毎年1月22日、建築関係者が集まり「太子講」が執り行われます。
「太子講(たいしこう)」とは日本で初めて法隆寺や四天王寺を始めとした寺の建立をした太子を起源とするものです。
■聖徳太子建立が確実な大阪と奈良の2寺 聖徳太子創建を謳う寺は数多くありますが、建築や遺構・資料などを調べると、時代が合わなかったり、聖徳太子の関わりが薄かったりする寺院が多いようです。 聖徳太子建立七大寺もその例外ではなく、聖徳太子創建が確実なのは四天王寺と法隆寺の2寺といわれます。
四天王寺 大阪市天王寺区にあります。 火災や落雷で当時の建物が失われているものの、「四天王寺式伽藍配置」とよばれる日本で最も古い建築様式の1つとなっています。 平安時代に救世観世音菩薩を本尊と改めましたが、創建当初は四天王を本尊としていました。 これは、物部守屋と蘇我馬子の戦いに際し、聖徳太子が蘇我氏の戦勝を祈って四天王の仏像を彫り、願いが叶って四天王寺を建てたという歴史に由来します。 聖徳太子は古来の神々をも敬い、かつては守り神の神社とのつながりも強くありました。 その名残を鳥居に見ることができます。 四天王寺の鳥居は、日本三鳥居にも選ばれています。
法隆寺(別名:斑鳩寺) 聖徳太子が飛鳥から移り住んだと伝わる、奈良県生駒郡斑鳩(いかるが)町にあります。 用明天皇の遺志を継ぎ、推古天皇と聖徳太子が創建しました。 寺の建立が叶わないまま崩御した用明天皇は自らの病気平癒を願っていたため、本尊は薬師如来です。 西院伽藍(がらん)と東院伽藍に分けられ、西院伽藍は世界最古の木造建築としても有名です。 飛鳥時代の貴重な仏像や美術工芸品を多く所有し、世界遺産にも登録されています。
■聖徳太子と関わりの深い5寺 聖徳太子建立七大寺の残りの5寺は聖徳太子の建立とまではいえないようですが、関わりが深い人物によって、聖徳太子の教えに従って建てられた寺です。
中宮寺 法隆寺の東側に建てられた尼寺です。 創建についてはよくわかっていませんが、聖徳太子の生母穴穂部間人皇女が創建したと伝わっています。 聖徳太子の妃が女官に命じて刺繍した、日本最古の刺繍作品、天寿国曼荼羅繍帳(てんじゅこくまんだらしゅうちょう)を所蔵しています。 普段、天寿国曼荼羅繍帳の展示はレプリカです。
橘(たちばな)寺 奈良県高市郡明日香村にある寺で、聖徳太子生誕の地ともいわれます。 今は衰退して小さくなってしまいましたが、田道間守(たじまもり)が持ち帰った不老不死の果実を植えたという伝説が伝わり、人の二面性を戒める二面石が置かれ…と見どころのある寺です。
法起(ほうき・ほっき)寺 法隆寺や中宮寺から少し離れたところにある世界遺産の寺で、創建は聖徳太子の死後しばらくしてからだということがわかっています。 聖徳太子建立七大寺に数えられるのは、この地にあった岡本宮で法華経を講じた聖徳太子の遺志を受けて、子息の山背大兄王が寺に改めたという歴史からです。
広隆(こうりゅう)寺 京都市右京区にある寺で、創建は渡来人で聖徳太子に仕えた秦河勝(はたのかわかつ)です。 聖徳太子から譲り受けた仏像を本尊とする、聖徳太子信仰の寺として有名です。 この辺りは秦氏の本拠地とされ、京都の中でも歴史が古いエリアになります。 もちろん、広隆寺も京都最古の寺です。
葛木(かつらぎ)寺 聖徳太子創建七大寺の中で、唯一の廃寺です。 存命中に聖徳太子が創建したとされていますが、どこにあり、どんな寺だったのか、詳しいことはわかっていません。 |
太子は工人の才能や技能を世に認めた。よって、大工を始めとした職人が生まれる。
いわば工匠の祖、その恩恵に感謝する祭り。大工、左官、木地師、瓦、屋根葺、鍛冶屋を中心とし建築業全体で祭る地域もある。
かつてはムクノキの生える山奥でひっそりと祭られるところが多かったが、最近は至るところでみられるようになった。
山奥の太子信仰は弘法大師が太子同様「タイシ」と発音されるところから、「大師」信仰と重なる。奇跡を伴って山人たちを救った「タイシ」は同一視された。工匠は自らの神と弘法大師を区別し、その技術をもって、仏像のように形にした。
