都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
投票するほう間違っちゃたよ。
馬鹿だねー。オレってそそっかしいんだよなー。
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会話中に目上に人の頬にご飯粒を発見。どうしますか?
またまた、くだらない質問だなー。
会話中って云う設定が不明瞭なんだよ。ただ単に会話中なのか、食事
をしながら会話中なのか、そこんとこハッキリさせてくんねーと、困るんだよなー。それと時間帯だよ。朝
なのか、昼
なのか、夜
なのかで変わってくるだろーよ。
まっ、朝ってこたーないな。朝ってこたー、一緒に泊まったってことだろ。あ・・部下が女性ってこたーねーか。自分の家から付けてきたってことだってあるか。
昼だって、うどん食ったのにご飯粒じゃちょっと躊躇するけどなー。
夜だったら食事中の可能性が強いよな。これは即行教えねーと、こっちまで笑われちゃうからな。
状況によって、言い方は変わってくるけど、教えてやるのが親切ってもんだろーよ。
いずれにしても、教えてやるよ。黙って腹の中で笑ってるなんてこたーできねーよ。
だけどよ。目上の人が、目の上にご飯粒だと、面白れーなー。
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この内容で、指摘しないに投票しちゃたゼ!
いっつも、こっち側なんで、ろくに見もしねーで・・・。馬鹿だねー。
誰か、最初のヤツ、消去してくれよ。おねげーします。
「鰯雲が流れる午後」
都月満夫
麻子は現在三十二歳で、今春結婚のするはずであった。彼女の婚約者は、以前、麻子の父親の部下であった。今は役場の建設水道部建築住宅課建築係の係長であった。
麻子は、私が勤務する建設会社の社員で経理課に勤務している。目鼻立ちがはっきりして、社内で一番の美人として誰もが認める存在であった。仕事ぶりもてきぱきしていて責任感も強く、私が信頼している部下である。
麻子には「過換気症候群」という病気があり、時々その発作に苦しんでいる。
「過換気症候群」とは緊張、不安、興奮、恐怖、疲労などが原因で発作的に速い呼吸を繰り返し、呼吸が苦しくなる病気である。発作中は血液中の炭酸ガスが極端に減って、血液が強いアルカリ性になり、手足のしびれあるいは全身の痙攣を伴った強い不安状態に陥り、失神することもある。二十五歳から三十五歳の間が発病のピークであり、男性より女性のほうに発症割合が多いという。対処処置としては紙袋等を口に当て自分の息を吸い、血液中の炭酸ガスの濃度を上げることにより過呼吸の症状が消失していくという。
麻子に初めて過換気の症状が出たのは、七、八年も前であった。彼女がまだ二十四、五歳いであった。今春結婚するはずであった彼と最初に付き合っていた頃である。
一歳年上の彼との付き合いが上手くいかず、悩んでいた頃であった。
麻子の父親は、彼をことのほか気に入っていたのだが、彼女はそれほど乗り気ではなかった。かといって、どうしても嫌だというほどでもなく、気持ちを決めかねていた。
そんな状態のまま、ズルズルと付き合っていたようだが、二年も続かないうちに、関係は自然消滅をしてしまった。
その後、父親との仲も気まずくなり、麻子は新たな悩みを抱え込んでしまった。
それが原因なのか、麻子は、会社でもしばしば過喚起の発作を起こすようになった。その度、彼女は休憩室でビニール袋を口に当て、症状を落ち着かせていた。
やがて、麻子は私に悩みを相談するようになった。私は娘のような年代の麻子を本当に心配して、何とか普通に仕事のできる環境を作って上げたかった。それだけのはずであった。しかし、二人は月に一、二度食事をして関係を持つようになってしまった。
