年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

小林一三の義恩

2015年09月08日 | 築地市場にて

 

福神漬の資料を調べていて、砂糖の歴史の部分で明治の製糖史の中心人物の一人である鈴木藤三郎が晩年を過ごした富士山麓の住居農園が今は不二聖心女子学院という学校となっている。その全身である温情舎小学校の校歌は小林一三作詞、作曲が宝塚歌劇団となっていた資料を裾野市の図書館郷土資料室で読んでいたとき、小林一三と岩下清周の関係の深さを感じた。

 まだ資料が見つかっていないが鈴木藤三郎が死去したとき葬儀の参列者の中に麻布学園の創立者江原素六がワザワザ東京から参列している。麻布学園への静岡の大口資金提供者が時期的には鈴木藤三郎と思われる。鈴木藤三郎の跡地を岩下清周が住み、そして今女子高となっている。福神漬の周囲には調べると不思議な歴史が埋まっている。

コメント
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