仏教で祭られる太子は香炉や尺をもつ。太子講で祭られる太子は鬟(みずら)の童子姿で墨壺や曲尺(かねじゃく)など大工道具をもっている。こうした太子像は大工の神、「彦狭知命(ひこさしりのみこと)(設計、監督など棟梁(とうりょう)のような役割をもった神)」「手置帆負命(たおきほおいのみこと)(工匠としての神)」を包括している。また道具への畏敬も表している。
太子の祭りは太子の忌日であるとされる2月22日、あるいはその前日。「2月」の捉え方で今や正月21日、22日、旧暦2月22日、あるいは3月22日など1月から4月くらいまで至るところで太子講の祭りをみかけるようになった。
聖徳太子講 日本全国津々浦々でおこなわれている行事です。「講」というのは、「共通の信仰対象を持ち共に信仰を深めて参りましょう、という人々の集まり」といったところでしょうか。聖徳太子を奉賛するこの講は、すでに室町時代の終わり頃から始まっていたようです。太子の忌日は2月22日といわれていますが、鹿町職人組合では、お正月の22日を「太子講」の日と定め、大工や左官、その他建築業組合に関係する職人がお寺にあい集います。宝前に聖徳太子像をお祀りし、曲尺や墨壺、ヨキなどの大工道具をならべて聖徳太子への報恩感謝の念をささげます。そして、一年間の作業安全と、家内安全、事業の繁栄などを至心に祈るのです。聖徳太子が建築関係の職人さんたちから崇められるのは、四天王寺や法隆寺などの巨大建築に太子が関わり諸職を定めたということから、聖徳太子を守護神として崇拝するようになったと言われています。 昔は、この講が、1年の初めに開催する組合の話し合いの場、であったらしく、向こう一年間の日給などがこの場で決定されていたと聞き及びます。信仰だけでなく、極めて実務的な場であったんですね。 |
毎年1月22日、宝戒寺では建築関係者が集まり「太子講」が執り行われます。 「太子」とは、建築関係者の神として崇められている「聖徳太子」のことです。 太子堂で護摩を焚き、読経のあと、木遣唄が奉納されます。 |
太子講(読み)たいしこう 聖徳太子を讃仰する宗教講、または大工、左官など建築関係の職人たちが、それぞれ同業者集団として結束をはかるため聖徳太子を守護神として行う職業講をいう。真宗では、親鸞が和国の教主とたたえた聖徳太子の奉賛が盛んで、存覚の太子講式にのっとって行われた。聖徳太子が寺院建築史上大きな存在であったところから、江戸時代には職人ことに大工、左官、鍛冶屋、屋根葺き、桶屋などが工匠の祖として祭るようになり、忌日の2月22日に太子講を行った。 世界大百科事典 第2版の解説 |
聖徳太子がお寺を建立することによって、大工、左官、木地師、瓦、屋根葺、鍛冶屋などが職人として認められていったという経緯があるようです。
「太子講」は旧暦1月21日か22日に行われていましたが、現在は1月22日に行われるようです。
したっけ。
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海鳩
―潮騒が希望だったー
ぐしゃぐしゃに砕かれた大顎の破片が散乱し
ているのは知っていたがここのものではない
さんざん悪質を通過しなお何ものとも繋がら
ない兵器的非感覚の海を死生の循環の内へと
流し込むなど可能かぶふぅィ暫し棘状の海塚
にうずくまりわたしたち固有の肉体がはぜる
記憶のふあんに堪える堪えて噛む海鳩が翔ぶ
〈母ァさん 母ァさん〉
あなたさえ答えようもないのです
(後略)
>建築関係者が集まり「太子講」が執り行われます。
これは知りませんでした。
聖徳太子は天皇のお子でありながら天皇にならなかったがゆえに、
かえって名を残したのでしょうか。
法隆寺や中宮寺は修学旅行他で拝見。橘寺は、一昨年明日香への一人旅で見てきました。
大阪の四天王寺はまだです。昨年あのあたりを歩く予定でしたのにコロナで・・・
聖徳太子は仏教を重んじたけれど、神々もという痕跡の鳥居見てきたいです。
建築文化をこれから先につなげてすばらしいですね。
今年も行われてるといいですね^^
良く調べられましたねぇ。
近いからか、法隆寺って子供の時遠足で行ったきりです。
また行きたいなぁ。
正月行事を調べていて見つけました。
工匠の祖とは、誰が最初に言いだしたのでしょう。
聖徳太子ゆかりの建立物、ずいぶん見ましたね^^
したっけ。
親睦と労使交渉の場でもあったようです^^
したっけ。
近場のことって案外知りませんね^^
したっけ。