年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

雪による物流の乱れ

2013年01月16日 | 築地市場にて

トヨタの看板方式の変形であるスルー型の物流は在庫を持たないため、鮮度は良い。旧来の市場の物流は市場に物を置いて、商流としていたため鮮度が落ちる欠陥があった。しかし、今回のような雪という災害は道路の渋滞ということで物流が乱れ、在庫がないため欠品となる。
 コンプライアンスのため比較的早く、鉄道不通とか道路閉鎖となるようになった。今後もこのような雪のような災害で物流の乱れが続くことになるとある程度対策の必要な在庫型の物流が必要となる。それには市場という制度が法的に古くなった気がする。食品流通で市場機能が災害時見直されているが今回はどういう評価となるのだろうか。
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築地市場の雪

2013年01月15日 | 築地市場にて

14日早朝では築地市場は雨だった。10時過ぎから雪になり、12時には積雪5センチとなり、2時には10センチ近くなっていた。雪は音を吸収するのか実に静か。
昼過ぎから入荷のトラックによって雪が解けてゆく。今夜の築地市場は久しぶりの雪混乱。昼に降り出して積もる雪は10年以上見たことがない。大抵は夜半から降り出した雪で積雪となった事例である。
火事ではない雪の混乱。多分入荷は少ないだろう。
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連休の場外市場

2013年01月14日 | 築地市場にて

今年の初めの連休で1億5千万効果かでどの食事を出来るところが行列の出来る店となっていた。多くの食品販売店は休んでいるが食事の出来るところは結構並んでいて、列も長く混んでいる。さすがに1億5千万円効果で築地場外市場が賑わっているようだ。あまり込んでいたので自転車で通り抜けることも出来ず迷路のような市場を抜けて図書館へ向かった。そういえばこの時期いつも火事があったことを思い出す。天災は忘れた頃やってくるというが築地の火事は忘れないうちにやってくる。それも休市の前の日が多い。人が少ないため火事となる。ボヤはたぶんいっぱいあるのだろう。人が普段は多いため火事にはならない。
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昔の冬に戻りつつある

2013年01月13日 | 築地市場にて

今年の冬の寒さが例年より寒い。20年ほど前の冬は積雪等が関東地方にあると長い間畑に行くことも出来ず、野菜の高騰が続いた。しかし今は野菜が高騰しても海外から安価な野菜が緊急輸入され、高騰期間が短い。緊急輸入された農産物の品質は悪く、たいてい輸入業者の損失となる。
 年明けから野菜が高騰し昨年より高い。中国から入る野菜も中国国内価格が寒さで上昇しているので今までのようには行かないだろう。日本より中国国民の物価に対する不満を和らげるため、野菜等の輸出を一時制限する行動に出てもおかしくない。
 冬は野菜が少なかった。そして長い冬のため貯蔵した漬物で食を賑わしていた。どうやら最近漬物を料理の一要素として使うような報道が増えてきた。飛騨では漬物ステーキというのがあって漬物をバター炒めしてモンジャのようにしているようだ。少人数の家庭ではゴミも出ず合理的な考えかもしれない。
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新築となった歌舞伎座の開業案内

2013年01月12日 | 築地市場にて

4月2日、新築となった歌舞伎座の演目広告が新聞に載っていた。河竹黙阿弥の作品が4月にある。そういえば福神漬調査の過程で筒井政憲のところへ出入りしていた松林伯円(講談師)の作品を河竹黙阿弥が歌舞伎の台本としたことがあった。
 杮落とし興行だから当分は満席となるが数年たって人口の本格的減少に入ったとき本物の興行が残る気がする。明治に入って政府の規制で九代目市川団十郎、五代目菊五郎が新時代に合わせた興行を創ろうとした。しかし観客は江戸の雰囲気を求めていた気がする。そんな時、アメリカのグランド将軍の歌舞伎観劇(明治12年新富座)が今の歌舞伎の興隆に繋がっているように思える。
 外国の高官の鑑賞にも薦められる日本の演劇として歌舞伎が認知され、天覧歌舞伎(明治20年)となり最下層民扱いされ、川原乞食と蔑称されていた役者の地位が社会的に認められ、地位の向上があったのがこの時期からである。
 この時期福神漬が上野で創製され販売拡大の工夫をしていた時期である。酒悦主人が五代目菊五郎と交友があったというがお互いに創意工夫していた時である。

