年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

下館陸軍飛行場の事

2024年09月09日 | 宅老のグチ
茨城県筑西市の中央図書館で陸軍飛行場の資料を探して出してもらった。
下館飛行場での学徒勤労動員 著者下商二二会 出版年2010年
太平洋戦争下の茨城県立下館商業学校と二十二回卒業生学徒勤労動員の記録

 この著者から、下館商業高校は戦後に今の下館一高校となっている。この高校の学高歌が西條八十作曲で始まりが筑波の西の緑野となっている。市町村統合合併の時に、下館の地名を付けず、築西市としたのは,この学高歌から来た気がする。
 この本は戦後に書いた文章なので、検閲もなく気楽に当時の事が書かれていて、今の高校生と同じだがやはり戦時と言うことで、押し寄せる米軍の攻撃機の不安を抱えつつ、飛行機整備で働いていた。赤とんぼという複葉機が主な練習機で、最後の方の文章では、練習機の後部座席を外し、そこに爆弾を搭載している様子が見える。特攻仕様と言うことが整備の彼らも知っていたようだ。この赤トンボという複葉機は羽が布製で防水塗装してあって、レーダ-に映りにくく、さらに速度が遅く、米軍が飛行機と認識することの漏れがあって、何機か特攻に成功していたと言う。この成功事例がまた赤とんぼの特攻改修を招いた。特攻の文献を調べてゆくと、米軍が日本の飛行機が燃料が足りないので、攻撃が終われば引き返すと思っていたので飛行機が突っ込んで自爆するとは思っていないようだった。この戦果が特攻の戦術を本格的にしてしまった。
 図書館の本には勤労動員生徒が今の関東鉄道の下館駅から次の駅 大田郷駅まで行き、歩いて飛行場まで行っていた。自分は図書館の帰りに、下館駅のタクシ―で靖空神社を目指した。
住所 築西市藤ヶ谷2698-1  藤野・西原田園都市センタ-
 地図から飛行場通りと言う通りの所にあるようだ。下館駅からカ―ナビの距離はおおよそ3キロ弱であった。着くまで運転手さんとの話。
 もっぱらコメの様子。丁度稲刈りの風景が始まっていて、様子から農家が早めの刈り取りが感じられる。田畑には太陽発電の機器が増えている様子が見える。ガソリン価格が166円で東京より3円高い。
 今年は収穫後の農家に保管してあるコメの盗難があるのでないかと言うと、毎年の様に農家でコメの盗難があるという。今年のコメ不足は早めに販売しないと価格が下がり、さらに盗難もあると思われる。この辺りが日本の農政のデジタル化の遅れで、盗難行為を容認している。農産物の販売で取引が不明でも流通する。高価な農産物がデジタルの遅れで犯罪行為を誘発する。これはコロナの給付金でも起きた。制度の不備の自覚でも、時には犯罪となる。農家にとっては商品なのである。

 80年後の今に残る下館飛行場跡は通り名で飛行場通りと靖空神社。訪問した神社は何か移設感がある。

 家の帰って調べると下館の飛行隊員の「 疾風の碑」は、下館駅近くの妙西寺の敷地内にあります。このお寺は、陸軍の宿舎になって戦後に訪問した隊員によって建てられた。同所に加波山事件の被告人の墓もあるという。疾風の碑の疾風は戦闘機疾風で赤とんぼのあとの練習機・戦闘機のようで本土決戦用と思われる。
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