年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ヘイトスピーチ

2013年07月16日 | キムチ

キムチの日本へ普及した経緯を調べると日本人は異国人を許容する度量の枠が少なく、問題が生じると時間という記憶消去で解決することしかなくなる。それとも他の大きな問題が生じて、関心がそれて問題が消えるしかない。人の噂も49日というが近隣の韓国中国の問題となるとさらに100年以上の時間がかかる。
 キムチだって戦前からあったのに日本人が朝鮮半島人の勧めで食べたことでなく、日本人のみの食品店で購入できたのは昭和50年代であって、韓国フェアなどで食べていてもリスクが大きく販売されていなかった。韓国から当時輸入されていたキムチは冷凍されていた。韓国焼肉店で提供されていたキムチは在日の韓国人が作ったキムチで日本白菜の質が大陸の白菜の質と異なり、味が落ちていた。そのため韓国から輸入して冷凍していたのだが解凍技術が良くないと本場の味と異なることとなる。本場のキムチの味は奥深い。
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口の中に4枚目の舌が出てきたようで

2013年07月14日 | 築地市場にて

蕎麦屋の出前のような嘘つきは営業の始まりと誰かが言っていた。口先三寸の口上で販売するテクニックはないが結構営業上の嘘はついてきた。営業上の嘘は許されるがどこまで許されるかが問題で国際化の今は契約書の世界で許容の範囲も狭くなったようだ。
 今週はどうやら二枚舌を超えた世界に突入しなければならないようで、舌が3枚でも足りないので再生医療の力を借りて4枚目の舌を増やしたい心境となっている。こんなことは付き合わなければよいのだが先のない寿命では頼まれたら嫌とは言えない年齢となった。今はまだまだ忙しくお迎えはもう少し待ってもらいたい。
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子安峻 こやすたかし

2013年07月14日 | 築地市場にて

子安は天保7年(1836)生まれ。家は代々大垣藩に仕えていた。生まれつき勉強家で弘化4年(1847)早くも大垣藩校敬教堂の句読教授に抜擢されたという。(11歳)当時の大垣藩主は戸田氏正で、家老小原鉄心の建言で優秀な青年子弟を江戸に送って、西洋砲術を学ばせた。子安は其の中の一人で彼は下曽根金三郎へ入門したが蘭学を学ぶ必要性を感じ、藩の許可を得て、佐久間象山の塾に寄宿して学んでいた。
 嘉永6年ペリーが浦賀に来たとき、象山について浦賀に行き、異国の軍備を見て、軍制改革の必要性を感じ、藩に建言したと言う。(16歳)翌年安政元年伊豆下田での吉田松陰密航事件により、象山が松代に幽閉されたとき、大垣藩は子安へ疑いをかかるのを恐れ、大垣に帰した。(吉田松陰と子安峻との関係資料がないのはこの事情がある)
 少し時間がたって、再び江戸に出たがこの辺の人間関係の証拠隠滅工作は横浜で高島嘉右衛門が金銀交換比率の不適正で金儲けしたとき、高島の姉に咎めが及ばないように大垣藩主から離縁されたことに似ている。この姉が産んだ子が戸田欽堂である。つまり、明治の初めに横浜の豪商であった高島嘉右衛門と子安が関係あっても不思議ではない。三代キシャと言っていた鶯亭金升は新聞記者だが子安峻は読売新聞を作った。
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弁護士ウィーク

2013年07月13日 | 宅老のグチ
今週は予期せぬ弁護士ウィークとなってしまった。一般の人は弁護士と付き合う頻度は少ないと思うが、4月以降少なくとも5人の弁護士と付き合う羽目となってしまった。不景気の今は弁護士の仕事も少ないようだが色々付き合っているうちに相談を受けて弁護士の手配をすることとなった。もちろん信頼されているからで案件の口外禁止は当然で、さらに自己矛盾も打破しなければボランティアは出来ない。自己満足の世界である。困っている人を助けることの報酬は自己満足しかない。弁護士さんも得意分野があるらしく、込み入った交通事故は専門の弁護士でないと処理できないことを知った。つまり医者も全ての病気を知っていて治療できることにはならないという理屈である。
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大豪清水次郎長 

