年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

hint-potの福神漬

2024年07月24日 | 福神漬
グ-グルアラ-トに福神漬を登録した。するとメ―ルが来てhint-potの情報で神田のカレ-店巡りの異国人が何か気になるものがあるという。その記事は福神漬と言うことで、ライタ―さんが短くまとめたものだった。多くのカレ―本に福神漬が書かれている。しかしあくまでもカレ―の記事が主体であるために、本格的に踏み込めない。調べると調べるほどその事実関係の背景確認が必要となる。一番基本の文献は池之端の酒悦さんのHPだがこれにも検証できない事実があって、書くことのが出来ない部分がある。しかし検証できないからと言って、記事にしないと読者が納得できないと思うだろう。多くの読者は漬物のような食は事実関係の検証まで要求していないので今までの通説で、最後に一言加えて逃れる。その言葉は 諸説ありますが 。この言葉が乱発しているテレビ番組がある。NHKのチコちゃんに叱られる という言い訳過多の放送である。多くの食の世界で検証できるものが少ない。特に年代は味や意匠等の変化、改良が激しく、日々変わってそこ。そこでブランド名を変えて行くときもある。この時は記録があって検証しやすい。酒悦の福神漬でも多くの食の辞典で明治18年創製説が出ている。しかしこの原本と言うべき出典がまだ見つからない。言い伝えでは明治10年頃から上野の地が公園化し、徐々に行楽客が増えてきて、商材の工夫で生き残った酒悦主人が香煎茶屋から他の商材開発をしていたという。香煎とは茶懐石の飲み物で、この商材をひと工夫し、高級感のある漬物を提供していった様子が見える。最初は3種類の野菜から始まって行った。所が持ち帰りを要求されても当時の液体の洩れない容器は樽か陶器しかなく、重くて不便だった。
 そこで上野公園で開催されていた水産博覧会に出品されていた缶詰を見て、漬物を缶詰に入れることを思いついたようだ。ここから池之端の酒悦の店舗には缶詰入りの福神漬が店頭で今でも販売されている。
 しかし缶詰に入れたことで高価となり、販売には苦労したようだ。このあたりの販売苦心の話はカレ―本に書かれていない。少し考えればわかるのに戦後生まれのライタ―達はプラスチック容器しか福神漬は見ていない気がする。びん詰は比較的残っていている。それでもプラ容器に比べると高い。びん詰の利点は賞味期限が長いので海外需要がある。

また多くのライタ―さんが書き漏れていることがあって、このことを記事にしないと福神漬という漬物が法律用語となっていることの説明が出来ない。酒悦主人は福神漬を普及させるためあえて商標登録をしていない。酒説の福神漬という名称で今は登録されている。ちなみに今の日本で福神漬の最古の商標登録は日本橋の国分の日本橋漬で大正の初めの登録となる。多くの福神漬の缶詰ブランドが日本缶詰協会の缶詰時報の広告欄で見ることが出来る。
 福神漬の由来とかの記事で缶詰を書いていないのはライタ―の手抜き記事と言うことになる。ちなみにhint-potの福神漬 この記事の文献として野菜および園芸 第86巻9号を読むため都立中央図書館で借り出し読んだが、これは香煎のというものの文献で、ネットで調べると京都祇園にある原了郭いう香煎の老舗しか日本には存在しない絶滅寸前の味ともいえる。酒悦は今は香煎は扱っていなく漬物佃煮の店となっている。
京都東山区祇園の原了郭は「祇園香煎」の名で知られる香煎の老舗で創業の由来が赤穂の討ち入り関係者と言うことになっているが、野菜および園芸の記事では、もっと古い時代にさかのぼれるという。多くの食の老舗は普通は創業時を古く書くことが多い。所が原了郭の店は忠臣蔵の方をとっていたようだ。多分多くの同業者があって、ブランドとして忠臣蔵のほうが良いと思ったのだろう。
コメント
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