いつしか、二人の社内での会話は裏の意味を持つようになり、慎重かつ緊張感溢れるものとなった。私と麻子の仲は誰にも気付かれることもなく、密かに続いていた。
気がつくと、麻子は発作を起こすこともなくなり、平静を取り戻していた。
突然、麻子が私との仲を解消したいと切り出したのは、去年の春であった。
麻子は以前の婚約者と縒りを戻し、結婚すると私に告げた。父親が役場を退職したのが、切っ掛けになったと、麻子は言った。
私は、麻子との思いもよらず始まった関係が、重荷になっていたので、多少の未練を装いながら、安堵の心を隠して承諾した。
三十歳を過ぎた麻子と彼の関係は、以前とは違い順調のようであった。夏が過ぎ、秋が終わる頃には、来春結婚するので、二月に退職したいとの申し出があった。
正月休みが明けると、麻子は、かなり饒舌に、父親の話をするようになった。父親との仲も修復でき、嬉しそうであった。しかし、結婚を控えて、彼の話ではなく、父親の話をする麻子に、私は奇妙な違和感を覚えた。
麻子の話によると、父親は自分を溺愛しているという。自分の身の周りことは小さいときから、父親がすべてやってくれたという。
家庭内の家事も父親がやっていて母親は洗濯ぐらいしかすることがないという。高校時代から、お弁当は父親が作っていると、麻子は自慢げに話した。
去年の秋に麻子が、親元を離れ市内にマンションを借りてから、昼食がコンビニ弁当に変わったのはそのせいなのだ。思えば、麻子が部屋を借りたのは、結婚の準備のためであったのだろう。
麻子は結婚に向かって、親元を離れ必死に親離れをしようとしていた。
しかし、運命は残酷であった。麻子の婚約者が勤務中の交通事故で突然命を奪われてしまったのだ。まだお正月の気分が抜けない、一月半ばのことであった。
麻子は当然のように落ち込み、精神状態が不安定になった。
私は、気持ちが落ち着くまで、暫く会社を休んでもいいと彼女に勧めた。しかし、「部屋にいると、気持ちが滅入るので勤務に着きたい。」と、麻子は一週間ほど会社を休み出社した。その後、麻子は退職を取り消し、就業を継続することになった。
麻子の彼が交通事故で亡くなってから、彼女の父親は頻繁に部屋を訪れるようになったという。父親は年金生活のため暇をもてあましているらしい。そのため夕方、麻子がまだ勤務中に、部屋に来て、夕食を作ってくれることも度々あるという。「だから、お料理がちっとも上手にならないの。」彼女は幸せそうに笑いながら言った。
雪が降ると父親は除雪に来る。朝、麻子が起きる前に、駐車場の除雪を終えて、朝食まで作ってしまうという。自分のことが心配でたまらないのだという。
麻子が以前のように、父親の話をするようになった三月の初旬、私のもう一人の部下である紀香が結婚のため退職することになった。既に妊娠しているので、結婚後の勤務は難しいとのことであった。
紀香は丸顔の明るい人柄で、麻子より一歳下である。二人はとても仲が良かった。仕事も良くできて、特にパソコンの操作については、麻子は紀香を頼りにしていた。
紀香の代わりとして、綾子という十九歳の女性が入社した。当然、麻子に負担がかかり仕事量も多くなっていた。麻子は紀香が退職した後も連絡を取り、綾子の仕事に対する愚痴をこぼしていた。明るい性格の紀香は麻子の話を嫌がりもせずに聞いていた。
紀香が退職してから一ヶ月ほどした頃、麻子に過換気症候群の症状が再発した。紀香が退職して自分ひとりで仕事のプレッシャーを感じてしまったようだ。一週間に一度位の間隔で過換気症候群の症状が起きていたが、麻子は前回の経験から袋を常備していた。その都度、彼女は私に合図をして休憩室で袋を口に当て症状を治めていた。
