも無理はありません。私もそう思っていましたから・・・。
しかし、羆の研究と展示を行っている新得町のベアマウンテンで草食だと知りました。実際に多数の羆が草を食べていました。肉は与えないそうです。
したっけ。