都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
ホームセンターから買ってきた新型の鼠取り籠を、人参を餌に仕掛けました。昨日と同じ場所です。餌は草食性というのでニンジンにしました。仕掛けたのは十二時頃だと思います。
食事をして、エゾヤチネズミのブログを書く資料をインターネットで収集し、資料をワードにコピーをしました。私これでも几帳面できちんと調べないと気がすまないのです。
資料もそろって、今朝からの経緯を交えながらブログを書き始めました。
やっと書き終えて、ブログにアップして、まさかとは思いつつ、仕掛けを見に行きました。何と言うことでしょう。エゾヤチネズミが掛かっているではありませんか。私はまさに鼠取りの匠、必殺仕掛人でした。
時計を見ると、四時四十五分。百年記念館は五時までだと思い、そのまま車に乗り、直行しました。残念なことに、ふくよかな剥製作りのお姉さんはいませんでした。
聞くとすぐ帰れると言うことなので、待つことにしました。しばらくして帰れなくなったとの連絡。驚いたお姉さんの顔が見たかったのですが、残念です。籠ごと置いて帰ってきました。
しまった!慌てていて写真を撮るのを忘れた。またまた残念な私でした。
したっけ。
それは、日曜の朝のことでした。庭石の縁を走る鼠のような灰色の動物発見!一瞬見た目にはハムスイターのように見えました。「えっ、ハムスター?何で灰色?やっぱり鼠?」
彼(彼女?)はすぐに木陰へと消えました。私にはどうしてもハムスターに見えました。
それと、融雪以来気になっていたことがありました。特定の庭木と、オヤジの残した盆栽の特定の木の樹皮が食害にあっていたのです。地上10cmほどの高さをぐるりとやられていました。今まで30年以上ここに住んでいて、こんなことは初めてでした。
やっと、その朝、樹皮の食害とあのハムスターが私のなかで結び付きました。アイツだ、アイツが食べたに違いない。
今まで、キツネ、イタチ、ミンク、ネズミ、トウキョウトガリネズミは見たことがありますが、今回のような食害は一度もなかった。アイツに違いない。
トウキョウトガリネズミについて脱線
体長は約5センチ、しっぽの長さは約3センチ、体重は約2グラムのモグラの仲間で北海道にしか生息しません。名前の由来が面白い。昔北海道から標本を持ち帰った人がYEZO(蝦夷)と記したのをYEDO(江戸)と間違え、TOKYO(東京)になったという三段落ちの落語みたいな話。一時は東京にこんな動物はいないと大騒ぎ、幻の動物と騒がれた時期もあったとか・・・
話を元に戻しましょう。それで、どうしようかと考えて、昨日ホームセンターで粘着式の鼠取りを買ってきて仕掛けてみました。庭に塀沿いに、粘着式2個と旧式の籠型を1個並べてみました。
そして、今朝覗きに行くと、粘着式に1匹ずつかかって生き絶えていました。それは、ハムスターのような丸い耳で大きさは体長5cm尾長3cmほどのネズミでした。しかし、こいつは見たことがない。新種発見か!?