麻子は五月の桜の花が咲く時季になってから、朝が起きられないとか、心臓がドキドキすると言うようになった。胸が苦しくなることがある、胃がもたれる、頭から血が抜けていく、フラフラするといった具合である。病院で診察して、心臓の検査をしたり、胃カメラを飲んだりしても内科的な異常は見つからなかった。
七月になってからは、朝が辛いと言って遅刻するようになった。綾子の仕事ぶりはまだまだで、私は麻子の仕事までも手伝わなくてはならなくなった。私は彼女たちの仕事をすべて掌握しているわけではない。麻子に立ち直ってもらおうと必死であった。
私は彼女の症状などから、インターネットで病名、症状などの検索を繰り返し「パニック障害」という病気にたどり着いた。
「過換気症候群」も「パニック障害」の症状の一つで、そのほかに心臓がドキドキする、胃を掴まれたような感じとか、頭に霧がかかっている感じ、気が狂うのではないかという不安、痺れ、寒気、ほてりなどがあり、いずれも内科的には異常がない。更に死への恐怖そして鬱の症状などが現れるという。
私は麻子に病院の精神科の診察を受けるように勧めた。初めは嫌がっていたが、私が調べた症状をプリントした紙を見せると、自分の症状と合致することばかりで、今までどう表現していいか分からなかった症状まではっきりしたと、喜んで診察を受けに行った。
診察を受けた後の麻子は晴々とした表情であった。やはり「パニック障害」であったといい、医師が長髪の若い先生であったことまで話して、少し興奮気味であった。
その後は、多少の波があるようであったが、大きな発作もなく順調であった。病院で処方される精神安定剤が彼女の気持ちを落ち着かせているようであった。
仕事中にたびたび休憩室に行き、遅刻の多い彼女に批判的な役員もいた。私は精神的な病気は現代病であり、誰もが発病の可能性があることを知っていた。そのことを理由に、彼女を退職させることは納得できなかったので、麻子を擁護していた。
「課長、いつもご迷惑をかけて申し訳ありません。」
「いいんだよ。君がいないと困るのは私なんだから。そんなことは気にしなくても…。」
麻子は体調の良いときは、本当に頑張って仕事をしてくれる。しかし、それは自分が迷惑をかけているという気持ちの表れでもあった。パニック障害については私もかなり知識が増えていて、あまり気を使いすぎたり、頑張ったりすることがストレスとなることが分かっていた。
「麻子君、そんなに気を使ったり、頑張ったりしなくてもいいんだよ。もっと気楽に仕事をして、病気を早く治そうよ。」
「でも、それでは課長が毎日残業で…、申し訳ありませんから…。」
いつの間にか、そんな会話が挨拶のように交わされるようになった。
秋口に入り、麻子の状態がほとんど正常といえるほど安定してきたので、父親は役場の嘱託の仕事に就いた。近頃は、日曜日しか顔を出さなくなったらしい。しかし、それが麻子の不安感を呼び覚ましてしまった。
発作を起こした時に誰も自分を助けてくれないのではないかという、予期不安である。
麻子は車で通勤していたが、事故を起こすのではないかという不安のため運転もできなくなった。病院の診断では二週間の休養が必要であるとされた。鬱を併発したようだが軽い抗鬱薬ですぐに回復するという診断書が提出された。
私は以前勤めていて、結婚のため退職した春菜と連絡を取った。彼女は麻子と同じ歳で、今でも食事に行ったりする仲である。私は事情を説明し、一ヶ月か二ヶ月になるか分からないが、仕事を手伝ってくれないか聞いてみた。彼女は既に麻子から話を聞いていて、快く引き受けてくれた。
麻子が休養に入って一週間がたった。春菜のおかげで仕事も順調であった。私は昼休みに麻子の部屋を訪ねた。仕事で聞きたいこともあったし、様子も見ておきたかった。
麻子はジャージー姿のまま、気だるそうに私を迎えた。
「どうぞ…。」
