水産部荷受の年末商材の合同展示会が終わると気分は正月に向かう。今年はバタバタしていたので見物する余裕がなかったが来年は築地で展示会を行って、豊洲で販売することとなる。年末の荷物の多さでビックサイトを借りたりして対応していたがどうなるのだろう。豊洲は広いが年末の物量を収容するほど広くない。
そろそろ来年のカレンダ-が出るはずだ。
水産部荷受の年末商材の合同展示会が終わると気分は正月に向かう。今年はバタバタしていたので見物する余裕がなかったが来年は築地で展示会を行って、豊洲で販売することとなる。年末の荷物の多さでビックサイトを借りたりして対応していたがどうなるのだろう。豊洲は広いが年末の物量を収容するほど広くない。
そろそろ来年のカレンダ-が出るはずだ。
国勢調査をネットで完了した。年によって調査する項目を減らしているようだが結果をどのように反映させるかは政治の問題となる。
世界混乱への想像力が弱くなっているようだ。シリアの難民がネットの情報でドンドン増えている。今は難民がこのように情報を得ているとは想像できない。
小林一三の結婚話のごたごたを明治32年秋の新聞に匿名でゴシップ記事が書かれたようだ。NHKのドラマではどの新聞か書いては無かったが咲村観著「小林一三」では朝日新聞と書いてあった。この話は自伝にも書いてあってどこまで岩下清周との関係が繋がるのだろうか。NHKのドラマでは生駒山トンネル工事で死亡事故が北浜銀行の取り付け騒ぎを招き倒産の原因であるとしていた。今は銀行の倒産は少ないが明治期はかなり銀行倒産が多かった。
今晩のNHK午後9時のドラマで福神漬が出てくる。どんな描き方をされるのだろう。先週のドラマで小林一三の結婚問題で新聞沙汰になったことを書いてあった。この新聞を横浜博物館で読んでみたい。この結婚不祥事で小林一三は閑職に追われ、三井銀行から北浜銀行の岩下清周の口利きで電鉄の世界に入った。
小さな台風と心配しなかったが秋雨前線との合体した大雨で堤防決壊という大惨事となってしまった。十数名の死者行方不明者という。決壊した地域は白菜の大産地に近い。映像から見ていると水田のみの被害で済みそうだ。これで秋野菜の高騰が避けることは出来ない気がする。
今日の青空は秋の気配がする。今年は残暑がなかった。雨漏りの吸い取り紙の役割をしているダンボ-ルが水を含んで重い。
築地市場の雨漏りが酷く修復する気力も薄れ、事態に対処でやり過ごす。無駄な労力で一日が終わる。連日の大雨で買い物客が少ないようで注文も少ない。この長雨で野菜が高くなることは必至でどこまで上がるのだろか。築地大橋からの架設取り付け道路の工事がいつの間に進んでいて来年豊洲移転前には使えるようになりそうである。
今度の消費税10%増税の弱者への還付策でマイナンバ-カ-ドを使用することで遺漏なき還付を行えるように政府は考えているようだ。しかし高齢者が食品購入時にカードを親切な詐欺師に番号を盗まれない保証はあるのだろうか。遺漏した番号を集めて銀行等の新規口座も開設できるようになるかもしれない。性善説で電子社会は守れない。悪意のあることを前提にするべきである。高齢者が反対車線を走行する事例が増えてきた。徘徊もある。マイナンバ-カ-ドを常時持っていると推測される高齢者を襲う少年を誘惑する。
福神漬の資料を調べていて、砂糖の歴史の部分で明治の製糖史の中心人物の一人である鈴木藤三郎が晩年を過ごした富士山麓の住居農園が今は不二聖心女子学院という学校となっている。その全身である温情舎小学校の校歌は小林一三作詞、作曲が宝塚歌劇団となっていた資料を裾野市の図書館郷土資料室で読んでいたとき、小林一三と岩下清周の関係の深さを感じた。
まだ資料が見つかっていないが鈴木藤三郎が死去したとき葬儀の参列者の中に麻布学園の創立者江原素六がワザワザ東京から参列している。麻布学園への静岡の大口資金提供者が時期的には鈴木藤三郎と思われる。鈴木藤三郎の跡地を岩下清周が住み、そして今女子高となっている。福神漬の周囲には調べると不思議な歴史が埋まっている。
