漬物はあまり漬物の自体の歴史というものが知られていない。戦前は漬物業は軍需産業の一部だった。多くの国民は漬物を金を出して購入するものでなく自家製造、自家消費が基本だった。都市住民が漬物を購入していたがごく一部だった。江戸時代にさかのぼっていても江戸在住の大名も自家で作っていたようだ。旗本御家人が練馬の農家の製造した漬物を提供していたようだ。しかしこれは武家の排泄物を肥料とするためで農家は得意先と提携していた。
軍隊に入れば白米を十分食べることができるということが農家の次三男にとって魅力だったと思われる。日本陸軍が精白米の支給にこだわったため、脚気の蔓延が続き、ビタミンB1の欠乏が脚気の原因とわかっても中々解消できなかった。白米と梅干沢庵が軍隊の標準食料だった。戦前から続いている漬物業者は軍隊納品から始まっているところが多く聞かれる。