「大丈夫か?辛いんだったらこのまま帰るけど…。」
麻子はかなり痩せたようだ。もともと細身の身体が更に細くなった。視線はゆっくりと移動し目はくぼんで見えた。
「どうぞ、座ってください。薬の副作用で頭痛がしてぼんやりするの。でも大丈夫。」
「仕事のことは春菜君が来てくれているから心配しないで休んでいていいよ。」
「課長、私何処かへ旅行しようかな…。雲っていいよね。ふわふわと空に浮かぶ雲…。自由に形を変え、行く先は風に任せて、何も考えなくていいなんて…、羨ましい。この部屋にいても気が滅入ってしまうし…、雲みたいな旅がしたい…。」
「何を言ってるんだよ。今は何も考えずにゆっくり休養して、治ったら又一緒に仕事をしようよ。」
「でも、春菜がいるから…、私の仕事もうないんでしょ。」
「そんなことないよ。春菜君は麻子君が治るまでのピンチヒッターだから大丈夫だよ。」
「本当。私の仕事なくならないよね。私、彼が死んじゃって、仕事までなくなったら、生きている価値なくなっちゃうから…。」
「そんな心配ばかりしていると、病気は治らないぞ。」
「そう…、私もそう思う。このまま治らないような気がしてきたの…。」
まずいことを言ってしまった。
「もう、死のうかと思って、夕べ旭川の妹に電話したの。そしたら、美智子、妹は美智子っていうの。美智子が、今度の日曜日、こっちに来るから、なんか美味しいものでも食べに行こうって…。私も美智子と美味しいもの食べてからでもいいかなって思って…。」
「…。麻子君、最近ご両親は来ないのかい。」
「二人とも働いているから。日曜日に来てくれたけど…。私、月曜日から金曜日の今日まで…。その間一人で家にいて、発作が起きたらどうしよう…、誰も助けてくれない。そのまま死んじゃうのではないか…と不安でたまらなかった。でも今日、課長が来てくれて嬉しかった。ねえ、私、大丈夫だよね。私、綺麗だよね。」
「ああ、大丈夫、綺麗だよ。それより、暫く実家に帰ったらどうなの。ご両親といたほうが安心じゃないの。」
「まだ帰れない。私は本当に彼が好きだったのか、父の喜ぶ顔が見たかったのか、確かめるまでは帰れない…。」
「そうか…。」
「それより、課長が来て…。毎日昼休みに私を見に来て…。それで私…安心する。」
「…。」
私は困惑していた。私たちは、もう以前のような関係ではない。かといって、断ると麻子の不安を助長しそうな気がする。
すると突然、麻子がジャージーを脱ぎ、痩せ細った肢体が曝しだされた。窓から降り注ぐ午後の光線が、針金細工のような影をフローリングの床に描いた。
「課長、さっき、私がまだ綺麗だといってくれましたよね。だったら私を抱いて…。毎日私を抱きに来て…。以前のように、麻子を抱いて。お願いっ…。」
麻子の心を映す鏡は歪んでいた。映し出される歪んだ思考の中で、彼女は踠いていた。
窓から見える公園の桜の木に、小春日和の日差しを受けて、一輪の花が咲いていることに気づく人はいない。
空には、白い雲が静かに流れていた。晴れ渡った、透きとおるような秋空であった。
それから暫らくして、麻子は退職した。
私は、自宅に近いスーパーで、妻と買い物をしていた。そこで、偶然麻子と出会った。会社を退職し、体調もよくなったという。半年ほど前に父親を癌で亡くし、引越しをしたといった。
「課長の家の近所に引っ越してきちゃったの…。ヨロシクね。」
麻子は、鈍器のような緩やかな視線を、私ではなく、隣にいた妻に投げかけ、微笑んだように見えた。
妻は驚きの表情を隠しきれず、刃物のように鋭い視線を私に突き刺した。
私は、麻子の狂気と妻の疑惑の視線の三角形の頂点で、存在を消滅したかった。
麻子の退職から、一年ほど経った、秋晴れの、鰯雲が流れる日曜の午後であった。
会話中に目上に人の頬にご飯粒を発見。どうしますか?