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あみだくじ

2013年01月11日 | 築地市場にて

環状2号線の汐留から築地市場にかけてのトンネル工事がどんどん進んでいる。日曜明けとか築地市場の休市明けに歩行者の通路が道路工事のため変更されている。昨日から三井造船前の歩道が変更され、まるで『あみだくじ』のようになってジグザクと歩行者通路が変更され築地市場へ向かうようになってしまった。
 今はトンネル工事の外壁をつくるための準備工事のようで、前日工事したところが鉄板で覆われ、地下の道路の歩道よりの壁となるのがわかる。何時工事しているのか作業員の数も少なく、工事用の機械が巨大で時代の変化を感じる。
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昌平坂学問所の縁

2013年01月10日 | 福神漬
『維新史料綱要』データベース  
東京大学史料編纂所より
長井筑前守昌言のことを再び調べる。長井五右衛門昌言は鶯亭金升の父でペリー来迎時浦賀の地で米国国書を受け取った戸田伊豆守氏栄の3男である。
 慶応3年末には長井は目付だった。木村摂津守喜毅日記〔木村喜毅著〕 慶応義塾図書館編を借り出し、再度確認する。12月末日の日記に『福諭荷物儀につき、織田和泉、長井筑前、古賀筑後へ申談、いずれも承知也』とある。福沢諭吉が外国から持ち帰った書物が幕府によって差し押さえられていたのを解除するように関係者に対して木村が申し込んでいた。文久3年4月23日の日記では永井と記し、長かも知れないと書いてあった。長井は神奈川奉行、堺町奉行等を経て、幕末時は江戸で目付けをしていたようだ。このとき妻が妊娠し、慶応4年だと思うが鶯亭金升の父である長井の知行地千葉県船橋市八木谷で生まれた。千葉は房総ということで長井総太郎という名前を付けた。
織田和泉守信重は慶応3年末には幕府の中で重職を務めていたし、古賀筑後は古賀謹一郎のことで、留守居役であった。古賀謹一郎は日本初の洋学研究教育機関として発足した蕃書調所頭取(校長)として、活躍した人だった。昌平講学問所で活躍した人たちの子孫の不思議な縁を感じる。
古賀侗庵
古賀侗庵の門人の中に戸田卓太郎氏徳という人物がいる。(昌平学科名録)出典 徳川後期の学問と政治 昌平坂学問所儒者と幕末外交変容 真壁仁著より
氏徳は文政11年学問吟味乙種及第、文政書物御用心得手伝、学問所内の沿革調所で書誌編纂にかかわる。
真壁氏によると戸田卓太郎氏徳と戸田氏栄は同一人物という。
 阿部正弘が老中であった頃の浦賀奉行は広義の学問所関係者であったと真壁氏は言う。浅野長祚(弘化4年5月より嘉永5年2月まで)、戸田氏栄(弘化4年2月より嘉永7年6月)、井戸鉄太郎(嘉永6年4月より12月)

ペリー来航後、幕府の外交に活躍した筒井政憲と戸田氏栄との関係はどこから始まったのだろうか。
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年始の挨拶の人と

2013年01月09日 | 築地市場にて

年始回りの人と例のマグロの話で始まる。それぞれの商売観が会話から読み取れる。築地に詳しい人は否定的な話となる。休市の9日は挨拶に来る人は人もいない築地を見てがっかりするだろう。ここ当分業界関係の新年行事が続く。人口の減少している日本では食品の量的拡大は利益に繋がらず苦戦は必死である。
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2013年春節

2013年01月08日 | 築地市場にて

今年の春節は2月10日からなのでその前は中国産漬物の輸入の駆け込みがある。ここ45日ほどの期間で円相場が急激に安くなり,春節後の人件費の増大から安い漬物の価格改定は必死となる。単純な値上げは出来ないだろうから、産地工場の移転とか量目変更をするしかないだろう。すでに中国から他の国へ移転する準備が始まっている。
 農村部の労働者を使っている漬物工場では春節後の復帰しない労働者を引き止めるため賃上げせざるを得ないだろう。日本でも嫌われた仕事である漬物製造も中国では安定して労働力を確保していたがどうやら終わりが始まってきたようだ。次の国はどこになるのだろうか。
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平成も25年となれば