早速、以前ハイタカでお世話になった動物園の獣医さんのもとへ・・・。「たぶん・・・ヤチネズミだと思いますが、百年記念館の方へ行かれた方が・・・。」との話。
すぐに、となりの百年記念館(ここは、十勝開拓の歴史や鳥獣類の剥製などを展示している施設)へ行き受付で話をすると、ふくよかなお姉さんとホッソリとしたお姉さんが対応してくれました。どうせオヤジが出てくるものと思っていたのでちょっとびっくり。
やっぱり、ヤチネズミでしょうという話。詳しいものがいますので少しお待ちくださいと言われ、待っていると、今度はお兄さん。自宅の位置から聞いてくれて、たぶん昨年自宅そばの柏等の木を大量に伐採してしまったことが影響しているのではないかと。聞くところによると一本老木が倒れたので道路側に面した木を全部切倒したようだとのこと。
見た目も殺風景になり近所に住むものにとっては悲しいことでした。切らなくてもいい木まで切ってしまって・・・。何十年もかかって育った木を簡単に切ってしまう、花鳥風月などという言葉さえ知らない人間がいることに悔しい思いです。
お礼を言って、帰り際、ふくよかなお姉さんが「それいただいてもよろしいでしょうか?」とにこやかに訊ねられました。もちろん、どうしようか困っていた私ですから「どうぞ、どうぞと。」手渡すと、お姉さん満面の笑み。聞くと骨格標本をつくるのだとか。「今度、生きたのが捕まったら是非・・・、剥製をつくりたい。」との話。「生きたまま持ってきてもいいのか?」と聞くと「いや・・・、私殺すのは・・・。」としり込み。「それじゃ、仕事人にでも頼んでください。」と、帰ってきました。
わかったかな?仕事人、中村主水の洒落なんだけど・・・。
帰り道ホームセンターによって籠式の最新鼠取りと粘着式を大量に買い込んだ私でした。
エゾヤチネズミについて
頭胴長110~140mm 尾長39~55mm 体重27~56g
(地域的な変異がある)
分布:北海道・利尻島・礼文島・大黒島・天売島・焼尻島
サハリン、シベリアに広く分布するタイリクヤチネズミの亜種。
低地の草原から高山の草原などに生息し、草木層の密度が高く、落葉層の厚い場所を好む。
北海道では、個体数は多い。
背面は暗褐色で黒毛を混生し、腹面は象牙色を帯びた白色。
尾は体の半分程度で短く、体型はずんぐりしており、かわいい。
食草性で果実、種子、少量の動物質を食べる。
北海道ではエゾシカとともに主要な農林業の害獣とされている。
2008年10月のエゾヤチネズミ捕獲数は、一般民有林、道有林ともに2007年よりも大きく増加し、道有林では1988年以来20年ぶりの高い水準となっています。
と言うことです。
したっけ。
春の七種とは以下の7種類の植物です。
名前 | 現在の名前 | 科名 |
---|---|---|
芹(せり) | 芹 | セリ科 |
薺(なずな) | 薺(ぺんぺん草) | アブラナ科 |
御形(ごぎょう) | 母子草(ははこぐさ) | キク科 |
繁縷(はこべら) | 繁縷(蘩蔞)(はこべ) | ナデシコ科 |
仏の座(ほとけのざ) | 小鬼田平子(こおにたびらこ) | キク科 |
菘(すずな) | 蕪(かぶ) | アブラナ科 |
蘿蔔(すずしろ) | 大根(だいこん) | アブラナ科 |
「せり なずな ごぎょう はこべら ほとけのざ すずな すずしろ これぞ 七草」
自宅前の川辺に、春の七草に歌われている、ナズナが咲きました。
今頃、芽がでて咲いても、お正月はとっくに過ぎています。北海道ですから。来年用に冷凍保存は・・・しないな。
これは、果実の形が三味線のばちに似ているので、三味線草と呼ばれ、三味線の音からペンペン草となったようです。昔の人は野の花まで観察し、粋な名前をつけたんですね。
まだ、花が咲いたばかりで、当然実はありません。
したっけ。
まんさく、北海道では福寿草のことを、そう言います。今はあまり言いません。
雪がとけた黒い土の下から、まんさくの小さな芽を見つけたら、北海道にも、やっと春が来たと実感します。その芽が成長して、蕾をつけたら、嬉しくなります。やがて、黄色の花が咲くと、黄色い花が眩しいほどです。
「可愛いね。」「綺麗だね。」「今年はちょっと小ぶりだね。」「いやいや、まだまだ大きいのが咲くべさ。」と美辞麗句をならべて、黄色い春を楽しみます。でも、いつのまにか、あれだけ可愛かったまんさくのことなど忘れて、次の花に目をやります。
でも、まんさくは枯れたわけではありません。まだまだ、頑張っているのです。小さかった葉を大きく広げ、太陽の光をいっぱい浴びて、次世代への種を育てています。
何かに、似ていませんか。娘が生まれて可愛い可愛い、よちよち歩いてさらに可愛い。やがて花が咲き嫁に行く。子供が産まれる。忙しくて化粧もできず、専業主婦。夫でさえも忘れがち。娘と嫁では大違い。嫁と母では段違い。一所懸命頑張っている女性を見てあげてください。そして、頑張っていることを誉めてあげてください。
浦島太郎の昔話は知らない人いないと思いますが、みなさんの知っている浦島太郎はオリジナルではありません。では、オリジナルはどのような話なのか、それも諸説あってはっきりは分かりませんが、私なりに調べてみましたので、暇潰しに、お読みください。話がややこしいので、お疲れの方はご遠慮ください。
浦島太郎Ⅰ
浦島太郎は漁師だった。ある日、太郎は子ども達が亀をいじめているところに出くわした。太郎が亀を助けると、亀はお礼に竜宮城に連れて行ってくれるという。
太郎は、亀にまたがり、竜宮城に連れて行ってもらった。竜宮城には乙姫がいて、太郎を歓待してくれた。鯛や平目の舞い踊りを見て時間を過ごし、絵にもかけない美しさであった。
しばらくして太郎は帰りたいと乙姫に申し出た。乙姫は引き止めたが、無理だと悟ると、玉手箱を「決して開けてはならない」として、太郎に渡した。
太郎が亀に跨り浜に帰ると、太郎が知っている人は誰もいなかった。おかしいと思いつつ太郎が玉手箱を開けると、中から煙が出てきた。そして、その煙を浴びた太郎は老人になっていた。
竜宮城で浦島太郎が過ごした日々は数日だったが、地上では700年(300年説もある)が経っていたのだ。
これが、みなさんの知っている浦島太郎の粗筋です。
疑問①:浦島太郎は本当に漁師だったのか?漁師なら舟で海にでるはず。浜で、子供たちに出会うのは不自然ではないのか?