またまた、くだらない質問だなー。
会話中って云う設定が不明瞭なんだよ。ただ単に会話中なのか、食事
をしながら会話中なのか、そこんとこハッキリさせてくんねーと、困るんだよなー。それと時間帯だよ。朝
なのか、昼
なのか、夜
なのかで変わってくるだろーよ。
まっ、朝ってこたーないな。朝ってこたー、一緒に泊まったってことだろ。または自分の家から付けてきたってことだろ。
昼だって、うどん食ったのにご飯粒じゃちょっと躊躇するけどなー。
夜だったら食事中の可能性が強いよな。これは即行教えねーと、こっちまで笑われちゃうからな。
状況によって、言い方は変わってくるけど、教えてやるのが親切ってもんだろーよ。
いずれにしても、教えてやるよ。黙って腹の中で笑ってるなんてこたーできねーよ。
だけどよ。目上の人が、目の上にご飯粒だと、面白れーなー。
応募する短編小説のオチが決まりません。九分九厘書き上げたのですが、最後で苦しんでいます。いつもはオチ(起承転結の結)を思いついて、それに向かって書いていたのですが・・・。
落語じゃないんだからと、選者の先生に注意を受け続けていました。でも、それが自分のスタイルだと信じていました。
しかし、あまりに同じ注意を受けるので、今回は、人物設定だけ考えて、ストーリーの展開は、彼らに任せて書いてみました。先生方はオチは要らないといいますが、私には重要なのです。きっちり終わらないと、落ち着かないのです。
すっきりとしたオチが決まりません。いいオチ、何処かに落ちてませんかね。
なんてこと言ってるから、叱られるんだよね。
小雪まじりの 雨が降ったり
木枯らしなみの 風が吹いたり
小冬日和の 今日この頃
福寿草が 雨に打たれて 花を閉じたり
ヒヨドリが 風に吹かれて 震えていたり
小冬日和の 今日この頃
積もり雪が 雨に怯えて 縮んでいったり
病葉が 風に叩かれ むしれ飛んだり
小冬日和の今日この頃
それでも 春はやってくる
必ず 春はやってくる
北国の人は じっと春を 待っている
息子が帰って来た。一人住まいのときに買った、折畳み自転車も帰って来た。
団塊オヤジにとっては、折畳み自転車はカッコよく見えた。
「今おとうさんが使ってる自転車(ママチャリ)とばくろうか?」*ばくる=交換する*
「いいよ。」
あっさりOK。ちょっと拍子抜け。
折畳み自転車に乗って、颯爽と風を切って走る自分を想像しながら、一所懸命自転車を磨く団塊オヤジ。半日かけてピカピカに磨き上げ、オイルも差して悦に入る団塊オヤジ。
早速、試乗してホーマック、ヨーカドーまでひとっ走り。帰ってくると、まともに歩けない。お尻が痛くて、がに股歩き
。サドルが、細くて硬いのだ。見たときは、それがカッコよく見えたのに・・・。
息子に再交渉。
「自転車ばくるの中止にしてくれ。お尻が壊れる。」
「ダメ!おとうさんから言い出したじゃん!」
あのサドルに、耐えうるだけのピチピチお尻ではない。自分の年齢を実感した団塊オヤジでした。
桜って何だ?花見ってなんだ?染井吉野ってなんだ?
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① 海彦・山彦の母上、木之花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)の木の花「さくや」がなま って「さくら」になった。
② 「咲く」と「たから」「ちから」「はしら」「かしら」等の語尾の大切なもの、貴重なもの、中心となるものを意味する「ら」と結びついて「さくら」になったという説
③ 「早苗」「早乙女」と農業に関係する「さ」と座・蔵・倉 鞍などの神が宿る「くら」が結びついて「さくら」になったという説。
④ 「佐」は太古における山の神の呼び名、クラは「高御座(タカミクラ)」のクラで神が依り鎮まる「座」を意味している。
古代人の生活は何かと神に頼る事になる、特に農作業の開始にあたって神事が行われる「佐下ろし、田の神おろし」の行事がある。佐の神は「さくらの木」に宿り、桜の花の咲く状況から農作業の手順を決めたり、その年の豊凶を占ったという佐神説。(定説)
⑤ この他に「サキムラガルがちぢまって桜になった」
「サクウルワシキに由来する」
「樹皮が荒くさけるゆえサクアラから桜になった」
などの説もある。
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<wrap type="square">
</wrap>
<wrap type="square"></wrap>
お花見は、古代は「梅」が主役でした。奈良時代以前、桜は観賞用というよりは、その年の農作物の出来を占う花でした。だからこそ「早く散れば凶兆」ということで散るのを惜しんだといわれています。
桜を鑑賞しだしたのは平安時代から。
どうやらその頃から"花"といえば桜になったようです。
当時は、公家や上級階級の人々に限られた風流な催しでした。
やがて武家にも浸透していき、大掛かりな花見が催されるようにもなっていきます江戸時代になるとようやく庶民も花見をするようになります。
生活するのが大変だった時代だったので、お花見は人々にとっては大きな楽しみだったようです。
