日光東照宮から二荒山神社を経て輪王寺大猷院を参観してきました。
日光山最大のパワースポットといわれる二荒山神社に参拝し、大鳥居をくぐり徳川三代将軍「家光公」の廟所大猷院へと向かいます。
大猷院では、東照宮の混雑はありませんが、広い境内は本殿まで階段の連続で急な階段を上ります。
最初の「仁王門」では、阿吽の2体の真っ赤な仁王様が厳しいお顔で迎えてくれました(笑)
日光最大の大きな門「二天門」をくぐり階段をさらに上ると、左右に入母屋造りの鐘楼・鼓楼が並び格式高い豪華な極彩色で彩られています。
その先の「夜叉門」では、赤・緑・青・白の色違いの「毘陀羅像(びたら)、阿跋摩羅像(あばつまら)、烏摩勒伽像(うまろきゃ)、健陀羅像(けんだら)」の四体の夜叉が安置され、霊廟をお守りしています。
その夜叉の鳥摩勒伽(うまろきゃ)の膝には象が付いており、いわゆる「膝小僧」の語源になっています~
夜叉門も素晴らしい極彩色の彫刻が見応えありますね。
拝殿の前に立つ唐門も細かな金色の装飾で飾られています。
唐門に連なる塀の周りには、徳川家独特の立派な灯籠が置かれています。
「拝殿」の内部には唐獅子や140枚の龍の天井画が描かれています。
「拝殿・相の間・本殿」は権現造りとなっており、大猷院の中心となる建物で沢山の金色の彩色となっており、金閣殿とも言われるそうで格式高い豪華さを感じます。
本殿の右側には「皇嘉門」があり、白い支脚は龍宮城を連想するデザインで「龍宮門」の別称となっています。
この門の奥には家光公の墓所奥の院があるのです。
境内を巡って展望所からは、二天門下には300基を越す石の灯籠が並んでいますが、この灯籠は当時の諸大名から献上されたものだそうです。
東照宮とは異なる天上界に上ったような印象でしたが、この「大猷院」を建造したのは、徳川家の家臣である我がふるさと小浜藩主の酒井忠勝が、4代将軍徳川家綱の命を受けて造ったそうです。
日光山最大のパワースポットといわれる二荒山神社に参拝し、大鳥居をくぐり徳川三代将軍「家光公」の廟所大猷院へと向かいます。
大猷院では、東照宮の混雑はありませんが、広い境内は本殿まで階段の連続で急な階段を上ります。
最初の「仁王門」では、阿吽の2体の真っ赤な仁王様が厳しいお顔で迎えてくれました(笑)
日光最大の大きな門「二天門」をくぐり階段をさらに上ると、左右に入母屋造りの鐘楼・鼓楼が並び格式高い豪華な極彩色で彩られています。
その先の「夜叉門」では、赤・緑・青・白の色違いの「毘陀羅像(びたら)、阿跋摩羅像(あばつまら)、烏摩勒伽像(うまろきゃ)、健陀羅像(けんだら)」の四体の夜叉が安置され、霊廟をお守りしています。
その夜叉の鳥摩勒伽(うまろきゃ)の膝には象が付いており、いわゆる「膝小僧」の語源になっています~
夜叉門も素晴らしい極彩色の彫刻が見応えありますね。
拝殿の前に立つ唐門も細かな金色の装飾で飾られています。
唐門に連なる塀の周りには、徳川家独特の立派な灯籠が置かれています。
「拝殿」の内部には唐獅子や140枚の龍の天井画が描かれています。
「拝殿・相の間・本殿」は権現造りとなっており、大猷院の中心となる建物で沢山の金色の彩色となっており、金閣殿とも言われるそうで格式高い豪華さを感じます。
本殿の右側には「皇嘉門」があり、白い支脚は龍宮城を連想するデザインで「龍宮門」の別称となっています。
この門の奥には家光公の墓所奥の院があるのです。
境内を巡って展望所からは、二天門下には300基を越す石の灯籠が並んでいますが、この灯籠は当時の諸大名から献上されたものだそうです。
東照宮とは異なる天上界に上ったような印象でしたが、この「大猷院」を建造したのは、徳川家の家臣である我がふるさと小浜藩主の酒井忠勝が、4代将軍徳川家綱の命を受けて造ったそうです。
極彩色の仁王様や彫刻が実に鮮やかです。
夜叉の鳥摩勒伽の膝の象が膝小僧の語源になっていることを初めて知りました。
灯篭、天井画など、見るもの全てが贅を尽くされていますね。
よくこれだけのものが、できたものだと驚きの連続です。
日光の寺社の建築や装飾は多くが国宝や重文に指定されていますが、これだけの豪華な遺産を保全されているのは、驚きです。
一方、この時代背景を思うとこれらの豪華なものを作り上げるために、どれほどの費用が掛かったのだろうかと、考えてしまいます。