2013年07月12日 | 福神漬
大豪清水次郎長 小笠原長生著
著者の小笠原長生は唐津藩小笠原長行の子であった。明治23年秋に清水で海軍広瀬武夫の紹介状で清水次郎長と面会した。
 都立中央図書館の個人伝記の本が所蔵されているところでぼんやり眺めていたら、清水次郎長の本が集まっていたところに著者名の中に小笠原長生という名前があって気になった。手にとって見るとやはり生麦事件を処理した老中小笠原長行の子であった。
謎解き江戸のすすめというテレビ番組で清水次郎長の死去した年が明治17年とは驚いた。これでは自由民権運動弾圧と侠客次郎長逮捕との関係が解らなくなる。
戊辰戦争で反官軍に身を任せた小笠原長行は箱館で敗戦後逃亡生活を送り、海外から日本に帰ったと自首し、短い謹慎期間の後、自由となった。明治24年1月に小笠原長行が死去したのだがその葬儀に榎本武揚と共に林田保という人が参列している。(久敬社誌)この林田という人は村田保の誤植と推測される。大坂の唐津藩邸で生まれた村田が参列していてもおかしくはない。村田保は日暮里浄光寺境内に建っている福神漬顕彰碑を揮毫した大日本水産会の設立者である。


大豪清水次郎長を著した小笠原長生は日本海海戦で活躍した東郷平八郎の伝記の著書で知られている人物である。彼は明治17年築地にあった海軍兵学校に入っている。この兵学校は今の築地市場内の勝鬨橋付近のところに当たる。この兵学校に明治天皇が行幸した道が銀座の「みゆき通り」の名前の由来となる。
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ことばの写真をとれ

2013年07月11日 | 福神漬

速記者若林玵蔵(わかばやしかんぞう)の評伝。藤倉明著
ひょんなことからこの本を借り出すこととなった。きっかけは明治文芸と薔薇の著者中込重明氏の一文から速記のことが気になった。松林伯円の講談「安政三組盃」の速記者である。しかし松林泊円との関係より、速記者若林の名は三遊亭円朝の落語の速記で日本歴史に名が残っている。
 明治17年頃の自由党系新聞と改新党系新聞との板垣退助洋行問題から始まった自由党批判から改進党と三菱の関係を批判する泥試合の様相となった。速記者若林はこのときの両者の論争の記録人として速記の重要性がはじめて認識された。
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ウナギの絶滅アシスト

2013年07月10日 | 築地市場にて

土用の丑の日の漬物として奈良漬需要がある。ウナギのシラス不足で高騰しているが絶滅危惧種の仲間入りで、何時奈良漬がウナギの絶滅アシストと変わるかも知れない。秋田のハタハタ漁がやはり不漁となって一時休漁したこともあったようだ。数年間日本種ウナギは専門店以外が扱えなくなる価格となるまで高騰しなければ本当に絶滅するだろう。品種の異なるモドキのウナギで夏を過ごすしかない様だ。モドキのウナギに奈良漬は合うのだろうか。

スーパーが自慢げに安さを強調してウナギを拡販しているが何時かは絶滅アシストとして節操のない商売として批判されることもありうる。すでにクジラがそのようになって消費が減っている。
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やっぱり梅干

2013年07月09日 | 梅干

梅雨明けで熱中症のニュースが多い。どこかの学校給食で梅干が出ていた。ようやく塩分の価値が見直されてきたのだろうか。高血圧、ガンの対策で低塩食品ということで漬物の塩分は少なくなった。
 2年連続不作の跡で、品不足のため新物梅干が早めに出てくるだろう。
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梅雨が明けていたのか

2013年07月08日 | 宅老のグチ

1853年7月8日(嘉永6年6月3日)は梅雨が明けていたのか。以前鶴見の大黒ふ頭の物流施設の3階(高さは10M以上ある)から対岸である木更津の町が見えていた。江戸時代の東京湾内海運は盛んで木更津行きの船は頻繁に出ていた気がする。羽田沖から三浦半島を眺めれば黒船が航行しているのは見えたのは当時の天候と空気が澄んでいたからかも知れない。当時でも夏の梅干は必需品であった。
 梅生産者の過労が気になる。製品を売らなければならないが漬け込んだ梅を天地換えしし、干しあげなければ梅干とならない。梅雨明けの安定した天候は貴重な時間となる。

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関東梅雨明け

2013年07月07日 | 宅老のグチ
節電の3年目の夏、緊張感はない。どちらかというと節電というより経費節約という感じが見える。塩入の食品が目立ってきたが熱中症の予防には塩分と水分とクエン酸が必要で高齢者には梅干が一番良い。
それにしても梅雨明け予想日の外れはひど過ぎる。20日前後予想だったので梅雨需要をあてにしていたところは困るだろう。今年はスイカのおいしい年になりそうだ。
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冷蔵庫の解体工事

