年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

特攻隊員の14歳の少女へのセクハラ

2021年03月25日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
今日手に入った、台湾南部の産地のパイナップルを食べながら、もうじき東新宿の台湾協会に行く準備をしている。台湾生まれの日本人を湾生と言うが、昨年暮れようやく叔父の特攻を知っている中田芳子さんと言う湾生の女性とメ-ルで話すことが出来た。この人は今は90歳でユーチュ-バ-である。今はお互いにコロナの危険性が高い高齢者なので落ち着いたら会って、叔父の特攻の疑問点を聞きたいと思っている。ユーチュ-ブの検索で中田芳子・戦争と入力し、検索すると小学校3年生の授業で戦争の話をしている所や、叔父たちの特攻隊員の宴会で14歳だった少女が隊員たちの余興に飛び入り参加し、芸者さん達に混じって、尻文字を書いたという。今なら完全に未成年者へのセクハラだろう。もっと詳しく知りたい方は「14歳の夏・特攻隊員の最後の日々を見つめた私」中田芳子著 アマゾンで買えます。
 今の台湾女子高等学校で一番偏差値の高い台北市立第一女子高級中学・台湾台北市にある女子高校。 日本統治時代に台北における女子高等教育の拠点として設立された。2019年7月4日夕方日本テレビで特攻隊員の話がありこの学校の女生徒と交流があった。 芳子さんは戦前14歳なのでこの学校に行っていたとは思えないが多分姉が行っていたのだろう。
 中田芳子さんの話では叔父は芳子さんへはセクハラ発言は無かった様で優しい人と言う。多分いつ出撃命令が出るか解らない時に、最後の芸者を入れての決起の宴会で無垢な少女を入れたのは無礼講だったのだろうか。最後の宴会の台湾陸軍本部のあった花蓮港か台北紀州庵の記念写真は前列の特攻隊員は顔つきが厳しく、後列の隊員は同じ隊員にも関わらず、特攻日時が決まっていなく顔が穏やかと感じる。叔父の軍歴から写真の撮影時期は5月10日あたりだろう。後列に居た中田軍曹と芳子さんは戦後に結婚したという。中田軍曹は戦後同期の人たちと一緒に死ぬことを誓っていたのに生き残って日本に戻って、自殺未遂までしたが死にきれず、芳子さんと出会って吹っ切れ、結婚した様だ。あの宴会に飛び入りしなければ彼女の人生はどうなったのだろうか。特攻隊員は生きて帰っても大変だった。
 特攻死してから75年後にあの最後の宴会での少女のセクハラ証言がユーチュ-ブで動画の出るとは満開の靖国神社の桜の下でのあの世へ行った隊員たちの会話か想像できる。多分昔は良かったと言っているだろう。


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