年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

桶川市の復元され整備された飛行学校訪問

2024年12月14日 | 陸軍特別操縦見習士官1期

先日訪問した久喜市の菖蒲地域の中核となる、菖蒲行政センタ-で本多静六の記念館を見学した後、同じ道を戻らず、桶川市の方でJRで帰って見ようとおもった。桶川市には二回ほど陸軍の復元された、飛行学校に行ったことがある。今は車に極力乗らないようにしていて埼玉県桶川駅の西口から川越行きのバスに乗って、柏原というバス停で降りて、10分程度で着きます。
桶川飛行学校平和祈念館は、当時の熊谷陸軍飛行学校桶川分教場の建物を活用し、平和を発信し、平和を2020年(令和2年)8月4日に開館しました。自分が最初に訪問したのは開館の秋で、叔父の台湾での集合写真の情報を得るためでした。このことから下北沢の北沢小学校の疎開地の長野県での特攻隊員と小学生との交流の本を出しています。それから叔父の台湾での特攻に至る航跡を本にしていただき、その本を飛行会館へ贈呈しようと思い訪問しました。台湾でも誰かが桶川で訓練した人がいるかもしれません。

熊谷陸軍飛行学校桶川分教場は、1935年(昭和10年)に現在の熊谷市に開校した熊谷陸軍飛行学校の分校として1937年(昭和12年)に設置されました。各地から集まった生徒はここで寝食をともにしながら、陸軍航空兵になるための飛行機の操縦教育を受け、その後戦地へ向かいました。

戦後、桶川分教場の建物は、引揚げ者のための桶川市営住宅として使用されました。2016年(平成28年)には、守衛棟、車庫棟、兵舎棟、便所棟、弾薬庫の5棟が市の文化財に指定され、2018年(平成30年)から2020年(令和2年)にかけて、これらの建物について復原整備工事を実施し平和祈念館として開館した。 飛行学校は当然ながら訓練をするための飛行場が要ります。それが柏原バス停から川越方面に行くとすぐに長い橋があって、その下を流れる荒川河川敷に飛行場がありました。今はホンダエアポ-トとなっている民間の飛行場です。埼玉県比企郡川島町出丸下郷53-1
当時の訓練生は分教場の宿舎から歩いて行ったようです。
 約一時間ほど館長の関根さん、新任の粒良さんと話し、帰りにもらった地図で桶川市の郷土資料館のある川田谷生涯学習センタ-内図書室で郷土資料を1時間半ほど読んで、慌てて川田谷支所のバス停まで行き、川越市の方に向かった。13日の金曜日なのに観光客が多すぎて川越の蔵の街をノロノロ走る路線バスは東京のはとバスに乗っている気分と思いながら、西武本川越駅に行き、西武新宿で乗り換え、都営の電車に乗る。本日の歩行数は約10000歩

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 何でも漬物のことは見聞きし... | トップ | ペギー葉山・根上淳夫妻の著... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。