金曜日にNHKで放送されている(チコちゃんに叱られる)の福神漬のところはチョット資料調査不足だったようだ。福神漬は当初は3種類の野菜のしょう油漬から始まり徐々に増えて七種となった。さらに命名者だった江戸時代の人気戯作者であった梅亭金鵞は明治の10年代には落ち目の作家だった。なぜ酒悦主人が命名を依頼したかというと印刷技術の進化で貸し本屋が増え、作家不足だったため、明治16年ころ再刊行があった。その著書の中に池之端の香煎茶屋の話が出てくる。この茶屋こそ酒悦であった。福神漬はご当地の食品として売り出すことになった。池之端は近代広告の先進地で今でも残る薬屋宝丹の看板は汐留の電通本社地下のアドミュ-ジアムに展示されている。
七種の野菜は最初のJAS規格の福神漬にはきゅうりは入っていなかったが改定できゅうりが入った。なぜキュウリが入っていなかったかというと江戸時代はキュウリは下品の野菜といわれ、人気が茄子と比較してなかった。キュウリの切り口が徳川の家紋に似ていたからである。