今では「花見」が当たり前のように催されているが、実は花見が庶民の間に知れ渡るきっかけとなったのが、太閤・豊臣秀吉による「醍醐の花見」だったという。秀吉が、京都・醍醐寺で催した花見の宴。それは、慶長3年(1598年)3月15日、秀吉が他界する5カ月前のことであった。醍醐寺は、伏見区醍醐にある真言宗醍醐派総本山です。標高464mの醍醐山全域に、200万坪以上の広大な境内をもつ寺院です。
「花見の前日になると、着ていく服を準備したり、お弁当を準備したり、てるてる坊主を下げたりと大忙し。たとえ、貧しい中でも、「かまぼこ」のつもりの大根、「卵焼き」のつもりのたくわん、そしてお酒のかわりは番茶で・・・」というような落語もあるくらいです。
定番のお花見といえば、桜の木の下で、日頃の憂さ晴らしとドンチャン騒ぎ、その日ばかりは無礼講で楽しんだようです。今日においては、お花見とは名目で、桜は酒の肴にすぎず、飲み食いに重点があるようです。
桜の季節が近づくと、なぜか心が弾む。日本人にとって、花見はきってもきれない春の楽しみになってしまったのです。
お花見といえば 「桜」、何故だろうか? 「花」といえば「桜」をさすほど日本人にとっては大切な花となった。
染井吉野の由来
<shape id="_x0000_s1028" alt="クリックすると新しいウィンドウで開きます" type="#_x0000_t75" style="MARGIN-TOP: 8.5pt; Z-INDEX: 3; MARGIN-LEFT: -0.3pt; WIDTH: 337.85pt; POSITION: absolute; HEIGHT: 252.4pt; mso-position-horizontal: absolute; mso-position-horizontal-relative: text; mso-position-vertical: absolute; mso-position-vertical-relative: text"><imagedata o:href="http://www.kagiken.co.jp/new/kojimachi/flower/flowwr875large.jpg" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image003.jpg"></imagedata><wrap type="square"></wrap></shape>
「染井」とは、江戸時代の江戸染井村のことで、今の<msnctyst w:st="on" addresslist="13:東京都豊島区巣鴨;" address="東京都豊島区巣鴨"> 東京都豊島区巣鴨
木の生長が早く花も良くつくので、観賞用として全国的に広がり、藤野寄命氏が「吉野桜」という名称では大和の吉野山の山桜と混同してしまうと、1900年に「染井吉野」と名付けたと言われております。
ソメイヨシノは、生長が早く花も良く付くのですが、寿命は短い方です。オオシマザクラ(大島桜:父種)とエドヒガン(江戸彼岸:母種)の雑種と言われています。
近年桜の花(ソメイヨシノ)の色が白っぽい
近年桜の花(ソメイヨシノ)の色が白っぽくなったといわれています。マスコミ等で云われているのは、寿命60年説。
戦中、戦後にかけて、多く植えられた桜の木が60年くらい経て老木になってしまい、勢いが弱くなって、色が薄くなってきたという説です。今のところ根拠はなさそうです。
蝦夷山桜
<shape id="_x0000_s1029" alt="クリックすると新しいウィンドウで開きます" type="#_x0000_t75" style="MARGIN-TOP: 0.55pt; Z-INDEX: 4; MARGIN-LEFT: -0.3pt; WIDTH: 5in; POSITION: absolute; HEIGHT: 269.8pt; mso-position-horizontal: absolute; mso-position-horizontal-relative: text; mso-position-vertical: absolute; mso-position-vertical-relative: text"><imagedata o:href="http://members.stvnet.home.ne.jp/kubookada-k/kinohana/sakura2.jpg" src="file:///C:DOCUME~1OwnerLOCALS~1Tempmsohtml11clip_image004.jpg"></imagedata><wrap type="square">
</wrap></shape>私の住んでいる地域は、このエゾヤマザクラでお花見をします。開花は5月10日前後です。
目覚めたら猫に変身してしまいました。さあどうする。
って言われたって、困っちゃうじゃねーか。
即行で元に戻りてーよ。何でかって・・・。オレが猫
アレルギーだからだよ。
猫が猫
アレルギーで咳をしたり、鼻水流してたら
可笑しいだろうよ。
犬猫病院連れて行かれて
「ああ、これは猫アレルギーですね。」なんて、医師に言われたら最悪だよ。
洒落にもなんねー。
さっさと人間に戻してくれよ。猫
のいない場所でな・・・。