散歩日和となり旧東海道五十三次の三番目の宿場の神奈川宿の歴史の道をブラ散歩してきました。
神奈川宿は、現在の横浜駅から神奈川新町駅までの約5キロの歴史の道コースとなっており、宿場の当時のものは殆ど残されていませんが、要所にはガイドパネルが設置されており、当時の様子を伺い知ることが出来ます。
東神奈川駅から旧東海道に入り、滝の川沿いの「慶雲寺」は、「浦島寺」とも言われるお寺で、浦島太郎が竜宮城に行ったときに乙姫から授かった菩薩像が伝わった伝説の寺で浦島観世音や石塔が見られます。
開港時にはフランス領事館に充てられていました。
アメリカ人宣教師の宿舎として使われた「成仏寺」です。
常仏寺の先の神奈川地区センター前には、幕府の法度や掟を記した木札を掲示した施設「高札場」が復元されています。
高札場が設置されている旧東海道には、今も松並木が残されています。
高札場を過ぎると、右手に「熊野神社」があり、平安時代に奇異の熊野権現を勧請し「熊野大権現」と称されています。境内には神奈川大火や大空襲で焼けたご神木「大公孫樹(イチョウ)」が生き延びています。
熊野神社の裏手には、「金蔵院」があり、拝殿は特異なデザインとなっています。境内には咲き始めた枝垂れ桜も見られす。
その先の神奈川小学校近くの「東光寺」でも、神奈川大火と大空襲で焼け落ちて焼損した公孫樹(いちょう)の巨木があります。
小学校横の塀には、神奈川宿全貌の地図が描かれています
その先の公園内に鎮座する「神明宮」ですが、その由来は不明でした。
その先に「能満寺」の仁王門には、阿吽の仁王様が見られます。この地の漁師が海中から「虚空菩薩像」を拾い上げ祀ったお寺です。
京浜急行のガードをくぐった先にある「笠のぎ稲荷神社」があり、神社の前を通る旅人の笠が脱げ落ちたことから「笠脱稲荷」と呼ばれていたのが、その後、笠のぎに改名された由来のお稲荷様です。境内にはご神木の夫婦和合の大銀杏が見られます。
旧東海道に戻ると、開港当時に外国人宿舎とするよう命じられたが、屋根を壊して修理中だからと断ったという「良泉寺」です。
さらにその先の神奈川新町駅裏の神奈川通東公園は、オランダ領事館があった場所で、歴史の道の東端で神奈川宿の江戸見附跡でした。
その時代には、土盛りされた土居があり、長延寺跡の石碑が残されています。
東公園を折り返して旧東海道を京方面へ戻り、滝の川の滝の橋付近には、宿の本陣があったようで、現在はその痕跡は残されていませんでした。
この後、さらに神奈川宿の京見附側を進みます【続く】
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