疑問②:子供たちは何故亀をいじめていたのか?子供の心理からして、亀などいじめても、頭、手足を引っ込めているだけで面白くも何ともないのではないか?もし、いじめるならワンニャンと鳴いて逃げ回るであろう犬猫等の方が自然ではないのか?(愛犬家、愛猫家にとっては不愉快であろうがお許しください)
疑問③:竜宮城って何故海の中なのか?そのころ水中都市があったのか?何故太郎はそこで生きられたのか?
疑問④:乙姫とは何者か?何故水中で生きていられるのか?
疑問⑤:玉手箱とは何か?時間を閉じ込めるタイムカプセルなのか?
疑問⑥:太郎は700年も経って、何故お爺さんになったのか?700歳までいきられる人間などいるはずがない。未来なら未だしも、過去の話である。
等々疑問は尽きない。
浦島太郎Ⅱ
「浦島太郎」として現在伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の恩返し(報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫、竜宮城、玉手箱が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった。
浦島太郎は丹後の漁師であった。ある日、釣り糸に亀がかかったが、「亀は万年と言うのにここで殺してしまうのはかわいそうだ。助けてやった恩を忘れるな。」と逃がしてやった。
数日後、一人の女人が舟で浜に漕ぎ寄せて自分はやんごとなき方(高貴な方)の使いとして太郎を迎えに来た。姫が亀を逃がしてくれた礼をしたい旨を伝え、太郎はその女人と舟に乗り大きな宮殿に迎えられる。
ここで姫と三年暮らし(七日、七年等諸説あり)、太郎は残してきた両親が心配になり帰りたいと申し出た。姫は、自分は実は太郎に助けられた亀であったことを明かし、けして開けてはならぬと言い、玉手箱を手渡した。
太郎は元住んでいた浜にたどり着くが、村は消え果ていた。ある一軒家で浦島何某の事を尋ねると、近くにあった古い塚がその太郎と両親の墓だと教えられる。絶望した太郎は玉手箱を開け、三筋の煙が立ち昇り太郎は鶴になり飛び去った。
浦島は鶴になり、蓬莱の山にあひをなす(仲間となって居る。 仙人の仲間であろう。)。亀は甲に三せきのいわゐをそなへ(甲に三正〔天地人〕の祝ひを備へ)、万代を経しと也。(中略、両者は)夫婦の明神になり給ふ
浦島太郎Ⅲ
最古の記録は『日本書紀』の雄略紀にあり、また『丹後国風土記』逸文には、貴人である水江の浦嶋子(うらのしまこ)と神女である亀比売(かめひめ)の物語として以下のように記されている。
嶋子が海に船を出し釣りをしていると五色の亀が釣れ、その亀が女(亀姫)に変身し、嶋子を蓬莱山(ほうらいさん:常世の国)へと連れていく。
嶋子はそこで亀姫と夫婦となり三年間(七日、七年等諸説あり)暮らすが、ある日故郷に帰りたいと姫に告げる。
姫は玉匣(たまくしげ)を嶋子に授け「私の元へ戻りたいと思うなら、この箱を開けてはいけない」と言い含めて送り出す。
嶋子が故郷に帰ると、そこでは三百年(七百年説あり)が経ってしまっており、途方に暮れた嶋子は約束を忘れ玉匣を開けてしまう。
すると嶋子の若い肉体は風雲と共に飛び去ってしまい、嶋子は涙にむせびながら徘徊した。
匣(くしげ)は櫛などの化粧道具を入れる箱で、櫛笥とも書かれ、美しく飾られていたところから玉匣と呼ばれており、後に玉手箱に変わる。おなじように風雲は煙に変わる。
