「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「ふるさと野菜便」

2009年12月10日 | つれづれ噺
素朴な宅配便が届いた。
クロネコでもペリカンでもない、佐川急便でもない。 本人直接配達のふるさと便。
過疎の一途をたどる山あいの集落で、実家を守る義兄が細々と作った野菜とゆずなどが、自らの運転するクルマで届けられた。

現在住んでいるところからクルマで30分・40分走らなければ病院らしい病院がない。
専門医などの診察となるとそれはそれは一日がかりの大仕事になることもある。

今日は検査のため、病院に出てくる日だったので、その便に足を伸ばして我が家への宅配便となったという。
有り難いことだ。後10日もすれば、ゆず湯に身体を温める冬至がくる。

お言葉に甘えて、ゆずのおいしい味と香り、更にはお風呂を楽しむことにしよう。

30数年前には、サルやイノシシを脅すプロパンガスによる爆音器を仕掛けるほどの、栗拾いが出来る林が3箇所あった。マッタケは素人の私でも見つけられるような山もあった。

今はない。山はあるが栗拾いは出来ない。手入れ作業や経費がが半端ではない。その上に、サルやイノシシがひとたび味を覚えたら、人間には残してくれない。 マッタケは、自分の山なのに、他人が入り込んで採っていく。注意しようものならこちらの身が危ういという本末転倒の世の中。

ふるさとの魅力が一つまたひとつ減っていく。 ついには、老いる義兄夫婦に、町中のマンションでも心配しなくてはならなくなる。そう遠い話ではない。
今せいぜい、ふるさと野菜便の恩恵に預かっておこう。

残念ながら、近い将来なくなるのだから…。

          ( 写真: 届いたばかりの、ゆず・里芋・ネギなど )

コメント (2)
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