朝新聞を取りに行き、気温と空を見る。予報の裏読みで出かけないと判断。この暑さは高齢者にはつらいし、まだ学校の夏休みが始まったばかりで、下手に救急車騒動となれば、検査の餌食となって、10日間は格子の無い留置となる。昔なら病室へ見舞いが入れていたが今はコロナの新型が再度の蔓延中で、ワクチン接種が自己負担という報道があって、不要な訪問はきらわれる。
新聞報道で、今年の夏の日本人の国内旅行が節約で減る傾向があるという。それでも朝から異国人観光客が電車内にいて、いつも座れる席が奪われる。渋谷のスクランブル交差点での撮影とハチ公との記念写真。そこから上から眺めるビルの屋上も予約制。そのうちJR新宿駅の朝の通勤ラッシュ時の体験ッア-もありそうだ。行列と短い時間の乗降は他の国では経験できない体験で、基本的にただの体験。入場料が掛からないし予約もいらない。
今日の予報で40度というのがあった。これで出かけない。でも昨日は大田区の昭和の暮らし博物館へ行った。思わぬ出会いがあった。8月に何か大学生の学芸員の実習生が来るという話で、様子を伺った。叔父の沖縄での特攻の本がアメリカから届いて、英語なので読めない。そこでグ-グル翻訳を提案されたのだが、辞書を引きながら読んでも肝心の所が理解しにくい。日本の戦闘機の機種判別の用語があって、何かオスカーと読める。アメリカ映画の祭典のオスカー賞のようなのだろうか。そうなるとゼロ戦はどの様な軍事用語なのだろうか。
いまウクライナの戦争中で初期の無人攻撃機をカミカゼドロ-ンと日本の新聞が書いていた。でも今は自爆型ドロ-ンと書いている気がする。クレ-ムがあったのだろうか。カミカゼ特攻は人が搭乗していて敵に突っ込んでいった。文献を読んでいた時、日本は最初の神風特攻隊をジンプウと読んでいて、途中から米軍がカミカゼ攻撃と言っていて戦果と恐怖心をあおる効果と認識し、攻撃名をカミカゼと呼称を変更したように見える。いつからかはわからない。
この様な話を昭和の暮らし博物館で雑談していた時、一人の高齢の女性が本を持ってきた。チラッと読むと、戦後にアメリカ軍人と結婚し、最近日本に戻ってきていて、その経験を本にした様だ。そこで会ったばかりの人にLST808の著者とコンタクトを取りたいとお願いした。どうも軍歴から硫黄島・沖縄戦にも参加していたようだ。
色々な偶然がまだ続いていて叔父の霊は生きている自分にいたずらしている。また昭和の暮らし博物館の人の支援会員の本を読んでいる。南方の戦地で憲兵として活躍し、その活躍から敗戦後にB・C級戦犯に問われ、親切にしていた現地の人の証言で死刑を免れて、日本に帰ってから生まれた子供が著者だった。まだまだ偶然が続いている。
記憶する戦争 東谷 仁著 やはり死の間際に生きた証を残したいという気持ちが生まれる。そこから子孫が書くか書かないかの判断を迫られる。
新聞報道で、今年の夏の日本人の国内旅行が節約で減る傾向があるという。それでも朝から異国人観光客が電車内にいて、いつも座れる席が奪われる。渋谷のスクランブル交差点での撮影とハチ公との記念写真。そこから上から眺めるビルの屋上も予約制。そのうちJR新宿駅の朝の通勤ラッシュ時の体験ッア-もありそうだ。行列と短い時間の乗降は他の国では経験できない体験で、基本的にただの体験。入場料が掛からないし予約もいらない。
今日の予報で40度というのがあった。これで出かけない。でも昨日は大田区の昭和の暮らし博物館へ行った。思わぬ出会いがあった。8月に何か大学生の学芸員の実習生が来るという話で、様子を伺った。叔父の沖縄での特攻の本がアメリカから届いて、英語なので読めない。そこでグ-グル翻訳を提案されたのだが、辞書を引きながら読んでも肝心の所が理解しにくい。日本の戦闘機の機種判別の用語があって、何かオスカーと読める。アメリカ映画の祭典のオスカー賞のようなのだろうか。そうなるとゼロ戦はどの様な軍事用語なのだろうか。
いまウクライナの戦争中で初期の無人攻撃機をカミカゼドロ-ンと日本の新聞が書いていた。でも今は自爆型ドロ-ンと書いている気がする。クレ-ムがあったのだろうか。カミカゼ特攻は人が搭乗していて敵に突っ込んでいった。文献を読んでいた時、日本は最初の神風特攻隊をジンプウと読んでいて、途中から米軍がカミカゼ攻撃と言っていて戦果と恐怖心をあおる効果と認識し、攻撃名をカミカゼと呼称を変更したように見える。いつからかはわからない。
この様な話を昭和の暮らし博物館で雑談していた時、一人の高齢の女性が本を持ってきた。チラッと読むと、戦後にアメリカ軍人と結婚し、最近日本に戻ってきていて、その経験を本にした様だ。そこで会ったばかりの人にLST808の著者とコンタクトを取りたいとお願いした。どうも軍歴から硫黄島・沖縄戦にも参加していたようだ。
色々な偶然がまだ続いていて叔父の霊は生きている自分にいたずらしている。また昭和の暮らし博物館の人の支援会員の本を読んでいる。南方の戦地で憲兵として活躍し、その活躍から敗戦後にB・C級戦犯に問われ、親切にしていた現地の人の証言で死刑を免れて、日本に帰ってから生まれた子供が著者だった。まだまだ偶然が続いている。
記憶する戦争 東谷 仁著 やはり死の間際に生きた証を残したいという気持ちが生まれる。そこから子孫が書くか書かないかの判断を迫られる。