茨城県で築西市というのがある。聞きなれない市名で20年ほど前に町村合併をした市で主な町はJR水戸線が通っている下館市である。なぜこの町が気になったのかは靖国神社の図書室で叔父の写真が陸軍特操一期生写真集で、宿泊場所か教室の前で写っている写真が下館の飛行分教所となっていて、叔父の軍歴照会と異なっていた。
軍歴には 兵役歴 昭和18年11月1日 宇都宮陸軍飛行学校に第一期特別操縦見習士官として入校
昭和19年3月19日 同校終了退校
同 日 第37教育飛行隊に転属
同 日 宇都宮出発
まずこの日時が後で気が付いたのだが他の陸軍特別操縦見習士官の記録では、入校日は10月1日でそれから6ケ月で卒業すると思っていたが実際の軍歴から4か月と20日ばかりの訓練で飛行機が乗れたのだろうか。即製の飛行士養成の学校であった。陸軍の飛行士養成学校の動画が少なく、多くは海軍でほぼ同じと思われるがどこかで一度確認してみたい。
下館の飛行分教所を都立中央図書館で地域史を探したところ、築西市となっていて、下館市史を調べたが記述が少なく、現地に行って調べてみようと思った。交通を調べると東京から下館に向かう方法は車が一番便利である。しかし自分自身の方針で出来るだけ2時間の根気、注意力の限界を超える時間は避けたいと思っているので、電車で行くことに決める。
行きはJRの宇都宮線で小山駅で乗り換え水戸線で下館で降りる。筑西市の中央図書館は下館駅から、線路添いに水戸方面に歩いて行ってほぼ十分のところのある。3本の鉄道の集結地であるのに駅は広いが繁栄感はない。駅前の一等地に築西市役所があって、多くの公共施設が駅前にある。従って訪問した土曜日は超閑散。ぶらぶら歩きで図書館のの方に向かって歩く。駅前で見た地図で川の手前に図書館がある。大きな通りで図書館の駐車場の標識を見て向かう。図書館の敷地に忠魂碑がある。多くの人がこの地でも亡くなっている様子が解かる。碑の向こうは川。それから図書館に入り、郷土資料の場所を聞く。どうやら2階の隅にありそうで、本を眺めると忠魂碑という題の本が2冊あって、昭和59年7月と60年1月に刊行された。著者は海老根功という人。本は記憶の薄れた慰霊碑の由来を求めたら、すぐに茨城県の人から集まり、確認して本にした様だ。この時期は慰霊碑に関して、公費による慰霊碑の移転費用の負担問題で訴訟があって(最高裁判所判決平成5年2月16日:箕面忠魂碑事件)遺族会の危機感があったと思われる。一つの訴訟によって惰性で行われた行事が危機管理と費用の問題で変化する。築地市場で市場祭りが人気があって、開催された時は新聞報道で15万人が来たという報道があった。その後に兵庫県明石市の花火大会で、歩道橋で圧死者が多数出て、花火開催者が犯罪者となってしまった。そこから警備が重要となり、人件費増から今年は花火大会の中止が増えた。
あと郷土史の所で戦前の憲兵が戦時の工場で怠けている労働者の志向摘発の様子の本があった。この内容では軍事工事用で怠けていると共産主義者の疑いをかけられる様子が見える。
郷土史の所で下館飛行場の情報が見つからず、司書さんに依頼し、探してもらった。
軍歴には 兵役歴 昭和18年11月1日 宇都宮陸軍飛行学校に第一期特別操縦見習士官として入校
昭和19年3月19日 同校終了退校
同 日 第37教育飛行隊に転属
同 日 宇都宮出発
まずこの日時が後で気が付いたのだが他の陸軍特別操縦見習士官の記録では、入校日は10月1日でそれから6ケ月で卒業すると思っていたが実際の軍歴から4か月と20日ばかりの訓練で飛行機が乗れたのだろうか。即製の飛行士養成の学校であった。陸軍の飛行士養成学校の動画が少なく、多くは海軍でほぼ同じと思われるがどこかで一度確認してみたい。
下館の飛行分教所を都立中央図書館で地域史を探したところ、築西市となっていて、下館市史を調べたが記述が少なく、現地に行って調べてみようと思った。交通を調べると東京から下館に向かう方法は車が一番便利である。しかし自分自身の方針で出来るだけ2時間の根気、注意力の限界を超える時間は避けたいと思っているので、電車で行くことに決める。
行きはJRの宇都宮線で小山駅で乗り換え水戸線で下館で降りる。筑西市の中央図書館は下館駅から、線路添いに水戸方面に歩いて行ってほぼ十分のところのある。3本の鉄道の集結地であるのに駅は広いが繁栄感はない。駅前の一等地に築西市役所があって、多くの公共施設が駅前にある。従って訪問した土曜日は超閑散。ぶらぶら歩きで図書館のの方に向かって歩く。駅前で見た地図で川の手前に図書館がある。大きな通りで図書館の駐車場の標識を見て向かう。図書館の敷地に忠魂碑がある。多くの人がこの地でも亡くなっている様子が解かる。碑の向こうは川。それから図書館に入り、郷土資料の場所を聞く。どうやら2階の隅にありそうで、本を眺めると忠魂碑という題の本が2冊あって、昭和59年7月と60年1月に刊行された。著者は海老根功という人。本は記憶の薄れた慰霊碑の由来を求めたら、すぐに茨城県の人から集まり、確認して本にした様だ。この時期は慰霊碑に関して、公費による慰霊碑の移転費用の負担問題で訴訟があって(最高裁判所判決平成5年2月16日:箕面忠魂碑事件)遺族会の危機感があったと思われる。一つの訴訟によって惰性で行われた行事が危機管理と費用の問題で変化する。築地市場で市場祭りが人気があって、開催された時は新聞報道で15万人が来たという報道があった。その後に兵庫県明石市の花火大会で、歩道橋で圧死者が多数出て、花火開催者が犯罪者となってしまった。そこから警備が重要となり、人件費増から今年は花火大会の中止が増えた。
あと郷土史の所で戦前の憲兵が戦時の工場で怠けている労働者の志向摘発の様子の本があった。この内容では軍事工事用で怠けていると共産主義者の疑いをかけられる様子が見える。
郷土史の所で下館飛行場の情報が見つからず、司書さんに依頼し、探してもらった。