18日の築地市場内で開かれる豊洲市場汚染会議。最終回となる。また分厚い資料だろう。築地で働く人たちのレベルを示す。銀座にあったコピ-機のリコ-が何時の間に築地に来ていた。世界的にコピ-需要が減っているという。築地ではまだ紙でないと回覧にならない。日本で一番デジタル環境が悪いと思う。
テレビの映像的には手書き注文票を映した方が築地の風物として良いだろうが遅れていることを示している。どんな結果になっても大方の予想では小池知事は判断できず先送りのコメントになるだろう。
18日の築地市場内で開かれる豊洲市場汚染会議。最終回となる。また分厚い資料だろう。築地で働く人たちのレベルを示す。銀座にあったコピ-機のリコ-が何時の間に築地に来ていた。世界的にコピ-需要が減っているという。築地ではまだ紙でないと回覧にならない。日本で一番デジタル環境が悪いと思う。
テレビの映像的には手書き注文票を映した方が築地の風物として良いだろうが遅れていることを示している。どんな結果になっても大方の予想では小池知事は判断できず先送りのコメントになるだろう。
中国の取引先ラッキョウ工場が水源地の工場ということで設備した漬けこみタンクをいきなり破壊された。再開のめどが立たないという。当然契約していた農家からラッキョウを引き取ることが出来なくなる。まだ中国人は生ラッキョウを食べないので混乱が広がるだろう。日本では来年中国産のラッキョウが品薄となる。畑からすぐに工場にゆき、洗浄しないと土色のラッキョウとなる。
築地市場内の会議は休市前の会議しか開催されなかったが、18日は異例の会議で平日に行われる。土壌汚染対策の方法の会議となるが金曜日に都知事が先行して会議の内容をバラス行為を築地の業者団体の不信感を煽っていたので木曜になったと思われる。
どれだけの参加者があるのだろうか。日々仕事の忙しい曜日である。
ようやく東京都の工事の効果が表れて昨晩の雨でも長靴不要の状態まできた。雨漏りはどこが原因かまだ不明だがとりあえず業務に支障はない。今週からまたTVで豊洲問題が復活。決断の出来ない知事が追い込まれていく状況が目に見える。今新橋駅で耐震工事が行われているが大きな屋根に覆われたため雨漏りの所が無くなったようだ。老朽化した施設ではどこが原因か不明の時が多い。つぎはぎプロジェクトでまた時間稼ぎとなるだろう。
連休が終われば漬物業界の人事の行事の5月となる。人材難らしい。こちらも引継ぎ難航で苦労している。慣れている仕事も他人がすると大変らしい。配送業者の変更も苦労したのは3日ほどで今は楽なことを感じる。
青果が安くなったような気がする。ヒマだ。
今問題となっている築地市場の豊洲移転だが今日新しいことを知った。環状2号線の築地市場貫通は当初の計画は違っていて、築地川(浜離宮と築地市場の間の川)を通る予定だった。勿論地下工事だったが浜離宮の石垣が文化財ということで築地市場の下を通過することになった。当然東京都は築地市場の下にある大名庭園を意識しているようだ。埋蔵文化財の工事は大変だ。さらに東京都の職員は築地市場の水産部仲卸の店舗部分は石畳で覆われていてコンクリ-トで覆われているのは通路ということだ。小池知事は通路しか歩いていない。
それぞれの業界には特有の言葉がある。明治期の軍隊を主な得意先としていた漬物業界にもそのような言葉がある。鉄砲・大砲などもある。比喩が多い業界でもある。金銭の打ち合わせがあって、鉄砲の手配をすれば漬物業者はテロリストにもなりうる。
比喩や駄洒落の多い業界でどんな意味が隠されていたか不明になった例もあるかもしれない。
昨年は無かった東京都の場内案内放送で築地市場は登録車しか入場できないと頻繁に放送している。豊洲移転騒動で東京見物の一つになっているのだろうか。買い物ハ休みのため、ほとんど聞こえる言葉は異国の言葉。ここはタダデ入れる観光地。晴天に恵まれた連休だった。
この後暇になるだろう。
5月2日築地市場内の100箇所以上のところで地下の土壌汚染調査が始まったと言う報道があった。都知事の豊洲移転判断に影響があるという。おかしい。一番危険な米軍ランドリ-跡地は除外している。東京都の報道を丸呑みしている。
市場正門脇の掲示してある松平定信の隠居跡にあった貴重な大名庭園が築地市場の下にあることは何処も報道していない。イザ築地市場で工事が始まれば遺跡調査の時間が必要となる。どんな埋蔵遺産があるかわからないが時間だけが経過してゆく。
中央区の掲示板
江戸時代中期の陸奥白河藩主松平定信は老中の職にあって寛政の改革(1787~1793)で幕政の建て直しを行ったが、老後には将軍よりこの地を与えられた。当時この地は江戸湾に臨み風光明媚で林泉の美に富み、浴恩園と名付けて好んだという。
明治維新以後この地は海軍省用地となり、海軍学校、海軍病院などを設置して著しく園池の風景を変えた。さらに、大正12年(1923年)12月、日本橋にあった魚市場(俗に魚河岸)がこの地に移転して来るに及んで、かつての浴恩園の面影はまったく消滅し、現在は東京都中央卸売市場が設置されている。
築地市場の直外といえるところでTVの取材風景。そういえば東京都の規制でTV取材は東京都の許可が市場内撮影には必要であることを一般人は知らないようだ。従って放映されるところは市場外となる。
築地の場内業者は1000件あれば1000件の特色がある。それぞれ独自の世界を持っていて、時代の変化に対応できないところが消えてゆく。5月から配送業者が変わって対応に苦慮している。連休が終われば徐々に過去の対応を忘れるだろう。スタンバイ機能のあるトラックの良さを感じたことも忘れるだろう。今どうしてスタンバイ機能のあるトラックを知ったか忘れた。築地市場でアイドリング禁止でもスタンバイ電源がない以上排気ガスを撒き散らすしかない。
危機感たっぷりの日本で築地は比較的静か。補助金と補償金もまだ入金が確認されていないのでのんびり。これから補償金の基準の情報交換が始まる。バラバラの基準が統一されれば豊洲延期もいい経験となるのだろうか。
数年前から5月の3連休が休みとなった。抵抗勢力と言える水産部も世間の休日増に勝てなかった。人手不足の世間の圧力は築地にも再びやってきて前回とどう異なるのだろうか。
平成のはじめ、築地市場青果部の若手労働者の中で外国人が目立っていた。ボ-ルペンと帳面を手にして小車に野菜を載せて八百屋さんの車のナンバ-を確認して配送していた。築地青果部が活況の時だった。今は大田市場の勢いが良く、夜中を除くといつも閑散としている感じがする。バブル期を知っているからで、最近築地に来た人はまだ活気があると見ているようだ。
予報されいたとはいえ、雷雨があった。連休の荷物を何とか整理する。配送業者の変更もトラブルは無かったようだ。あと一つ月半で暇になる。次の節目は8月の盆休み。昨年は冷蔵庫故障で苦労した。さて連休明けて1週間過ぎれば暇となる。