新島八重から新島 襄の経歴を見る。そうすると彼は安中藩の藩士の子として江戸で生まれている。安中藩はどこかで福神漬の資料を読んでいたとき出てきたなと思っていた。しばらくして福島事件被告人花香恭次郎の裁判調書を読んでいたとき、花香恭次郎の養父花香恭法の経歴が安中藩士から幕府の御家人となったようなことが書いてあったと思い出した。
明治になる前、今の千葉県干潟の地域は100年ほど安中藩の領地であった。今の銚子付近の幕末の領主は幕府直轄地とか安中藩地、御家人、町奉行所与力同心の知行地などが混在していて、治安維持が現地に住んでいる人に任せていたようだった。このことが『天保水滸伝』『大原幽学』を生み出した原因である。幕末時には金銭のやり取りで士族になった例もある。安中藩に花香家は金を貸していたのだろうか。