いまはIHIとなっている石川島造船所は東京都中央区のところで生まれた。築地の隣でもあり知っていたけど食品とは縁のない世界と思っていた。ところが水戸藩の造船所として発足し、後に平野富二が本格的に造船に力を入れた。平野を造船業に導いたのは日本活版印刷の歴史に出る本木昌造である。本木の出自に気になるとことがあり確認のために石川島資料館へ行った。やはり最近の研究では本木は馬田家の生まれで缶詰の歴史に出る人物と異母兄弟となるようだ。
数年前の展示と変化していて厄介丸といわれた旭日丸の記憶も薄れたようだ。