年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

昌平坂学問所の縁

2013年01月10日 | 福神漬
『維新史料綱要』データベース  
東京大学史料編纂所より
長井筑前守昌言のことを再び調べる。長井五右衛門昌言は鶯亭金升の父でペリー来迎時浦賀の地で米国国書を受け取った戸田伊豆守氏栄の3男である。
 慶応3年末には長井は目付だった。木村摂津守喜毅日記〔木村喜毅著〕 慶応義塾図書館編を借り出し、再度確認する。12月末日の日記に『福諭荷物儀につき、織田和泉、長井筑前、古賀筑後へ申談、いずれも承知也』とある。福沢諭吉が外国から持ち帰った書物が幕府によって差し押さえられていたのを解除するように関係者に対して木村が申し込んでいた。文久3年4月23日の日記では永井と記し、長かも知れないと書いてあった。長井は神奈川奉行、堺町奉行等を経て、幕末時は江戸で目付けをしていたようだ。このとき妻が妊娠し、慶応4年だと思うが鶯亭金升の父である長井の知行地千葉県船橋市八木谷で生まれた。千葉は房総ということで長井総太郎という名前を付けた。
織田和泉守信重は慶応3年末には幕府の中で重職を務めていたし、古賀筑後は古賀謹一郎のことで、留守居役であった。古賀謹一郎は日本初の洋学研究教育機関として発足した蕃書調所頭取(校長)として、活躍した人だった。昌平講学問所で活躍した人たちの子孫の不思議な縁を感じる。
古賀侗庵
古賀侗庵の門人の中に戸田卓太郎氏徳という人物がいる。(昌平学科名録)出典 徳川後期の学問と政治 昌平坂学問所儒者と幕末外交変容 真壁仁著より
氏徳は文政11年学問吟味乙種及第、文政書物御用心得手伝、学問所内の沿革調所で書誌編纂にかかわる。
真壁氏によると戸田卓太郎氏徳と戸田氏栄は同一人物という。
 阿部正弘が老中であった頃の浦賀奉行は広義の学問所関係者であったと真壁氏は言う。浅野長祚(弘化4年5月より嘉永5年2月まで)、戸田氏栄(弘化4年2月より嘉永7年6月)、井戸鉄太郎(嘉永6年4月より12月)

ペリー来航後、幕府の外交に活躍した筒井政憲と戸田氏栄との関係はどこから始まったのだろうか。
コメント
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