2013年07月06日 | 築地市場にて

何処からとなく複数の築地市場の情報通から、マルハニチロの築地市場内の冷蔵庫の解体工事が始まるという情報があった。その理由として環状2号線工事の関連で築地市場の移転の遅れを見越して、浜離宮沿いに仮設道路を拡張し、建設中の隅田川に架かる橋に取り付けるという。其の工事のためすでに長年紛争していた浜離宮大手門橋のヨットか強制執行で撤去された。マルハニチロの冷蔵庫も仮設道路の関係の工事という。市場の中の解体工事にも関わらず、道路関係の予算のようだ。
 確か解体される冷蔵庫は昨年3月に昼火事を出した冷蔵庫のような気がする。消防車でたっぷりと水をかけられ、其のあと凍った水をどう撤去するか気になっていた。冷蔵庫としては機能が低下していたので解体話は渡りに船の状況だったのだろうか。隅田川の橋梁工事は市場と関係あるのに情報もなくドンドン進んでゆく。このまま市場の移転がなくとも橋が完成してしまうのだろうか。
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秋には読売新聞が銀座から大手町に戻る。

2013年07月04日 | 福神漬
明治の始めには銀座に在った読売新聞が10月末には新社屋が完成し銀座から大手町に戻る。
仮住まいの読売新聞東京本社の隣というべきところに黒船来航時期に佐久間象山の塾があった。
東京都中央区銀座6-17-1 読売新聞東京本社は仮住まいだから気にはしていなかったが読売新聞創立者の一人である(子安峻 こやすたかし)のことを調べていたら、16歳のとき佐久間象山と共にペリーの黒船を見るため浦賀へ陸路で行ったという。当然象山の門下生であった吉田松陰と東浦賀の宿で一緒だったと思われる。しかし子安峻の文献には松蔭と一緒という記録がない。<参考文献>『読売新聞百年史』,西田長寿『日本ジャーナリズム史研究』,竹内繁『読売 新聞の創始者子安峻』
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梅漬け込みの終わり

2013年07月04日 | 宅老のグチ

例年梅の青果相場が終わりの時期となる。やっと今年は平年作以上で小粒の梅も多いようで消費者の塩分過剰摂取を和らげる気がする。ただ今年の梅が製品となるのが10月以降で,味が安定するには年明けとなるだろう。南紀のJAも統合の話が出ているようで産地もこれから変わってゆく。
 ここ数年の天候異常で梅の生産量の変化が激しく、ヒヤヒヤした年が多かった。久しぶりに安定した仕事が出来る。
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新聞のない朝

2013年07月03日 | 宅老のグチ

長い間新聞を取っていたが昨今の経済状況と通信状況から、7月より新聞購読がリストラとなった。つまりパソコン・スマホ費用の増大から削除の対象となった。ただ困るのは新聞に入っているチラシ広告が読めないとなるのだが最近の投げ入れ広告でマカナイできるのだろうか。新聞購読を辞めた人への広告手段という新しいビジネスがあってもよい気がする。
 選挙広告が新聞購読を止めたことで手に入らないということは一種の差別手段となる。
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「浅漬け名人 菜漬器(さいしき)」

2013年07月02日 | 築地市場にて

1万3800円で44万個売れた漬物容器。漬物業界の人ならおかしいと誰でも思うが漬物業界の消費拡大ならば黙ってしまうのが欠点でもある。
 最近の乳酸菌宣伝では腸まで生きて乳酸菌が届くという宣伝が多い。昔はただ乳酸菌の効能だけを宣伝していたようだ。
 昔から乳酸発酵した漬物はあるが宣伝下手で他の業界の宣伝から追従することが多い。「すぐき」の乳酸菌ラブレ菌もその一つである。小腸で活躍する乳酸菌はほとんどが胃で死滅している。ほんの少しの乳酸菌が食物繊維に覆われて小腸まで届いているようだ。漬物の乳酸菌は小腸まで届いていたようだ。ただ塩分の多さで嫌われていたため、効能が伝わっていない。胃の中に住み着いているピロリ菌が胃がんの発生を促進していることが伝わるにつれて漬物への風当たりが弱くなってきた。

効能が否定された漬物容器はどの位返品になるのだろうか。
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