化粧道具の箱を渡すということは、「私はあなたのためにしか、化粧をしません」という愛情の表現であり、いわば女の誓い。つまり、「私がこれだけあなたを想っているのだから、あなたも私を忘れずに必ず戻ってきてください」という意味になる。
他の形の物語では、嶋子が必ず帰ると約束をするものもあり、亀姫が開けないでくれと言った玉匣を開くか開かないかは、約束を破るか破らないかということと、重なっている。
ゆえに箱を開けた嶋子は夫婦の約束を破ったこととなり、その報いを受ける。
また、亀姫以外が化粧箱を開ける場合は、他の女性の存在が見られるはずで、その意味もあるのかもしれない。
また亀姫が玉匣に込めた想いを、嶋子は正確に理解していなかったのではないかと思われ、風流を解さない人間が恋愛に失敗するという風刺を含んでいるのかもしれない。
玉匣を開け老人となった嶋子は、後に地仙になったとされる。解釈によっては、陸亀になったと取れなくもない。
また『万葉集』では、嶋子は老いた後死んでしまっている。
室町から江戸時代に成立した『御伽草子』で、浦島太郎と竜宮の姫の形で広まり、その後明治時代になり現在の昔話の形に固まった。
一説に、ここから「亀は万年の齢を経、鶴は千代をや重ぬらん」と謡う能楽の「鶴亀」などに受け継がれ、さらに、鶴亀を縁起物とする習俗がひろがったとする。
いずれにせよ、女性を裏切ることは軽々にしてはならないと云うことでしょうか。女性の想いはそれほど深いと云うことなのでしょう。
あちゃーっ、こいつぁー困った質問だ。
だってよ、オレはどっちもやってんだよ。だから昔、会社の慰安旅行の時は、いつも一人部屋さ。みんな寝られねーてんだよ。こっちはぐっすり寝むってんのに、恐縮しちゃうよね。
不思議なもんでよ、いびきは分からないけど、歯ぎしりは自分で分かるんだよ。あ~やっつてるなって・・・。でも、止められない。何でかなー。
いびきは普段はそうでもないんだけど、旅行で酒のんじゃうと、凄いらしい。
って訳で、どっちって云われても・・・。
そうだ!一度だけ他人の歯ぎしり聞いたことがあるよ。それも、やっぱり慰安旅行の時、その部屋で話をしてたとき、そいつが寝ちゃったんだよ。そしたら、歯ぎしりが始まった。そいつは虫歯でほとんど歯がないのに何で歯ぎしりできるんだって、大笑いさ。キリキリ、キリキリと不愉快な音でまいったよ。
だから、かってながら「歯ぎしりが嫌い」ってことで・・・。
ちょっと緑が丘公園まで行ってみようか。自転車に乗って颯爽とでかけた私。
公園に着くと、もう筋肉痛。
帯広は車社会。すぐそこのコンビニに行くのも、自動車で・・・。駐車場(勿論無料)がないお店(あらゆる職種)には行かない。他都市から来た人はみんなビックリするくらい歩かない。勿論私もその一人。普段どれだけ自分の足を使わずに移動していたか、思い知らされる。
帰りは悲惨。来た以上は帰らなくてはならない。筋肉痛の足をピクピクさせながら、ヒーヒーハーハー。
もう少し近いところから、鍛えなおそうと反省しきりの私でした。
春の陽気に誘われて、息子とバクッタ(交換した)折畳み自転車のサドル取り替えました。あの細くて固いサドルはお尻に突き刺さるようで、耐えられません。ママチャリ用のサドルに交換。私の大きいお尻をのせても大丈夫。整備不良だった自転車ピカピカに磨きました。天気もいいし自転車で出かけようかな・・・。
そう思っている私です。