叺(かます)
昭和30年代にも都内の漬物屋に専売公社(当時は塩、アルコール、タバコは専売でした)の塩は藁(ワラ)で作られた叺(かます)に入れて運ばれていました。現在の並塩は紙の袋に入れられて販売されています。
近世以来、昭和前半まで藁製品は農家の必需品で、縄、俵をはじめ、草履、草鞋(わらじ)等の生活用具は自給に頼ったり藁を利用して副業をおこし、農家経済を支える一助とした。このような藁仕事は農閑期に作業しました。叺は筵(むしろ)を2つ折りにし、縁を縫い閉じた袋です。海水から精製された塩(差塩)を塩叺にいれ、乾燥させて3年枯らしの塩と同じようなニガリ分の濃度に仕上げます(真塩)。高濃度のニガリは体にとって毒となります。このニガリで農家でも手製の豆腐を作った。ニガリを取るため塩叺を保管した。塩叺から湿気を吸って垂れたニガリをためました。塩シャケや塩マス等の塩分の多い食物はある意味で、保存の意味を超えて、塩が山村では高価であった名残です。今となっては記憶に無いのですが塩叺から塩がこぼれれたということは無かったと思います。ただ、伊勢湾台風の時、塩の積んでいるところに数センチ浸水しただけで、翌日全部の塩が崩れて使えなくなったことがありました。塩は専売から自由に販売出来るようになりましたが色々な歴史から、日本人にとって誤解されることも多い。専売の人たちは量の出ない消費者用の塩の説明不足です。
差塩(さしお)
江戸時代始め、当時経営合理化された入浜式塩田の技法は、またたく間に瀬戸内十州に伝播し、瀬戸内海地域で日本の80~90%を生産するようになりました。当時の瀬戸内では、江戸向けの苦汁分の入った差塩(並塩)と関西を中心にした苦汁分の少ない白く小粒で上品な味の真塩(上質塩)を生産していました。
差塩とは塩田製塩時に使われていた言葉で、塩化ナトリウム純度の低い塩のことをいい、それに比し、純度の高い塩を真塩(ましお)と呼んでいました。
塩製造の歩留まりを上げるために、真塩をとった後に残る、にがり分を多く含む液を、次のかん水にまぜて結晶させたもので、純度は、真塩90%程度に対し、差塩は60%から70%程度でした。
塩の専売
1905年(明治38年)政府は塩専売法という法律をつくり、塩の専売制をはじめました。前の年日露戦争がおこっていて、戦争にかかる費用を用意するためでした。
塩専売法に基づき90年以上にわたって続いてきた塩の専売制度は、消費者の運動と政府の規制緩和の方針を受けて廃止され、平成9年4月1日から新たに塩事業法が施行され新制度になりました。
日本の塩生産量の約85%以上は工業用に使われます。塩水を電気分解して作られるソーダの素材は純度が高い方が都合が良いわけですから、ひたすら純度の高い塩が求められ、国による塩専売法のもとに作られる高純度の塩化ナトリウム塩だけが塩として販売されました。
明治の専売が始まったときの塩の品質は、塩化ナトリウム含有率80%未満の塩が全体の80%近くを占めていましたが年の経過とともに減少し、昭和元年度(1926)にはほとんど姿を消していた。現在の並塩は塩化ナトリウム含有率95%以上です。
昭和30年代にも都内の漬物屋に専売公社(当時は塩、アルコール、タバコは専売でした)の塩は藁(ワラ)で作られた叺(かます)に入れて運ばれていました。現在の並塩は紙の袋に入れられて販売されています。
近世以来、昭和前半まで藁製品は農家の必需品で、縄、俵をはじめ、草履、草鞋(わらじ)等の生活用具は自給に頼ったり藁を利用して副業をおこし、農家経済を支える一助とした。このような藁仕事は農閑期に作業しました。叺は筵(むしろ)を2つ折りにし、縁を縫い閉じた袋です。海水から精製された塩(差塩)を塩叺にいれ、乾燥させて3年枯らしの塩と同じようなニガリ分の濃度に仕上げます(真塩)。高濃度のニガリは体にとって毒となります。このニガリで農家でも手製の豆腐を作った。ニガリを取るため塩叺を保管した。塩叺から湿気を吸って垂れたニガリをためました。塩シャケや塩マス等の塩分の多い食物はある意味で、保存の意味を超えて、塩が山村では高価であった名残です。今となっては記憶に無いのですが塩叺から塩がこぼれれたということは無かったと思います。ただ、伊勢湾台風の時、塩の積んでいるところに数センチ浸水しただけで、翌日全部の塩が崩れて使えなくなったことがありました。塩は専売から自由に販売出来るようになりましたが色々な歴史から、日本人にとって誤解されることも多い。専売の人たちは量の出ない消費者用の塩の説明不足です。
差塩(さしお)
江戸時代始め、当時経営合理化された入浜式塩田の技法は、またたく間に瀬戸内十州に伝播し、瀬戸内海地域で日本の80~90%を生産するようになりました。当時の瀬戸内では、江戸向けの苦汁分の入った差塩(並塩)と関西を中心にした苦汁分の少ない白く小粒で上品な味の真塩(上質塩)を生産していました。
差塩とは塩田製塩時に使われていた言葉で、塩化ナトリウム純度の低い塩のことをいい、それに比し、純度の高い塩を真塩(ましお)と呼んでいました。
塩製造の歩留まりを上げるために、真塩をとった後に残る、にがり分を多く含む液を、次のかん水にまぜて結晶させたもので、純度は、真塩90%程度に対し、差塩は60%から70%程度でした。
塩の専売
1905年(明治38年)政府は塩専売法という法律をつくり、塩の専売制をはじめました。前の年日露戦争がおこっていて、戦争にかかる費用を用意するためでした。
塩専売法に基づき90年以上にわたって続いてきた塩の専売制度は、消費者の運動と政府の規制緩和の方針を受けて廃止され、平成9年4月1日から新たに塩事業法が施行され新制度になりました。
日本の塩生産量の約85%以上は工業用に使われます。塩水を電気分解して作られるソーダの素材は純度が高い方が都合が良いわけですから、ひたすら純度の高い塩が求められ、国による塩専売法のもとに作られる高純度の塩化ナトリウム塩だけが塩として販売されました。
明治の専売が始まったときの塩の品質は、塩化ナトリウム含有率80%未満の塩が全体の80%近くを占めていましたが年の経過とともに減少し、昭和元年度(1926)にはほとんど姿を消していた。現在の並塩は塩化ナトリウム含有率95%以上です。