2013年01月07日 | 福神漬

年末が余りにも忙しかったので、正月用の本を借り出すことが出来なかった。仕方がなく家にある『明治のおもかげ』鶯亭金升著を読む。
 今まで気がつかなかったのだが筒井政憲のことが気になる。福神漬に関するエピソードには幕末史に出てくる人達が多い。それも異国の情報を知りうる人達が攘夷という無謀な行為に対して結局無力であった。開明派といわれる人達の対処の仕方が調べてゆくうちに気になってきた。福沢諭吉、勝海舟も暗殺の対象となっていた。
 筒井政憲は幕末の中ではキーパーソンといえる人物なのに単独の人物伝が見当たらない。当時としては高齢者であって活躍したのはなぜだろう。昌平坂学問所の人間関係はどこで調べればよいのだろうか。
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宣伝費と思えば

2013年01月06日 | 築地市場にて

大リーグの衛星放送で日本企業がアメリカの野球場内に日本語による宣伝看板を出している。これはNHKによる間接的な広告となる。築地市場のマグロの初せり価格は宣伝費と考えれば安いものだ。従って通常のマグロ価格ではない。このような見解から報道するのを差し控えるのも一つの識見かもしれない。不祥事を逆手にとって怖いもの見たさを興行の手段とすることもよくある。明治の初めのころは女性が殺人事件を起こすと芝居興行が毒婦物としてよく上演していた。
 築地市場の仲卸も今では得意先の手先となったようだ。談合とは無縁の築地は築地再建計画も総論で賛成であっても、各自の利害関係が絡まってくる建築工事工程に入るとすぐに頓挫する。従って築地市場の新築にはヨーイドンの同時移転しかない。分割工事では建築工事工程が話し合いで決まらない。
 昨年から気になっていた朝日新聞が5日夕刊でついに初セリマグロが1面記事となっていた。
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1億5千万

2013年01月05日 | 築地市場にて
マグロ 1億5千万円 今年は朝日新聞は記事にするのだろうか。昨年はNHKを含め多くの新聞報道があったが朝日だけWEBを含め夕刊にも記事がなかった。今年はどうなるのだろう。
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構成比は少ないのだが

2013年01月05日 | 宅老のグチ

通常一般スーパーでの漬物の構成比は2%弱である。其の中で活動しているのだが何時の間に浅漬けの比率が50%を超えさらにキムチが加わって60%ほどの浅漬類が占有となった。最近塩麹の見直しから、奈良漬が非需要期にもかかわらず増えてきたようだ。狭い店舗では撤去された奈良漬けが商品を置くようになり、高齢者の懐かしさから購入が増えているようだ。今では日本全国で奈良漬を作っているところが少なくなった。日本酒需要が減り、それに伴い酒粕が減り、さらに米から酒を造る技術の向上で酒粕自体が発生しなくなってきた。デフレ化では値上げも難しかったが価格を下げても需要が増えるものではないので何とか生き延びたようだ。
 なぜ奈良漬が最近増えたかわからない。ただ漬物の売り上げ中では5%ほどなのでスーパーに中では統計上の誤差の範囲内かもしれない。一時の気まぐれかもしれない。
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大河ドラマに中島三郎助を

2013年01月04日 | 築地市場にて

江東区の中川船番所資料館を出たら、のぼり旗があった。『大河ドラマに伊能忠敬を』とあった。伊能忠敬で一年視聴率を取れるのだろうか。浦賀与力でペリーの黒船に一番乗りし、数々の幕末史の場面に登場し、戊辰戦争の締めくくりに戦いで戦死した中島三郎助の生き方は現代日本でも十分参考になる。最後の戦いで行徳の漬物商人喜兵衛が五稜郭の付近にあったと千代が岳陣屋で中島三郎助と共に死んでいる。
 福神漬のことを調べていなければ誰も喜兵衛のことは知らないでいた。
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正月の築地市場

2013年01月03日 | 築地市場にて

休市となっている築地市場の風景。年中無休の得意先が増えるので対応すべく元気な業者は年中無休となる。取り残される業者と格差が広がる。築地市場内の吉野家は休み、隣のコンビニ『ローソン』も三日間休み。このところめっきり減ったカラスが餌を確保するため騒いでいる。
 ガラパゴス築地はしがらみの中、デジタル化の波をよけることも出来ず、沈没しつつある。増えている観光客も見るだけ、年末の雑踏の中で試食するだけ観光客で売り上げ増加とはならないと嘆いていた。
今日3日は歩いていて目立つのは非アジア系の外国人観光客だった。
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