盆明けからの雨続きで気分も先送りに傾きつつある。何時になったら秋晴れの予報になるのだろうか。週末にミニ台風がやってきそうで野菜の根腐れになりそうだ。秋大根の蒔きつけ時期で今年も気になる。
雨で出る気分意ならず、本を読む。中浜万次郎の自伝を読む。本の出だしで本州南岸を黒潮が流れているがそこの冷水塊のいたずらで漂流したと書いてあった。鎖国で沿岸航海のみとなった日本は造船技術の発達が遅れたようだ。生き残った人達の記録では舵が壊れたことで船の制御が出来なくなった事例が目立つ。
平成27年9月5日のNHKで小林一三のドラマがあった。福神漬も来週の放送で出てきそうだ。いま手元にある小林一三の自伝で結婚の時の話がほぼ同じように描かれていたが自伝と異なるところもある。ただ当時の新聞報道があったことは自伝には描かれていなかった。名古屋につれて行った最初の女性は下谷のメゾジストだと思われる。福神漬を食べながら結婚話を進めていたのだろうか。
のちに小林一三が日本郵船の船で海外に行くとき,船の食事でカレ-ライスに福神漬が出てきて記憶に残っていたのだろう。小林がどこかで話して日本郵船の人の記憶に残り、資料調査してカレ-ライスに福神漬を添えた始まりとなったと思われる。
築地が4日午後急な雨だった。その後晴れて、借りていた高橋是清の本を中央図書館へ返した。同時にジョン万次郎の本を借りる。築地市場の帰途、9月4日はクジラの日という看板があった。
少し前クジラを食べたがおいしいと感じなかった。昔は食べるものが少なくクジラの学校給食で栄養を取っていた。築地場外市場でもクジラを食べることがかなりある。でも今は昔ほど売れていないのでクジラの在庫があるようだ。ある報道によると北欧から北極海を通ってクジラが日本へやってくるという。
まだまだ古いWIN7で動かしているが『WIN10へ移行して』と不要な案内が出てくる。銀行等のパソコンは移行してはいけないのに。
ソフト会社の人と話す。仕事では過剰な機能である。絵などの重いデ-タを扱わないので余計感じる。
中国のがんばり行事が終わる。これから景気の秋が始まる。どんな寒さになるだろう。ある程度まで行くと人の要求はまちまちとなって過剰な機能やお金が必要ない人が現れる。飢えや貧困の人にはうつの世界は遠い。戦後その日の食事に困難なとき、日本の出生は多かった。明日に希望があった。今は食の心配はないが子供の数が減っている。
猛暑の夏が一転して台風が中旬に過ぎ去った後、雨模様となり日照不足で野菜が高くなった。夏場の天候不順は海外からの緊急輸入もリスクが多く(天候回復すれば育ちは早い、契約栽培でないので農薬リスクもある。)相場が高いことが続く。この高価格野菜で浅漬業者は淘汰されていった。高価な野菜で販売価格が抑えられていては採算が取れない。8月に野沢菜の大手業者が倒産した。
ス-パ-で漬物業者が倒産や撤退で自己の惣菜部門で浅漬けに参入するところがあるが成功した事例はない。その理由として野菜が安いときは浅漬けの販売量が減り、高いときは損して販売するようになる。塩分により設備の老朽化が早い。
昨日、信用調査会社から電話があった。移転の予定はありますかと、不動産の移動調査のような言い方であった。うっかり答えたが電話を切った後、おかしいことに気がついた。少なくとも派遣の人でも大手の信用調査会社が調べているのに築地市場の豊洲移転のことは知らないことで良いのだろうか。
今信用調査会社では豊洲へ移転しない会社を調べているのではないのだろうか。行く店舗と閉鎖する店舗。何処で豊洲移転情報が必要なのだろうか。まだまだ揺れ動く移転問題。
図書館で借りた高橋是清自伝を読む。福神漬の史料調査の関連で出てきた人とかなり重なる。仙台藩の人脈である。日本銀行2代総裁となった富田鉄之助の縁が強いと知っていたがこれほど転職の多い人はあまり日本人には多くない。好奇心が強く、強運の人と感じる。転んでも何かをつかんで這い上がる。
移転まで14ヶ月強となった。慣れない雑事が増えると思うが対処するしかない。