隠岐もこれで終了なのに、長い間ほったらかしにしてしまった。
7月9日、国賀荘をチェックアウトし別府港から内航船「いそかぜ」で7分乗船し、中ノ島の菱浦港へ。
西ノ島の別府港にて。
水木しげるさんは、島根で引っ張りだこ。
太平記の里とあるのは、後醍醐天皇の行在所があったからだが、国分寺にも行在所があったと、説が分かれている。
隠岐神社の神主さんの案内で、後鳥羽上皇の火葬塚へ。
わずか3歳で即位、18歳で譲位した82代後鳥羽天皇。
1221年の承久の乱で敗れ、鎌倉幕府によって隠岐へ流島となり、以後19年間帰京を夢見ながら56歳で亡くなる。
隠岐神社は、後鳥羽上皇崩御400年の昭和14年に造られ、後鳥羽上皇を祭神としている。
ちょっと珍しい狛犬があった。
子の狛犬が寄り添っている。
明屋海岸へ。
7月初旬、梅雨の真っ最中で、時々雨が降る曇り空の毎日だったが、バスを下りてさぁ観光・・・と、いう時になれば雨はやんでいるというラッキーな旅だった。
赤壁と同じような赤い岩壁。
知夫里の赤壁や国賀海岸のスケールとは比べものにならないが、隠岐での観光を締めくくるに相応しい静寂で美しい海岸線だった。
昼食は隠岐牛のランチ。
別府港から高速船で七類港へ。
16:30頃、休暇村で解散し、旅は終わりました。
そのまま休暇村蒜山高原に泊まる人がほとんどで、その足で帰るのは私達だけ。
まぁ、その日には帰らなかったんですが・・・。